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 この腐った世界は、一体どれだけ彼女を傷つければ気が済むのだろう?

〈騎士長〉は遣る方ない怒りを抑えながら、夜闇に身を隠していた。

 あのおぞましい記事を読んでからというもの、〈騎士長〉はひたすらに長濱京次郎という記者のことを追い回していた。自宅を把握し、移動経路を把握し、行動パターンを把握した。自宅周辺の道という道を徹底的に調べ、防犯カメラの死角となる場所も調べ上げた。万一カメラに映ったとしても、目深にかぶったフードとマスクのおかげで、人相がバレることはまずありえない。調査に数日ほど時間がかかってしまったものの、おかげで準備はすべて整った。

 今こそ、裁きの時だ。

 長濱の帰宅路の途中にある路地裏に身を潜め、〈騎士長〉は興奮で気持ちが昂ぶるのを感じていた。自分はまた、彼女のために正義をなすことができる。唾棄すべきクソ野郎を世界から消すことができる。それは〈騎士長〉にとって、至上の喜びだった。

 得物を握って長濱が通りがかるのを待ちながら、〈騎士長〉は愛する彼女のことを思い浮かべていた。あの記事を読んだ彼女がどれほど傷ついたのか、〈騎士長〉には想像することしかできない。蓑田との関係は事実だったとしても、彼女の実績のすべてが蓑田の影響力によるものだと言われる筋合いはないはずだ。その上、彼女を殺人犯のように扱うなど許しがたい行いだ。蓑田、須賀というクズどもからやっと解放されたばかりだというのに、またしても彼女の悩みの種を増やすとは……神が存在するとしたら、よほど性格が悪いに違いない。

〈騎士長〉は冷静になるために、何度か深呼吸をした。冷静さを欠いてはいけない。確実に標的を始末するには、狩りをするハンターのような冷徹さが必要だ。怒りで手が震えることもなく、一撃で相手の後頭部に得物を叩き込み、相手の意識を奪う。それこそが狩りにおいて最も重要な要素だ。一撃で意識を奪えなければ、抵抗されるか逃げられるかして事態は一気にややこしくなる。

 それにしても、警察は一体どれだけ間抜けなのだろう?

 蓑田や須賀、長濱のような野郎どもを野放しにして彼女を傷つけた上、〈騎士長〉を捕まえることもできないでいる。おかげで彼女の邪魔者を始末できているわけだが、だからといって感謝する気にはなれない。連中がまともに機能してさえいれば、〈騎士長〉自らが手を汚す必要もなかったのだから。あれだけの人数と権力を与えてもらいながら、あんな小悪党どももまともに捕まえられないなんて、まったく呆れるほどの無能さだ。今までこんな連中を当てにして生活していたのかと思うと、自分が途方もないバカのように思えてくる。

 結局のところ、あんなバカどもなど気にせず、正義は自らの意思で成し遂げるべきなのだ。他人を当てにしていては正義が全うされることはなく、邪悪な人間がはびこるにまかせることになる。そんなことでは本当に大切な人すら守ることはできない。大事なものがあるのなら、決断して立ち向かうしかないのだ。

 と――表通りのほうから足音が聞こえて、〈騎士長〉はとりとめのない思考を断ち切った。

 暗闇に慣れた目で通りを見やると、小柄な人影がちょうど通りがかるところだった。人影が通り過ぎるのを待ってから、路地裏を出てその後ろ姿を確認する。

 平均身長以下の背格好に、いかにもゴシップ記者然としたくたびれた服装。がに股でのしのしと歩く見慣れた後ろ姿は、何度も尾行した長濱という記者のそれだった。

〈騎士長〉は足音を忍ばせて彼の後ろを歩きながら、特殊警棒を握る手に力を込める。あとわずか数メートルのところに、彼女を不当に貶めたクズがいる。やつを始末すれば、〈騎士長〉は再び彼女への愛を証明することができる。彼女との繋がりを実感することができる。そう思うと、どうしても胸が高鳴るのを止められなかった。

 さあ、断罪の時間だ。

 長濱のすぐ後ろまで接近すると、〈騎士長〉は得物を高く振り上げた。そのまま、目の前の後頭部に向けて真っ直ぐに振り下ろす――

「警察だ! 止まれっ!」

 ――直前、予想外の声に呼び止められ、〈騎士長〉は思わず動きを止めていた。

 周囲を見渡すと、〈騎士長〉が隠れていた以外の物陰から何人もの警官が飛び出してくる。慌てて長濱に目を戻すが、やつはとっくに駆け出して距離を取っており、やつとの間に警官たちが立って道を遮っていた。

 事ここに至って、ようやく〈騎士長〉は自分が罠にはめられたことを悟った。

「クソっ!」

 悪態をついてから、〈騎士長〉は警官の人数が一番手薄な場所に向かって駆け出す。当然警官たちが道を塞いでくるが、特殊警棒を振り回して強引に道を開こうとする。だが警官たちは即座に警棒を抜いて応戦してきたため、〈騎士長〉は瞬時に戦闘を諦め、手近な警官に警棒を投げつけてからその脇を駆け抜けた。

 背後から警官たちが追ってくる足音がするが、振り返りもせずに全速力で走る。それでも体力は警官たちのほうが上らしく、徐々に背後からの足音が大きくなっていく。

 まずい。このままでは終わりだ。

 焦って打開策を探している時、ちょうど脇道から女性が飛び出してきた。ハイヒールを履いたスーツ姿の女で、明らかに警官には見えない。おそらく残業帰りのOLだろう。

〈騎士長〉は思わぬ幸運に迷わず飛びついた。念のために懐に用意していたナイフを取り出すと、女の腕を掴んで強引に引き寄せ、その首元にナイフを突きつけた。

「来るな!」

 警官に向けて警告を発すると、やつらは一斉にその場で足を止めた。人質を盾にしてじりじりと下がろうとするが、それに合わせて警官どもも近寄ってこようとするので、〈騎士長〉は再度警告を発した。

「来るなって言ってんだろ! こいつがどうなってもいいのかっ」

「た、助けて……」

 人質の女が震える声で助けを求めるのを聞いて、警官たちは痛恨の表情で動きを止めた。代わりに言葉で訴えかけてくる。

「よせ、これ以上罪を重ねるな!」

「うるせえ! サツごときが口出しするんじゃねえ!」

「こんなことを続けられると思っているのか? お前のしていることは殺人なんだぞ!」

「誰のせいでこんなことしてると思ってるんだ? お前らが悪人を裁かないから、代わりにやってやってるんだろうが! クソみたいな説教垂れる前に、自分の仕事をきっちりやりやがれ!」

 こちらの言葉が刺さったのか、警官どもはみな勢いを失って口をつぐんだようだった。〈騎士長〉がそれにほくそ笑んだ、その瞬間――

「……本当に、あなたが犯人だったんですね」

 悲しげな声が腕の中から聞こえて、〈騎士長〉は思わず意識をそちらに向けた。同時に目にも留まらぬ速さで腕を捻り上げられ、気づいたら〈騎士長〉は地面にうつ伏せに倒されていた。抵抗しようと試みるが、完全に腕を極められてとても身動きを取れる体勢ではない。

 強引にフードを持ち上げられ、マスクも剥がされると、〈騎士長〉を組み伏せたOL風の女が顔を覗き込んでくる。

 その顔を見て、〈騎士長〉はようやく己の失策を悟った。

「お前は……っ!」

「覚えててくださったんですね」

 スーツ姿の女が哀れむような視線を向けてくるのに、〈騎士長〉は苛立ちを抑えることができなかった。腕に力を込めて抵抗しながら、スーツ姿の女に向かって悪罵を吐く。

「速水だったっけ? やっぱり、あんたは男の味方をするんだな。このクソ女がっ」

「……峰村良子さん。殺人未遂の容疑で現行犯逮捕します」

 悲しげな声音とともに、〈騎士長〉の手首に手錠がかけられる音がした。

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