閑話

第5.5Q ある男の決意

 人生というのは、中々に複雑で絶望することが多いと自覚したのはいつだっただろうか。学生のときの全国大会?それとも、リーグのシーズン最後の昇格のかかった試合?


 ――それとも、コートに立てなくなったときだろうか。


 ――――

 

 片方の手はパーカーのポケットへ。もう片方の手には指に引っ掛けて、バッシュを持つ。これを持つのは何度かあったが、試合会場へとなると2年ぶりだ。まあ出場する立場では無いわけで。そう考えると、2年という月日が経っていると、こんなに虚しいものなのかと。

 

「めっちゃ空いてるじゃん」

 

 3つあるコートの内の端のコートの方面、ベンチ側だと応援している人もいるため邪魔にならず誰も座っていない上の方に座る。ボールを突く音とバッシュのスキール音、審判のホイッスル、タイマーのブザー、選手や監督だけでなく応援に来ている保護者の声、全てが懐かしい。平日ということもあり、大きな体育館とはいえど2階席には学生の保護者と試合が終わったか、まだ出番のない学生か、もしくは出番がない学生しかいない。


 ――つまりスッカスカである。

 

 まあ学生の最初はそんなもんだったな。こういう思考に陥っているのは自分自身が終わってしまったと実感しているからこそだろう。思い出の断片を脳内に浮かべている間、無意識に苦笑いが浮かぶ。

 

「中学生といってもな」

 

 全国大会出場、全国大会優勝、国内のプロ選手、国内リーグで優勝、日本代表選出、NBAなどのリーグに出場、世界で活躍する。高いハードルは、徐々に目標や世間の期待は高跳びのバーのようにどんどん高くなっていく。それはプロを、世界を目指すならばこの生活をしていく上で必ず現れる。だが、学生の時に全国大会に出場できた奴が偉いわけではない。結局は、才能と実力そして運。それが備わってこそ、やっとスタート地点に立てる。限りなく狭い入り口だからこそ残酷であるがゆえに、夢がある。

 

 だが現実は、地区予選より上に上がらない限りその最低であるスタートラインにも立てない。余程の物好きじゃない限り市内大会にスカウトなんて来ない。地区予選突発が本当の最低ライン、いやデッドラインかもしれない。来ている俺は物好きの部類に入っているのだろう。

 

 ――でも、この大会はなんというか。

 

「……まあそんなもんか」


 おそらくだが、実力差が歴然としているというのもあるだろう。そして最後の4Q残り3分。「悔いの残らないように」と、目の前でやっている試合も聞こえてくる言葉が監督である顧問の先生が口にしている。ジャンプボールと共に真ん中のコートでも試合が始まるが、どっちの選手も真剣にやっているが覇気がない。


「ったく、あのおっさん。何でこんなところ指定してきたんだ」


 ガシガシ、と頭を搔きながら朝の出来事を思い起こしていた。




 

 少しだけ深夜に雨が降ったのか、道路の脇のアスファルトが濡れていた。心なしか、肌寒いように感じる。6月の6時。


 大通りのルートを抜け、少し住宅街の方へ入る。昔からの日課であるランニングは、俺にとって精神統一のようなものだ。散歩する爺さん婆さんが1人2人いるぐらい、長閑でゆったりとした時間がここには流れていた。しかし、その空間はある電話によって無くなるわけだが。


 

「――よお、元気か」

 


 ブチッと反射で通話終了のボタンを押す。すると、数秒も経たずにまた通話の画面。そこには伯父である『桐谷一寿きりや かずとし』という文字が表示されている。あの人からの電話となると、今までの経験則からして何かしらの面倒な頼み事なのだろう。だが切れる気配がないため、諦めて電話へ出ることにした。


「おいおい、すぐ切るとかお前……」

「……さてなんの事やら。というか今時間分かってます?6時っすよ、寝てたらどうすんの」

「どうせお前のことなら起きてランニングしてるだろ、この時間」

「……」

「現役のとき、なんなら学生のときからのルーティンだもんな」


 なんで分かるんだよ、今まで見たこともないだろ。という言葉が喉から出そうになるが無理やり押し込んだ。近くにあったカーストップに寄りかかりながら、電話に意識を戻す。


「いやー、バスケ馬鹿のお前が引退してどうなるかと思えば案の定だしな」

「おい、それ褒め言葉じゃないだろ」

「当たり前だろ、親戚の俺が学生のとき含め何度付き合わされたことか」

「はいはい、すいませんね」

「まあ良い体験だったから良いよ」


 向こうも笑いながら言う。だが、この話題は数年も前から耳にたこができるぐらい何度も言われている。照れ隠しと呆れに似た感情を抑えつつ、頭を搔きながら何回目かの謝罪を口にした。


「そういや例の件、どうだ?」

「――その件は、断っただろ。何度も」

「……まあ気が向いたらでもいいよ、考えといてくれや」

「そうそうないと思うけどな、つか朝からそのために電話してきたのかよ」


 早く要件言え、と電話越しに伝える。6時とはいえ、数か月前の冬に比べると6月の朝は結構明るい。ずっとその場に電話は近所迷惑になるなと思い、住宅街から大通りに戻るいつものルートを歩きながらすることにした。


「そうそう、お前今日暇だろ?どうせ」

「いや予定あるから」

「住所送っとくから、そこ行ってみろ」

「おい話聞けよおっさん」

「あ、なんならスカウトしてきてもいいぞ。将来有望の奴」

「いやなんで俺が」

「――前の借り、覚えてるよな?」

「ッグ……」

「じゃ、よろしくー」


 前の借りという言葉に息を詰まってしまったのもあったが、それ以上に飄々としたようないつもの口調でも、特定の事に対しては有無を言わせないあの雰囲気。少し血の繋がっている親戚とはいえ、いつも慣れないなと思う。



 

 朝、午前6時。突然電話を寄こしてきたと思えば、要件を言ったら一方的に切られるという、自分で言うのもなんだがすこぶる機嫌が悪い。行かなかったら行かなかったで、面倒なのは知っているので結局ここに来ている時点で言いなり通りというわけだが。


 頬杖をつきながら、目の前のコートに視線を移す。

 ビーッ、とブザーが鳴り。目の前のコートでは得点盤にあるメインタイマーには、4クオーターの残り1分と表示されていた。まあここから勝つことはないだろう。20点近い、しかも交代選手はこの試合中一度も交代をしたことのない。云わば、控え。勝機はないに等しい。


「相手のポイントガード、どっかで見た気がするんだよな……どこだったかな」


 スマホに書かれていたメッセージには、『朝比奈歩夢って奴、出来れば見てきてくれ』と追記で書かれていた。しかも、月バスのとあるページを映した画像付きで。


「あさひな……ね、ふうん」


 何の考えを持って、その人物を指定したのかは定かではない。おおよそスカウト紛いのことをするつもりなんだろう。伯父おっさんが今年赴任した高校はここ数年県大会に出場したこともなく、なんなら部の人数も少ないと聞く。即戦力が欲しいってわけね、と勝手に推測したわけだが。


「さあて、どんなプレーをするのやら」

 

 無意識に、他に良さげなプレイヤーやつはいない。その考えは、残り1分のメインタイマーが動き始めてすぐに覆されることとなる。

 

 

「いや、夜野8番普通に上手くないか……?」


 

 一瞬のプレーだが、普通に上手い方だ。なんならスタメンに出ていた選手より上手いように見えた。特に初速や動作モーションの速さに関しては、群を抜いているようにも。まあでも、シュートが入ればの話だが。それにしても。


「彼が控えって中々だぞ。それとも」


 ――シュート直前に動きが固くなった所に理由があるのだろうか。

 

 


 ――――


「じゃ、気ぃつけて帰れよ」

「次は負かすからな! じゃまた、お疲れっした」


 

 捨て台詞を吐きながらお辞儀。その後、自転車の荷台にエナメルのバッグを荷紐括り終えた後。律儀に挨拶に戻って来ては、自転車を全力で漕ぐ姿に思わず若いなという言葉が出てくる。お辞儀にしろ時々出てくる所作が真面目で礼儀正しい子であることを表現していた。俺が中学のときそんな風じゃなかった様な、なんて過去の自分自身と比較して。


「数日前まで、ほんとこうなるなんて思わなかったな」


 1vs1ワンオンワンを通して、少しだけ夜野かれの動きや癖を目の前で見ることが出来た。矢張、速い。速いのだが。


「癖なんかねぇ、シュート前の一瞬止まるの」


 他にも要因はありそうだが……。なんて考えているとあることを思い出した。ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出す。電話帳の画面になり、『桐谷一寿きりや かずとし』という名前が表示されているところをタップした。


「よお、おっさん」

「突然連絡寄こしたと思えば、……まあいいや。そういや数日前に見に行った試合どうだったよ」

「朝比奈歩夢。数分しか見れなかったけど彼は良い目持ってる。もう少し背があればって考える奴もいるだろうが、あれは身長差なんて関係なしにやれる。色々問題はありそうだが、ボール運びハンドラーとして申し分ないね」


 って、違う。言いたいことはそうじゃない。自分が電話をかけた理由は別にあった。今まで興味も湧かなかったが、含め面白い世代じだいになりそうだ。少しだけ口角を右上に上げた。


「俺も腹括った。例の件、引き受けてやる」

「どういう風の吹き回しだ?」

「いや?別に。ただ、原石いいやつ見つけちったからな」

「は?」


「ただ惜しいな、


 ――現役時代が学生んときに会いたかったわ!」


 電話先は戸惑うような声を気にせず、ははは!と天を仰ぎながら笑っていた。頬に伝う水滴は、気のせいだろう。

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