第5話 白雪ゼミ開始

「今日から一緒に帰るぞ」


 雪路からの提案を受けた翌日の昼休み、彼女は再び俺を体育館裏へ呼び出し、開口一番そう言った。


「……なんで?」

「馬っ鹿、お前、昨日言っただろ。『白雪ゼミ』だよ。女慣れするためにあたしが協力するってやつ」

「ああ、なるほど」

「今日だけじゃないからな。明日からもずっとだ」


 雪路はやる気にみなぎっている。


「分かった、頼む」

「へへっ」


 と、はにかむ。


「というか帰りだけじゃねえ。できるかぎり一緒に行動するからな」

「気持ちはありがたいんだが、周りにカノジョ持ちって勘違いされないかな」

「まともに話したこともねえ男の女関係なんて誰が気にするかよ」

「ぐっ……!」


 ド正論だけにすっごい胸にきた。雪路のくせにまともなこと言いやがって。


「お、お前だって、俺なんかと一緒にいて変な目で見られたら困るだろ」

「あ? べつに困んねえよ。てめえが同郷の腐れ縁なのは大方の奴らに説明済みだし」

「行動力ぅ……!」


 昨日の今日で外堀が埋まってた。


「安心しろ。女友達がいる男のほうがモテる」

「……本当に?」

「ああマジマジ。コミュ力があるって証明になるからな」

「そうか、なるほどな。……お前、やるな」

「だろ? じゃ、あたしはもどるからな」


 雪路は立ち去り際、ぼそりと言った。


「……チョロ……」

「? なんか言ったか」

「なんも。じゃあ放課後な」


 ひらひらと手を振り、雪路は去っていった。





 放課後、約束どおり雪路との下校を開始した。隣を歩く彼女が言う。


「可憐なお嬢様と同じ空間にいることに慣れろよ」

「可憐なお嬢様ってどこにいるんだよ」

「ここにいるだろうが、ボケ」


 と、ふくらはぎにローキックを入れてくる。


「いって! だったらせめてお嬢様らしくしてくれ」

「どっからどう見てもお嬢様だろうが」

「見た目じゃない。中身だ」

「どこが駄目だっていうんだよ」

「お嬢様は『ボケが』なんて言わないしローキックもしない!」

「ちっ、分かったよ。ビンタにする」

「暴力から離れてくれ……!」


 こんな調子じゃシミュレーションにならない。


「できるだけ気をつけるって。それよりあれだからな」


 雪路は急にそわそわとしだした。


「あ、ある程度、いい感じの仲になってる感じで来いよ」

「『感じ』が多くて馬鹿みたいだな」

「うるせえな! ――うるせえですわよ」

「逆に偽者感がすごい」


 せめて黙っててくれないものか。外見だけはまちがいなくお嬢様なのだから。


 こんな調子でしばらくああだこうだとしゃべりながら歩道を歩いていると、車道をトラックが猛スピードで走り抜けた。


 突風が吹く。雪路の髪とスカートがはためいた。


「うおっ!?」


 慌てて手で押さえたあと、雪路は獲物を狙う熊のような目で俺をにらんだ。


「見たか?」

「え、なにを?」

「……ならいい」


 と、髪に手ぐしを入れる。


 ――はいない。んだ。


 俺は自分の心に言い訳した。


 一瞬だったがしっかりと目に焼きついていた。白いふとももとグレーのスポーツショーツ。小学生のころ、雪路の悪戯でズボンを下ろされたとき仕返しに彼女のスカートをめくったことがある。それ以来の邂逅だった。


 ――育って……、いたな……。


 あんなにがりがりだったのに、肉感的で見事な脚線美になっていた。


 俺は頭を振ってその映像を追いだした。しかし早くなった鼓動はなかなか収まってくれない。


「っつーか湊人が悪い!」


 雪路が思いだしたように言った。


「な、なにがだよ」

「こういうときは男が車道側だろうが」

「雪路なら轢かれても大丈夫だと思って」

「アイ○ンマンじゃねえぞあたしは!」


 なんだか妙に照れくさくて憎まれ口を叩いてしまった。


「じゃあ、こっち来いよ」

「お、おう」


 場所を入れかわる。


「……」

「……」


 その後、俺たちは会話もなく歩く。


 俺が黙っているのはさっきの下着の映像を思いださないように無心になっているからだが、雪路が静かになったのはなぜだろう。


 ちらと隣に目をやる。雪路はうつむき加減で歩いている。目はどこも見ておらず、なにか考え事をしている様子だ。少し顔が赤いのは、もしかしてスカートがめくれたのを引きずっているのだろうか。


 せめて黙ってくれないかと思ったのは事実だ。しかし本当に黙られると――。


 ――めちゃくちゃ気まずいというか……。


 本当に清楚で無口なお嬢様が隣にいるような気持ちになってくる。おかげでシミュレーションするという目的は果たせてはいるが。


 ――やばい、なにも言葉が出てこない。


 こんな調子じゃ恋人を作るどころか、雪路以外の女子とふつうにしゃべるのだって難しいだろう。


 大通りを折れ、緑の多い遊歩道に入る。その間も俺はなにかしゃべろうと必死で頭を働かせていた。


「お、おおい!」


 と雪路がすっとんきょうな声をあげ、俺はびくりとした。


「な、なんだよ突然」

「通行人がいなくなった」

「そうだな」


 遊歩道には俺たち以外いない。


「じゃあ、ほら」


 雪路は左手を差しだす。


「?」


 俺はその手の上に丸めた手を置いた。


「お手じゃねえわ!」

「金ならないぞ。基本キャッシュレスだし」

「カツアゲでもねえ!」

「じゃあなんだよ」

「手だよ」


 俺はその手の上に丸めた手を置いた。


「じゃねえ!」

「分からん、はっきり言ってくれ」

「決まってんだろ」


 雪路はひっくり返った声で言った。


「て、手を――手をつなげって言ってんだよこらあ!」

「な、なんでそんなこと……」

「い、言っただろ。いい感じの仲になってる感じで来いって」

「『感じ』が多くて馬鹿みたいだな」

「それはもういいんだよ! ――いい感じの仲なら手くらいつなぐだろうが……!」

「で、でもあくまでシミュレーションだし」


 動揺して少しどもってしまった。


「シミュレーションだからって手え抜いて、本番でちゃんとできると思ってんのか」

「また正論!? 今日はどうした」

「い、いいからつなげってんだよこらあ!」

「そ、それはちょっと……」

「ははあ?」


 雪路はにやりと口の端を上げる。


「てめえ、ビビってんのか?」

「べ、べつにビビっては……」

「女に触るのが怖えんだろ」

「怖くはない」

「じゃあなんで嫌がるんだよ」


 なんでだろう。なぜかすごく恥ずかしい。


「嫌なんじゃなくて、そこまでさせるのは悪いっていうか……」


 思わず嘘をついた。


「ただ手をつなぐだけだろ」

「でも……」


 雪路は肩をすくめる。


「はいはい、言い訳な」

「ち、違いますー。言い訳じゃありませんー」

「この屁理屈ヘタレ野郎」

「屁理屈はともかくヘタレとはなんだ!」

「屁理屈はいいのかよ……」

「俺はひとより思慮深いだけだ」

「これじゃあかぼちゃ姫が現れたって愛想尽かされるだけだな」

「かぼちゃっぽい姫みたいに言うな」

「姫が興味を引かれるのは王子だぞ? てめえはちゃんと王子になれてんのか?」

「んぐぅ……!」


 また痛すぎる正論を言って雪路は手を差しだした。顔に挑発的な笑みを浮かべて。


「王子なら女の手くらい握れるよな?」

「に、握れるわ!」


 俺はハイタッチをする勢いで雪路の手を握った。


「や、やればできるじゃねえか」

「当たり前だ」

「に、握るだけじゃねえぞ。手をつないだまましばらく歩けるか?」

「問題ない」

「どうだか」

「それくらい朝飯前だ!」


 雪路と手をつなぎ、木々のさわさわと揺れる遊歩道を歩く。


 ――思ったより手、小さいな……。


 ほっそりして、しなやかで、そして温かい、少し汗ばんだ手。


「お前、もしかして緊張してるのか?」

「は、はあ? なんであたしが緊張するんだよ」

「だって汗かいてるし」

「てめえの汗だろうが、このネチョ手野郎」

「ネチョ手……」


 なんだよその言葉。それもヤンキー用語なのか? まあたしかに俺も汗はかいているが。


「じゃあお互いの幸せのために手を離して――」

「もうヘタレたのか小心者」

「ち、違う。お前のためを思って――」

「なんだかんだ理由をつけて手を離しただけだろ」

「そんなことはない!」

「へえ。じゃあ――あそこ」


 立ち止まり、空いたほうの手で遊歩道の出口を指さす。


「どっちがぎりぎりまで手をつないでられるか勝負だ」


 本通りに出ればおそらくひとがいるだろう。


 手つなぎチキンレースだ。


「や、やってやるよ」


 お互い手をきゅっと握り、スタートする。


 出口が近づいてくるにつれ、鼓動がどんどん早くなる。


「み、湊人、さっきより汗が増えてるんじゃねえか?」

「お、お前こそ、力が入ってるな? 緊張してんのか?」

「は?」

「あ?」


 雪路がスピードを上げる。俺もそれに合わせる。


 出口までの距離はおよそ十メートル。


「そ、そろそろ離したくなってきたんじゃねえか?」

「お、お前こそ」


 九、八、七――。


「まだまだ」

「俺だって」


 六、五、四、――。


「……っ」

「……ぅ」


 雪路は俺の手を痛いくらい握る。俺も強く握りかえす。


 三、二、一――。


 あと半歩で遊歩道を出る。その瞬間――。


「ワン!!!」


 横合いから犬の鳴き声がして、


「ひゃ!?」

「うわっ!?」


 俺たちは飛びあがって離れた。


 吠えたのは赤いリボンをしたヨークシャーテリアだった。


「あ、ごめんなさいね~」


 リードを持った上品そうな女性がそう言って前を通りすぎて行った。


「……」

「……」


 俺たちは顔を見合わせる。


「……湊人が先に離したよな?」

「雪路だろ」

「いや湊人だったね。はっ、あんな小さい犬にビビって、情けねえ」

「お前だって『ひゃ!?』とか声をあげてたじゃないか」

「違う! ちゃんと『うおっ!?』って言ってたわ!」

「否定するのそこかよ」


 なんのプライドだ。


「ま、邪魔が入ったし引き分けにしといてやるよ」

「それでいい」


 というか、どうでもいい。俺はいったいなにを熱くなっていたのだろう。


「でも!」


 雪路は俺を指さした。


「またやるからな!」

「も、もういいだろ」

「あたしの手を自分から平常心で握れるくらいにならないと慣れたとは言えねえ」


 たしかに、手をつなぐくらいで――しかも雪路相手に――こんなに動揺していてはお話にならない。


「じゃあまた明日な」


 雪路は走り去った。


 小さくなる彼女の背中を見ながら思う。


 ――俺も同じ方向なんだけどな……。


 雪路の名誉のために、少し時間を置いてから俺も帰途についた。

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