第10Q コーチ
「桝田、コッ……コーチじゃないですか」
「いや言い直す必要ないし。あと普通にコーチ言うだけなのに、詰まることある?」
「いや今まで、さん呼びだったのでつい」
「えーーーー、せっかくコーチになったのに俺。お前にコーチ呼びされるの楽しみだったのに全然驚いてくれないじゃん」
「いや、そもそもコーチになったって春休みのとき言ってたじゃないですか」
「そうだっけ?」
少しそっぽを向きながら早口気味に伝えると、首を少し傾げながら可笑しそうに笑う彼。だが俺は、この人。桝田さんは、桐谷先生と一緒に練習したとき、しれっとこう言ったのを俺は覚えている。
「そういや水咲受かった?あっそう受かったの。へー。あっそういや俺、水咲のバスケ部コーチになるからよろしくな」
そのときは練習の最後というのもあり、同じテンポで打つようにと自分でルールを決めて、シューティングをしていた。だが先程の言葉を聞いて、思わず「はい??」と聞き返しながら思いっきりシュートを外した記憶がある。パスを出してくれていた桐谷先生も、明らかに「おい、お前今言うのかよ」と言いたげな呆れ顔だった。
「知り合い?」
「師匠、一応」
「ふーん、そうなんだ」
卓球のようなテンポの良いラリーに近い会話をする。思わず聞かれた内容に苦虫を嚙み潰したような顔で答えるも、本当に興味がないのか棒読みに近い声色でテキトーな相槌をしながら別の方へ向って行った。
「いや、お前何聞きたかったんだよ……」
答える人間はおらず、朝比奈の向かう先には、銀髪のノッポである前岡と他新入生の集団。そういえば石橋どこ行ったと周りを見渡すと、ふとコートの隅で石橋が1人で天井を見上げていた。……いや、お前も何してんの? とはいっても、話す内容も特にない。わざわざ行く理由もないなとその場にいると、桐谷先生がこちらに近寄ってくる。しかも小声でだ。
「お前いつもなら時間通り来るだろ」
「いやちょっと色々あって……」
「いやちょっとってなによ」
「ちょっとはちょっとなんだって……あんまり言うことじゃないけど、
「ほー、お前より激務なのに呼ぶって猶更じゃねえの」
「俺が一番聞きたいっての……」
桝田さんに耳打ちしながら話す姿に他の部員たちが何事だとザワザワしている中。俺はその近くにいたのもあり、コソコソと話声が丸聞こえなのだがいいのだろうか。チラッと桐谷先生の方を見ると「まあまあ」と皆まで言うなと言っているかのような態度。特に問題はないのだろう。……多分。
話し終えた2人の片割れがその場を立ち去る中。動くことなく、どこか遠くを見る桝田さんに「大人って大変っすね」と言うと、「お前もいつかこうなるんだよ」と言いながらどこか悟ったような顔で頭を2度軽く叩かれた。
「じゃ、入部届出す奴いるなら出しちゃっていいよ。ただし! 最低1週間、入部届は手元に置いておくだけだからな。やっぱり別の部活の方がいいってなったらまた俺のところに取りに来てくれれば良いよ」
すると直後に「俺も!」と、他の新入生が声を上げ、桐谷先生に何人もの人が集まる。そんな彼らの手元には、ペロンと入部届と書かれている紙が1枚。そんな中、主将の隣にずっと立っていた前髪が目に少しかかっている黒髪のマッシュルームヘアの男子生徒が眉間に皺を寄せながら、桐谷先生と会話していた。
「先生、相変わらず緩くないですか?」
「いいじゃん、とりあえずもう入るって決まってる子がいるならそれで。少なくとも
そんな会話がされていることは露知らず。声は二重に重なる。
「「入部届お願いします!……あ?」」
またもやこいつか……! と互いににらみ合う。
「ほらな?」
「でしたね」
桐谷先生は両手の人差し指をこちらに指しながらそう言い、呆れながらもどこか口元がニヤリと笑う男子生徒。そんな中、まだざわついている現場となっている状況下で、主将である須田さんが新入生を一度落ち着かせるように何度も手を軽く下に押し付ける。
「まあ落ち着き給えよ、1年生諸君」
「突然どうしたキャプテン、頭逝かれたか」
「突然の罵倒に俺が泣くことになるがいいのか?」
「アンタがまともだと、明日雨降るんじゃないか心配するんだよこっちは」
「やだっ、俺ってそんなに信用ない?」
「ない」
「即答って酷くない!? 副部長くん!」
先ほどの男子生徒は、副部長だったらしい。自身の前髪を鬱陶しそうに手で横に流しながら主将に対して思ったより辛辣な言葉を投げかけている様子を見ると、あの2人の間に信頼性があるのだと分かる。
「まあ今すぐって無理強いはしないけど、まだ初日だし本格的な部活始まってからの方がいいと思うよ1年生」
「そうそう、来てほしいのは山々だけど。うち結構練習ハードよ……?」
「いやでもあのダブル桝田の知り合いなら、大丈夫な気がする」
「それはそう、絶対あの2人は人の心を知らない。人の心を知っていればあんな練習メニューを来た初日にやらせないでしょ」
「いやまあ、何となく分かりますけど」
思わず漏れた言葉に、仲間と思ったのか、すぐに先輩2人の内の1人が肩を寄せてくる。馴れ馴れしいな。先輩なので、振りほどくことはできないがそんな印象を受けた。しかも金髪に染めているというのもあり、どことなくチャラくて軽い印象を受ける。もう片方は茶髪だが、何というかこちらも背負う空気感が軽い。類は友を呼ぶとはこのことなのだろうか。
片手で数えるほどとはいえ、あの2人の内の
「だよな!! よく分かってんじゃねえか1年!」
「ここだけの話。俺去年の夏合宿とか、何度吐きそうになったか」
「いや1年生に何聞かせてんだよ。これ以上人減らす気か? ただでさえ、あいついないってのに」
「おい馬鹿、その話題出すな。先輩キレるぞ」
「うわやべっ、そこの君。聞かなかったことにしてくれ」
嵐のような時間だったように感じた。
夏合宿の話題を聞いた時には、思わず遠い目をしそうになる。そっか、夏には地獄が錬成されるのか。……というか、先ほど話題に挙がっていた『あいつ』とは誰なのだろう。
「えーなら入部届は、
「初手でまっすー呼びかよ」
朝比奈の生意気な態度で発せられた言葉に怒ることなく、笑う姿に脱帽だ。何せ、俺は会う度に雰囲気が悪くなっているのもあるため尚更そう思う。
「俺? 俺はほら。――部外者だから」
そう言って胸からかけている吊り下げ名札が裏返しにされていたのをひっくり返す。胸に掲げられているのは、来校許可証であった。
「――先生じゃないんかい!」
「あれ、言ってなかったっけ」
新入生の誰かがそう言ったのを桝田さんは、またも可笑しそうに笑いながら答える。そんな姿を見て、思わず呟く。
「これが、師匠かぁ」
俺はこのとき、忘れていた。
――まだこれが練習初日だということを。
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