14.笑顔

 放火計画を阻止した夜から、次の夜を迎えたころ。あれほどの大事件にも拘らず、江戸の夜は平穏そのもの。日向や御庭番衆が守った平穏だ。


 その平穏を守った御庭番衆を率いる薮田定八が宮地家の屋敷を訪ねて来た。

 昼間のお役目を終え、城から戻ったその足での訪問である。


 その時、日向は庭にいた。

 無言でモモを撫でながら、ジッと動かない。

 庭に出てきて、かれこれ半刻1時間にもなる。


 薮田定八は、庭へと回り、訪問の目的であった日向に声を掛ける。


「日向よ。お手柄であったな。知っているとは思うが、放火犯は捕らえた。江戸の街も無事だ。それに吉宗様も褒めておいでであったぞ」

「ありがとうございます。貧しい暮らしに喘いでいた庭番の家々がこうして暮らしていけるのも吉宗様のお蔭。大恩ある吉宗様のお役に立てて何よりです」


 日頃の明るさは消え去り、まるで、典型的な武家の子女のような応対。


 その態度は言葉ほど大人びておらず、まるで拗ねた子供のよう。

 しゃがみ込んだまま、薮田と向き合いもしない。

 

 彼女らしさは見る影もなく、俯いたままその瞳は薮田を捉える事はなかった。


「そうだな。我らは吉宗様と共にある。そして吉宗様がおらねば我らも存在しえない」

「庭番の家に連なるものとして、私も肝に銘じます」


 先ほどにも増して硬い声で答える。

 言葉だけであれば真摯的な回答と言えるが、会話が上滑りしている感が拭えない。


「どうした? 随分殊勝じゃないか。いつものように朗らかな方がお前らしいぞ」

「はい。私はいつも通りですよ。…………それより捕まった犯人さんたちはどうなったのです?」


 普段であればキラキラと輝いている瞳が薮田に向けられた。

 やっと本人らしさの出た言葉は、捕らえた放火犯の事だった。


「火罪で市中引き廻しの上、磔柱に縛り付け、火焙りの刑だそうだ」

「そうですか……でも! 火をつけられなかったのですから未遂……じゃないですか……」


 そして瞳はまた下を向いてしまう。


 罪状など聞くまでもない事。

 放火は重罪である。

 極刑は免れない。

 それは未遂も同じ事。


 江戸に住む者なら誰もが知っている事実。


「何の罪の無い民が住む江戸の街に火をつけようとしていたのだ。仕方あるまい」

「そう……ですね……」


「お前のお蔭で江戸の街が守れた。紛れもない事実だ」

「はい……」


 閉ざされた心を解きほぐすように言葉を重ねる薮田。


「実はな、今回の事件は吉宗様を貶めるための陰謀だったのだ。詳しくは話せぬが、大恩ある吉宗様をお守りできたのだ。御庭番衆としてこれ以上ない事だ」


 まだ納得できていない様子を見かねて言葉を重ねる。


「椿屋も感謝しているだろうよ。自分の店の商品を火付けに使われなかったのだからな。もし使われていたら、店を続けられていたかも怪しい。顔を出しておけ。自分が助けた人々の顔を見てくるが良い。ともかく、もう夜も更ける。早く寝なさい」

「わかりました」


 不安そうに見上げる柴犬のモモ。

 わかりましたと言ったが、すぐに動き出せず、モモを抱きしめる日向。


 薮田はその光景を見ていないかのように、静かにその場を離れていった。



 放火未遂事件の三日後、昨日のうちに行けなかった椿屋に足を向けた日向。

 一連の事件を解決した立役者であるのに、その足取りは重かった。


 日頃の倍以上の時間をかけ、やっとのことで辿り着く。


「こんにちは。五兵衛さん」

「おや、日向さん。よくぞお越しくださいました。この度は私どもの油が犯罪に使われるのを阻止してくださってありがとうございました」


 店先に出ていた店主の五兵衛は、日向が来たと見ると向かい合い、深々と頭を下げた。


「そこまでご存じでしたか。お役に立てて良かったです。本当に……」


 ついに感情の堰が切れて涙が溢れ出す。

 涙をこらえていて言葉が続かない。


「おやおや。それほどまでにご心配をおかけしてしまったようで。事件の概要は町方のお役人様に教えて頂いたのですよ」


「……いえ。すみません。それが違って、いえ、それも違わなくないんですけど、私の行動で犯人さんが火罪になってしまって、気持ちの整理が付かないのです。悪い人だとはわかっているんです。罪のない人々の安全を守るためにも阻止するべきでした。止めるよう説得もしましたし……でも、もっと強く引き止めていれば違ったかもしれないのに。結局、私が動いたことであのお侍さんの命を奪う事にもなってしまいました」


 なんとかそう言い終えると、グスッ、グスッと俯いたまま顔を上げられない日向。


 五兵衛は柔らかな歩みで日向に近寄ると肩に手をかける。 

 それは身分差を厭わない、まるで孫を慈しむような仕草だった。


 その行動を見て、武家と町民という身分差をとやかく言う人間は居ないだろう。

 それほどに自然な光景なのだ。


「日向さん、人と言うのは一人では生きていけません。いろんな人と人生が交錯しあって生きているのです。人との出会いには望まないものもあるでしょう。しかし、縁は結ぶも切るも自分で決めるものなのです。私はあなたと知り合えて良かった。今回のご縁を感謝してるのですよ」


「五兵衛さん……」


 五兵衛は、日向の肩にかけた手に少し力を込め、言葉を続ける。


「あなたと会うと、いつの間にやら楽しくなるのです。ほら、そうやって泣かないで。また笑顔を見せてくださいな。その周囲を明るく照らす素敵な笑顔をね」


「……はい」

 

 日向は、いくらか声で五兵衛に応じた。

 まだ涙を湛えるその瞳は明るさを取り戻し、しっかりと五兵衛の目を見ていた。


 やっと顔を上げられた日向。

 かつて幼さを含んでいた面影は、少し大人びて見えた。



 人の悪意は他者を傷つける。

 人の善意は他者を癒す。


 人と人のつながりが濃いこの時代。

 人との関わりは避けられない。


 あの若侍は、火をつける予定だった牢屋敷に囚われ、刑の実行を待つ身。

 彼は日向との会話をどう思っているのだろうか。

 

 それは、本人にしかわからぬ事。

 されど願わくば彼女の優しさが彼に届いていますように。



 日向が傷ついたのは、慮外りょがいの出会いによるもの。

 そして日向の傷を癒したのは、これも人との出会いであった。



『不動の荷車』 了



 ◆◆◆お礼とお願い◆◆◆


 くノ一ちゃんは忍ぶれど ~華のお江戸で花より団子~

 第三話『不動の荷車』をお読み頂き、ありがとうございました。

 不思議な師弟関係が結ばれ、相棒のモモちゃんが登場しました。


 今回の裏テーマは、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど頻発していた火事についてのお話でした。

 この「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉の火事の部分は、火事が起きた時に消火活動をする火消しの人々の格好良さを讃えたもので、そこに華やかさを見出していたそうです。


 それほどに火事の多かった江戸の街での放火を計画した陰謀。

 吉宗とかつての権力者との政治争いが発端となりました。


 次のお話は、幕間『モモの思い出』と言うお話を予定しています。

 本編はこれにて完結となります。

 本エピソード3つお読みいただきありがとうございました。

 

 それでは次のお話もお楽しみに!


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