16.くノ一 二人

 花月屋を張り込んで二日後。

 まだ昼を過ぎたばかりで、のんびりした雰囲気が流れている。

 しかし、太陽だけは夏を前にして張り切っているらしい。

 ジリジリと焼き付けるように強く照らす。


 そこをズンズンと歩く子供。

 小さな肩を怒らせ、花月屋の裏道を歩いている。

 案の定、裏門へと着くと躊躇うことなく戸を叩く。


 ドンドンドンドン。


「聞いておくれよ! 母ちゃんたら酷いんだ。弟ばかり可愛がって、おいらの事ばかり叱るんだ。お兄ちゃんなんだから我慢なさいって。おいらだって遊びたいのに! だから家出してきてやったんだ! おーい、開けておくれ!」


 周りの外聞も気にせず、自分の怒りを戸にぶつける子供。

 親子喧嘩の果てに家出してきてしまったようだ。


 それを影から見ている一人の男の子。


「あっ! 来たぞ。家出してきた子供だ! やっと来た。これでを助け出せるな。でもどうやって日向に知らせればいいんだ?」


 自分の居所は伝えていたが、日向に連絡する術がないようだ。

 すると、哲太の背後から女性の声がかかる。


「私から知らせておこうか?」

「うおっ! 誰だ? ……って日向に似てんな。日向の姉ちゃんか?」


「……そうですよ。日向の姉の日葵です」

「なんだよ、その間は。それに顔がニヤけてんぞ」


「さて、私は日向に知らせてくるわね。動きは無いと思うけど、見張りお願いしても良いかな?これ、おにぎりと水」

「お、おう」


 舞台は佳境。

 待ちに待った救出の機会が訪れた。



 ※



 時は夜。

 場所は花月屋の裏路地。

 そこに潜むは日向と日葵。

 御庭番衆が誇る使い手のくノ一二人。


 日葵は、裏門を挟んで船着き場と反対の角に控え、変装している。

 日向は、軒瓦が影を落とす塀に張り付き、隠れ身の術で存在を消す。


 既に夜は更け、月明かりは薄雲を通して、淡い光を放つのみ。



 鶴松は、家出してきた子供を家出屋の別邸へと届けると、いつものようにその日のうちに帰ってきた。

 舟から上がり、寝床のある花月屋の裏門へと向かって歩く。


 鶴松が路地に入ると、常磐津の師匠に化けた日葵が向かいから歩いてきた。

 浴衣を少し着崩した婀娜あだっぽい姿。

 しゃなりしゃなりと、歩きながら流し目で視線を送る。


 鶴松は視線に気が付き、日葵の方をチラチラと見ながらも、何気ない態度を装い、すれ違おうとする。


 すると常磐津の師匠は急に転んだように蹲った。


「あっ、お兄さんちょっと助けてくださいな。鼻緒が切れてしまって」


 江戸は日々膨張する活気ある街だ。

 その為、常用、日雇い問わず人足仕事が多くあり、田舎から出てくる男たちが、こぞって集まってきていた。


 その結果、江戸の住民の男女比は4:1と男ばかりに偏っている。

 常に女日照りの江戸の男が、このようなチャンスを逃すわけがない。


「それはいけない。私が応急処置をしてあげようじゃないか」


 本人なりに凛々しい声で、そう告げると、鼻緒が切れしゃがみ込んだ日葵と向き合うようにしゃがみ込む鶴松。


 ん?切れてないじゃないか。と鼻緒の状態に気がついた、まさにその時、後ろから忍んできた日向が鶴松の顔に布を押し当てる。


 日向は、鶴松が日葵に気を取られ、背を向けた時から、術を解いて背後に忍び寄ってきていた。

 鶴松は口を塞がれるという不測の事態に身体を硬直させるが、一瞬で体の力が抜け、前のめりに日葵にもたれかかる。


 それを受け止めた日葵は、そっと地面に寝かせ、手と足を縛った。

 そして日向と協力して手と足を抱えると少し北に行った船着場に鶴松を運んでいく。


 船着場には船が付けられていて薮田仁斎が船頭の格好をして待機していた。

 その船に鶴松を転がすと菰をかけ人目につかないようにする。

 一通り作業すると日向を除き、日葵は船に乗りその場を離れたのであった。


「うまく行ったわね。ちょっと睡眠薬が効きすぎてビックリなんだけど。ちゃんと目を覚ますよね?」

「かっかっか。大丈夫じゃわい。半日もすればスッキリ目を覚ますわい」


 やりきった達成感からか船の上は明るい雰囲気だ。

 話している内容は物騒極まりないのだが。



 ※



 残った日向はと言うと、前回花月屋に忍び込んだように、塀を乗り越え、母屋の屋根へと向かった。


 傷を付けて目印にしていた瓦を引き抜くと、苦無を取り出し、仮止めされた野地板の端に差し込む。

 差し込んだ苦無を少しひねると、ペリペリという軽い音ともに野地板が外れる。


 外した野地板を瓦と同様に丁寧に置くと、躊躇いなく屋根に開いた穴に入り込む。

 ルートは変わらない。

 一度潜入した場所だ。難なく鶴松の部屋の上に辿り着く。


 天袋の天井板を外し、侵入口を作ると、火縄で明かりを灯す事もなく頭から潜り込んでいった。

 部屋の家主は、今頃舟の上。彼女にとってなんてことない作業である。


「ありましたね。隠し場所が変わってなくて良かったです。今夜はまだお仕事がありますし、こんな所で時間をかけている場合じゃありませんからね」


 天井裏に上がってきた日向はここで初めて、火縄を出す。

 取ってきた文箱を漁り、あの符丁が書かれた冊子を取り出した。


 そのまま蓋を閉めて元に戻すのかと思いきや、手が止まる。


「そうだ。ちょっと筆を拝借っと」


 文箱にある筆を拾い上げると筆先を舐めて、冊子にぐりぐりと押し当てる。

 その様子から、文字を書き足しているようではない。


「これで良し。八丁堀へ向かうとしますか」


 もう用はないとばかりに、乱雑に筆を戻し、箱を閉めた日向は、文箱を元あった場所に戻して、花月屋から脱出したのだった。

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