☆第37Q うちのエース②

「連携悪い! 練習したことが全然できていないぞ!」


 普段は温厚な監督である小西だが、この状況には珍しく怒りを露にする。


「こにたん、めっちゃカンカンに怒ってんじゃん……」

「そりゃそうでしょ、後半開始2分で7点取られてんだから。しかも何点かはうちの自滅のターンオーバーからだからね。……ね?」

「ウッ」

 

 久保原の腹黒い笑みが、味方のガードの選手に向けられる。


「……はぁ。ディフェンスは海堂・安藤を優先で抑えるのは当たり前として。問題はオフェンスだ。オールコートが来た時の対処は大丈夫だろ?」

「はい、1-2-1-1ワン・ツー・ワン・ワンで来るのが分かっていれば対処は出来ると思います。だけどハーフを超えた先のオフェンスの主軸は、誰が攻めるかですね」


 竹馬ちくまの発言に大狼おおがみは珍しく、いの一番に口を開いた。


「馬鹿が、一番狙い目あるとこあんだろ」

 

 ニヤリと笑う大狼おおがみの瞳は、凛々としていた。


――――


「いい、このままうちのバスケをやっていこう」

「はい!」


 代わって水咲ベンチ。選手を鼓舞する桐谷は、特に戦術が変えることなく選手をコートに送り出す。

 そして筑波凛城つくばりんじょうのエンドラインからのスローインで試合が再開されようとしていた。


「うちのエースは、大狼おまえだ。あんなチビに負けんじゃないぞ」

「とーぜんだろ。慣れねぇ事するんだから、寧ろ俺に感謝してほしいね」

「それぐらい元気なら問題ないな、行くぞ」


 コートの外でスローインをする竹馬ちくまの言葉にハッ、と鼻で笑うのは大狼おおがみ。その会話後、竹馬ちくまを経由して、ボールが大狼おおがみに渡る。しかし、前半と違って状況は異なっていた。

 前半であれば、トップの位置でボールを保持していた大狼おおがみが他ガードの選手にボールを渡したのだ。そして、大狼おおがみはある所へ向かい、ポジションを取っていた。


5番おおがみがポストプレー!?」

「うっそ、あいつ出来んの?」


 客席に座る、他チームの選手たちの驚いた声が体育館に木霊する。

 大狼おおがみは、フリースローライン付近でゴールと朝比奈を背に1on1を仕掛ける。

 

 朝比奈は、前半の段階で同じポジションである筑波凛城つくばりんじょうの5番である大狼おおがみとマッチアップしている最中。表情には出ずとも、観客以上に内心キレる寸前であった。


 クソ、こいつ前半までポストプレーしてなかっただろうが!


 朝比奈が165㎝に対し、大狼おおがみは188㎝。ちなみにだが、水咲の中ではゴール下を張る白橋(185㎝)と身長が近い。


 審判、まだ笛吹くんじゃねえぞ。これぐらいまだ許容範囲の接触だろ。


 20㎝もの身長差があるとはいえ、朝比奈は何度も身体をぶつけ合いながら徐々にゴール下へと浸食されていく中。ファウルにならないよう腰を低く、手を上に上げ、懸命にゴール下へ入らせないようにディフェンスをする。ディフェンスとして、基礎的な事だがこれが中々継続して出来る人は中々いない。

 大狼おおがみはチラリと視界の先にショットクロックの秒数を捉える。ポストプレーを始めて、6秒。ショットクロックも少なくなり、己の足元はゴール下にある長方形のペイントエリアに入り始めてきた。


 ――捉えた!


 一瞬、無防備となった大狼おおがみの持つボールに手を伸ばす。しかし――。


「頃合いだな」

「はぁ……っ!?」


 朝比奈を背に大狼おおがみはドリブルをしていたのを、くるりと身体を入れ替えるようにゴールを正面にする。


「かかったな!」




「何処がだ、節穴」




「朝比奈!」


 味方の声に気づかず、目の前の相手に意識を向け続ける朝比奈の手は大狼おおがみの脇と絡みあう。それを見た大狼おおがみはシュートを打とうと腕を上げる。


「ッデ!」

「……!」


 やられた、と朝比奈が思うも時は遅く。


 ――ピーッ!


 甲高い笛の音。それは、己がファウルをしてしまったという自覚させられる音でもあった。


「青12番、ホールディング! ツースロー!」

「くそ……」


 審判の笛が鳴った後、手を挙げるのは朝比奈。そして大狼おおがみはフリースロー2本獲得した。

 今回の朝比奈の個人ファールで戦況が一転する要因になり得ると自覚していたのは水咲・筑波凛城つくばりんじょうの両監督だけではない。


「個人ファール3。後半開始早々にこれは厳しいな」

「明らかに狙われてますね、朝比奈くん」


 試合を最初から見ている観客である誰もがそれを理解していた。

 オフェンスは、その身長をかわす術のフローターを練習し、己のシュートの手札として組むことができるようになった朝比奈。だが、ディフェンスは大狼おおがみを想定してある程度準備していたとはいえ、20㎝もある身長差であることには変わりない。身長差は事実としてある。


 だが、理由はそれだけではない。


 朝比奈は前半時点で個人ファールを2つ貰っている。内訳として、大狼おおがみとのマッチアップで1つと味方のミスから相手の速攻を止める為に態とファールをした1つ。

 バスケの試合において、個人ファールは5つで退場となってしまう。それを頭に置いた上で、残り時間30分近い状態で個人ファール2つとなった朝比奈は黄色信号が点滅するぐらいには危険な状態であった。

 それもあり、実際に前半の途中で内山が交代として出てきたのは安藤の体力の削られたことも理由としてあるが、1番の理由はマークマンである筑波凛城つくばりんじょうのPGである大狼おおがみとのマッチアップを朝比奈から内山へ変更する事であった。


「まぁ相手の大狼おおがみと身長に分がありすぎる。あれぐらいミスマッチになっていれば、不慣れとはいえ大狼おおがみくんはインサイドで勝負できてしまうだろうよ」

「……水咲のPGポイントガード陣は、5番の内山君と12番の朝比奈君。確かにあの2人のガードとしての技術は高い。だが2人とも170㎝より大きくはない。現代バスケにおいて所謂長身PGポイントガードが増えてきている中で、その点は致命的となります」


 楠の意見に、高岡も同意を示す。

 そんな中、ベンチの前で腕を組みながら立ち続ける男。桐谷は背中から何かが垂れてくるような錯覚を覚える。監督として立つときの普段着であるジャージがぺたりと張り付いたことを自覚し、追い詰められた事に対して冷や汗が伝っていた。


 ――まずいな。


 前半時点で身長の近い海堂かディフェンスに定評のある1年の石橋を大狼おおがみに付け、朝比奈に代わって内山がPGとするのが正解であった。だが、桐谷はそれをしなかった。理由は――。


 練習でスタメンを含めメンバーと合わせた回数が少ない石橋をぶっつけ本番で出すには些か博打すぎる。それに加え、海堂の様子を練習中見ていても調子が


 博打かいどう大博打いしばしか、それとも小博打うちやまか。


 スモールラインナップと言われる、身長が小さ目な選手を出すことになるが筑波凛城つくばりんじょうは2メートルの選手がいないこと、大きい選手でも190㎝前半が片手を数えるほどで多くの選手は180㎝の前半から後半の選手が多いこと。それを考慮し、桐谷は内山を出すことを選択した。


 『3点より2点で点を取られる分には問題ない』


 それを前半の途中で、内山を経由して選手に伝えた。

 筑波凛城つくばりんじょうというチームはスリーポイントよりツーポイント、外より内から点を取るのが多いのを知っていたこともあり、そう指示を桐谷が出したわけだが……。


 俺の作戦ミスだな。海堂を出すなら相性を考えて朝比奈を出し、安藤をコートに戻したがそう易々と事が進むわけじゃないか。


 後半は安藤だけではなく、海堂も主軸として展開していくことを選手達に告げた。しかし、一番の弱点であるPGの身長差のところを見逃すほど県内強豪の筑波凛城つくばりんじょうが逃すわけもなく。目の前ではフリースローが行われている中、桐谷の頭の中は様々なものが飛び交っていた。


 決してあそこでボールを取りに行くのは間違いではない。隙があればボールを狙うのは当たり前だ。だが、自身が狙われ続けるのは誰でもストレスが溜まる。

 だがあの場面では後ろからヘルプディフェンスで須田が来ていた。あそこでダブルチームを仕掛けていれば、アウトオブバウンズで水咲ボールになってかもしれない、とタラればになるが今の戦況よりはマシになっていたと都合の良いように捉えそうになる。


 悔やんでも戦況は変わらない。そう感じているのは、監督だけではなく選手も同じであった。

 フリースローを1本決めた中で、須田は朝比奈に声をかける。


「朝比奈ぁ、お前今から竹にならない? ほら、今竹になればすぐ身長伸びるぞ」

「は?」

「……凄い思い詰めたそうな顔だったから冗談を言っただけとはいえ、そんな冷たい目で俺を見ないで! キャプテン泣いちゃう!」

「……はぁ」


 顔を覆う素振りを見せる須田に、思わず溜息が漏れる。


 この人はずっとふざけてないといけないのだろうか。いや、ここ1か月過ごしてきた経験から見て。僕の事を励まそうとしているんだろう。

 うるさいけど。……まあ悪くはないなこういう空気も。


 しかし、この綱渡りに近い状況を作ったのは己であると自覚しろ。朝比奈は緩みかけていた自分自身に活を入れる。表情もどこか険しさが残る。


 明らかに自分が狙われているのは理解していた。

 けれども海堂さんの連続得点から、須田さんのスリーポイントと明らかに流れは水咲うちに来ていた。それを切ってまであの場面で、ボールを取りにいく必要はあったのか?

 次のプレーはどうすればいい、僕ではなく海堂さんに預けた方が……。


 フリースローラインに立つ大狼おおがみが難なくフリースローの2本目を決める姿を目の前に、徐々に弱気になりつつある朝比奈。


 ――どうせ交代は内山さんだろ、そんなのやってること変わりない。


 ただでさえ僕が作ってしまったこの悪い流れも助長して、より打ち崩されることとなる事があり得る。けれども、己が出るよりはマシにはなるかもな。


 

 思わず朝比奈は、苦笑が漏れる。見ていた観客の1人でもある、高岡も同じ様な感想を抱いていた。だが朝比奈と違い、この状況から試合終了までの戦況を見据えていた。


「控えのPGとして選手登録しているのは内山君のみ。そして、水咲の弱点はPGのところは内山君でもどうにもならない。正直言ってこの試合


 ――次のプレーで勝敗が決まってしまいますよ」

「……まぁバスケって流れのスポーツだからな。ワンプレー、ワンプレーで一気に流れが持ってくることもあるが、逆に持っていかれることもあり得る」


 顎に手を当てながら試合の動向を見ていた楠は、高岡の言っていることも認識していた。1つ状況で一気に点差を縮めること、大きく離されることも。

 楠は水咲側もほぼ確実にこの不利となりつつある状況を打破したいと考えているはずだと、ふと水咲側のベンチに視線をやるとそこにあった光景に目を見開く。


「――どうやら水咲も、対策は打つみたいだぜ」


 大狼おおがみがフリースロー2本沈め、水咲のエンドラインからのスローイン。

 だが、すぐに試合が開始することはなかった。

 

「青、メンバーチェンジ!」


 水咲側に交代があったからだ。

 審判は水咲側の選手に交代を促す。


 ただ、ここで出してくるかと朝比奈は驚愕した。

 目の前にいる人物が、想像していたものと違っていたからではない。同じ1が立っていたからだ。しかもここ数日調子が良かったとはいえ、試合に出れるか分からない状態であったからだ。

 そんなユニフォーム番号には『13』の文字が刻まれている人物がオフィシャルの横にいるのを見て、弱気になっていた己の気持ちを装い、素っ気ない表情で迎える。


「……お前かよ」

「んだよ、いちゃ悪いか」


 背中に刻まれているのは13番。夜野やのの姿であった。

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