第29話 見えた希望


『あなたは誰ですか?』

『そうですね、貴女方の国ならば癒しの女神と言えば通じるでしょうか』


癒しの女神と言えばシャトレの地にある神殿で主として祀られている神様のことのはずだ。


確かに神話で伝わる特徴にとても合致しているようだがとても信じられない。


わたしの空想でしかないのか、それともこの女性がうそをついているのか。


『そんなに怪訝な目で見つめないでください。折角、彼を助ける方法を教えてあげようと思っていたのに失礼です。もう帰っちゃおうかしら』

『っ!ごめんなさい!そんなつもりじゃなくて、神様が直接問いかけるなんてことが信じられなかっただけで、偽物だと断定したわけではないです』

『でもでも、それって疑ったことは否定しないってことじゃない?まあ、正直なのは大好きだから今回はそれと黒い魔術に免じて赦してあげるわ』


癒しの女神はムスッとした顔ながらも話をしてくれるくらいには期限を直してくれたようだ。


『では、ハンス様を助ける方法を······』

『ほらほら、そう逸らないの。ここで何時間話そうとあなた達の世界での時間はほとんど経過しないんだから。まずは黒い魔術の説明からよ』


そういって、癒しの女神は黒い魔術の説明を始めた。

過去の症例や複雑な魔法術式の話を除いて魔法の特徴だけを要約すると、黒い魔術とはごくごく稀に魔獣が身に付けることがある魔術だそうだ。

その能力は主に、戦い自体に直接使われる"直時点攻撃型"と自分を殺した相手を苦しめる"置き土産型"に分かれるらしい。

今回ハンスに対して使われたのはこの内の"置き土産型"で、これは黒い魔力を罹患者から取り払わない限りは治せないらしい。

"置き土産型"は発動が遅いこともあって魔力が対象に深く定着しやすいため、の最上の状態で魔法が発動していれば上級神官でも簡単には完治できないそうだ。


『でも、彼は幸運よ。術式はかなり不完全だから、僅かでも息はできるし心拍は正常そのものだもの』

『どうしてですか?』

『貴女のお陰よ』


わたしのお陰?

わたしは横たわっているハンスの近くで悲しんでいただけで治療を行ってはいない。


『貴女、フェンリルに貴女のその聖霊力が歪に混じった魔力を与えていたでしょう。歪で不安定でも聖霊力に変わりはないからフェンリルの魔力は完全に"魔"ではなくなっていたわ。むしろ中途半端に混ぜられることでフェンリルの魔術は安定しなかった。だから、彼は今でも生き永らえているし、治療の難易度も通常に比べればかなり低くなっている』


あの囮作戦が思わぬところで役立っていたようだ。

確かにオリヴェールやリュークはいくら技術や能力に恵まれていたとしても不自然なほど簡単に魔力障壁を破っていたし、最初の内は二人の方が困惑しているようにも見えた。


『それで、その治療方法とは一体?』

『鍵は貴女の魔力よ』


今のハンスの体内には黒い魔術で使われた魔力が混入していて、その中には当然わたしの魔力も含まれている。


『貴女の魔力は貴女のものだから量の比率次第では黒い魔術の操作権限を貴女が奪って消去できるわ。ただし、それを為そうと思えば貴女にも危険がある』


危険という単語にわたしが身震いをすると『外傷や命に関わるものではないわ』と笑いながら女神は説明してくれた。


『貴女に必要な代償はおそらくその魔力よ。魔術の権限を奪おうと思えば今の貴女の保有している魔力では足りないわ。だから、新しい魔力を調達する必要がある。

『そのようなことができるのですか?』


魔石や霊晶石等の宝石を利用した魔力の貯蓄は知っていても未来から前借りする方法など聞いたことも見たこともない。


『私も最近までそんな方法知らなかったのだけども、どこかの国の神官が作り上げたみたいなのよ。本当に人間の探求心には感服するわ。まあ、結論から言えばできるわ。でも、その人が用いたときは霊力だったから魔力での実例は存在しない。理論を説明することはできるけど、どう?やってみる?』

『やります!』


多少の犠牲でハンスを助けられるならわたしは何度だって挑戦して見せる!


『分かったわ。前借りの部分は貴女には複雑すぎて無理だと思うから権限さえ委譲してくれれば私が代用して引き受けるわ』

『委譲します』


あまりの迷いのない承諾に女神は苦笑しつつも、私が自分ですべきことを説明してくれた。


わたしがすべきなのは前借りした魔力の暴走を押さえることとハンスを覆う黒い魔術の魔力と同化させることだ。

前者は気合いで何とかするしかないが、後者に関して注いだ魔力を手放さずに魔術の操作権限を手に入れなければハンスがさらに苦しむことになる。

具体的に言えば、解れが所々ある縄を使って針山から小さな鍵を掬い上げるようなものだ。

解れを上手く利用して回収できればいいが一歩間違えば縄が切れて下に積もる。つまり、黒い魔術の威力だけが増大することになる。


『おそらくだけど黒き魔術を発動させている核が彼の中にあるはずだからそれを探り出して、貴女の支配下におけるかどうかが一番の問題よ。支配下におくためには······』

『あの、黒い魔術の核はどうやって見つけられるのでしょうか?』

『······ああ、貴女達には魔術の核は見えないんだったわね。それなら、それも私が発見するところまでは補助するわ』


どうやら彼女には魔術の核というものが見えているらしいがわたしは今までに見たことはない。

だから、ハンスが助けられないかもと一瞬不安になったか彼女が何とかしてくれるようだ。


『そして、見つけた魔術の核を支配下におくためには前借りした魔力を核に注ぎ込んで、術式の最初の発動者の魔力の影響を完全に拭い去ることよ。難しいから普通はできないことだけど、今は貴女の魔力が核内に含まれているようだから難易度は数段下がっているはずよ』

『分かりました。全力で頑張りたいと思います』


ここまで、癒しの女神に土台を用意してもらっておきながら出来ないとは言えない。

それに、ハンスを助ける術が目の前にあるのに失敗を恐れて挑戦しなければいつか絶対に後悔する。


『では、そろそろ頑張ってもらいましょうか。魔力の前借りを済ませたのでこれから大量に魔力が流れ込んでくると思うけど、頑張って。この作戦は貴女が死んでは元も子もないわ』


彼女の宣告から体感で数秒後、体の奥底から大量の魔力が火山が噴火するがごとき勢いで湧き出してくるのを感じた。

湧き出してきた魔力はすぐにわたしが慣れていた許容量を越えて、それでもなお勢いはとどまることを知らずに増えていく。


苦しい、苦しい、辛い


でも、これに耐えなければどうしようもない。


『難しいみたいね。それなら、抑え込むようにするのではなくて質を濃くすればどうかしら』

『やって、みます』


彼女の提案を縋るような心地で受け入れて、沸騰して蒸発していく水をイメージしながら魔力の中身を濃くすることでわたしは何とか許容量は越えているけど、我慢できなくはない程度まで全体量を落とし込んだ。


『よく頑張ったわね。魔術の核にも目印となる色をつけておいたから見つけられると思うわ。これ以上は関与できないけど貴女が彼を救えることを期待しているわ』

『ありがとうございました。必ずハンス様を助けて来ます』


わたしは薄れていく女神の気配に対してお礼の気持ちを込めながら深々とお辞儀をした。


気配を感じられなくなってからわたしは目を開くと、そこには目を閉じてから数秒も経っていないだろう情景が広がっていた。

ハンスは同じように横たわっているが、その中には薄いサファイア色の筋と一際目立つ濃紺の塊があった。


これが癒しの女神が色着けてくれた魔術の核だろう。


前もって指示されていた通りに行動を開始してハンスの救助を始めた。

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