前にお世話したヤンキーが清楚美少女にキャラ変して恩返しに来たんだが

藤井論理

プロローグ、みたいなもの

 スカジャンを着た銀髪の少女がコンビニの前でヤンキー座りをしてこちらをにらみつけている。


 名を白瀬雪路しらせゆきじという。地元では敵なし。その悪名から『地獄の白雪姫』などと呼ばれていた。


湊人みなと


 雪路の写真を表示したスマホから顔をあげ、俺の名を呼んだ人物に視線を移した。


 さらさらとした黒髪。意志の強そうな眉。黒目がちな瞳。つんとした鼻。薄いピンクの唇。


 その姿形はたとえるなら武家の娘。おしとやかそうでありながら芯の強さも感じさせる、和風お嬢様。


 しかし、俺だけは知っている。地獄の白雪姫と、今目の前にいる和風お嬢様が、同一人物であることを。


「なに見てんだ?」


 お嬢様――雪路は怪訝な顔で尋ねた。


「昔を懐かしんでた。今に比べればましだったんだって」

「? まあ元気出せよ」


 と、元凶が俺を励ました。


 中学時代、俺はやんちゃな雪路のお目付役だった。跳ねっ返りの彼女は、なぜか俺の言うことだけは聞く。そのため教師から監視を仰せつかっていたのだ。


 田舎から脱出して都会の学校に進学し、おしとやかな女の子と甘酸っぱい青春を送りたい。そんな夢を持っていた俺は、内申点のためにその役目を懸命にこなした。


 中学を卒業し、晴れてお役御免となった俺は、胸いっぱいに希望をふくらませて都会の学校へやってきた。


 そこでなぜか雪路と再会する。しかも彼女はお嬢様にキャラ変していた。


「ふう……」


 俺は眼鏡を指で押しあげ、気持ちを落ち着けるために中学時代の雪路の写真にもう一度目を落とした。


 落ち着ける必要があった。


 なぜなら今、俺の部屋で雪路とふたりきりだからだ。


 女性陣が権力を持った家庭で育った俺は『強い女』にアレルギーがある。だからこそおしとやかな女子との恋を夢見ている。


 見た目どストライクな雪路に気持ちを揺さぶられるわけにはいかないのだ。


 雪路はにやっと笑った。


「女が部屋に来て嬉しいだろ? 興奮してんじゃねえだろうな。あ?」

「……いや?」


 粗暴な言い回しのおかげで冷静になれた。


 せめてもう少し言葉遣いが丁寧なら……。


 ――い、いや、べつにこいつとどうにかなりたいわけではないけど……。


 というか、さっきからそわそわしているのはむしろ雪路のほうだった。緊張したみたいにクッションに正座し、きょろきょろとせわしなく視線を動かしている。


 その視線が俺のベッドに止まった。


「なんか変な枕だな」


 ふたつの俵がイカダのように並んでつながった形をしている。


「もちもちした感触で気持ちいいぞ。まるで膝枕だ」

「たとえがきめえ」

「違う! 『まるで膝枕』っていう商品名なんだよ」

「ふうん、まるで膝枕……」


 そうつぶやいた雪路の顔が不敵に歪んだ。


「膝枕に似てるかどうかなんて分かるのかよ。実際にされたこともないくせに」

「あ、あるわっ」

「誰に」

「……父さんに」

「父さんかよ!? せめて母さんじゃねえのか」

「い、いいだろべつに」


 雪路はさっきよりそわそわ――というかもう挙動不審になりながら言う。


「へ、へえ、じゃあ……、――く、比べてみるか?」

「……は?」

「だ、だから! 膝枕だよ! 実際のと比べるかって言ってんだ」

「じ、実際のって」

「あ――」


 と、顔を逸らし、頬を赤らめる。


「あたしのに、決まってんだろ」


 ――来た。


 俺は心のなかで身構えた。雪路はまくし立てるように言う。


「ほ、ほら、湊人にもいつか、部屋に来た彼女といちゃこらすることもあるかもだろ? そうなったらお前は無様に慌てるわけだ」

「確定なのかよ」

「だから今から慣れておくべきだろ」


 ふつうの女子とは緊張で話すこともままならない俺のために、雪路は女と接する練習に付き合ってくれている――という設定だ。


 そう、設定なのである。


 つまり本心ではない。


 本当の目的、それは――俺へのアプローチ。


 なぜなら雪路は、俺のことが好きだから。


 それを知ってしまったのは少し前のことだ。


 知りたくなかった。気まずくて敵わない。


 しかし俺のためにキャラ変までしたのだ。もし拒否してしまえば、雪路はまた中学時代のような荒れた生活にもどってしまうかもしれない。


 だから俺は気づかないふりをして、諦めてくれるまで耐えるしかなかった。


「お、俺は昼間から乳繰りあうようなただれた関係は御免だ」

「本番でなにが起こるかなんて分からないだろ。だからいろんな場面を想定して練習するんだろうが」


 くそっ、雪路のくせに正論を言いやがって。


「それともなにか? まさか、い、意識しちゃってんのか? あ?」


 などと、期待するような目で俺を見る。


 ――意識しちゃってるのはお前だろうが……!


「べつになにも」

「ならできるよな?」


 雪路は自分の脚をぺちぺち叩いた。よりによって今日はミニ丈のキュロットスカートだった。ほどよく肉づきのよいふとももが露わになっている。


「正座じゃ高いか? ほら」


 と、脚を伸ばす。


「くっ」


 俺は目を逸らす。


 ――無駄に美脚……!


「『くっ』?」

「ぼ、ボイスパーカッションの練習だ」

「なんで今……?」


 ――雪路を意識してるわけじゃない。女体を意識しているんだ。


 とはいえそれを気取られるのも本意ではない。


 気を確かに持て。好かれたからって好きにならなくちゃいけないわけじゃない。


 俺は強い女たちの呪縛から逃れ、おしとやかな女子と甘酸っぱい青春を送るのだ。


「分かった。じゃあ、寝るぞ」

「お、おう。来いや」


 俺はにじり寄った。雪路は棚に飾られた人形みたいに固まっている。


 改めて彼女のふとももに目をやる。陶器のような滑らかさと、見た目からでも分かる柔らかさ。


 どくどくと心臓が暴れる。


 俺ははっと我に返り、目を逸らした。


 あまり見ないほうがいい。心を無にして頭を乗せる。それだけだ。


 床に手をつき身体を横にしようとして、はたと止まる。


 ――姿勢はどうする……?


 ふつうなら仰向けだろうが、すると雪路と目が合ってしまう。うつ伏せは問題外だ。顔面でふとももを堪能してしまっては正気でいられる気がしない。


 顔を雪路の足先へ向けた横寝が無難だろう。彼女の美脚も眼鏡をはずせばぼんやりとしか見えないし。


 俺は眼鏡をはずし、ゆっくりと身を横たえた。


 側頭部がふとももに沈む。


「ほあっ……?」


 ふにゅっとして熱い。思わず変な声が出た。


「な、なんだよ、『ほあっ』って」

「ぼ、ボイスパーカッションだって言ってるだろ」

「ボイパで『ほ』はないだろ」


 そのあとも雪路はなにか言っていたが、もちもちとした吸いつくような肌触りに気をとられて頭に入ってこない。


 と、耳に息がかかった。


「ひゃああい!?」


 俺はびくりと赤ん坊のように身を縮める。


「ひとの話聞けよ。――ってか湊人、もしかして……、耳、苦手なのか?」


 表情は見えないが、声からにやついているだろうことが手にとるように分かる。


 雪路の顔が俺の耳に近づく。


「じゃあさ、耳かきしてやろうか?」


 わざと息多めでささやくように言うものだから、熱い吐息が耳の穴に這い入って足の先までぞわぞわした。


「い、いらん。耳かきは外耳炎の原因に――ほほおおい!?」


 雪路の長い髪で耳をくすぐられた。くつくつと笑う震動が俺にまで伝わってくる。


「お前、からかうのもいい加減に――」


 抗議しようと上を向く。


 眼鏡がなくてもくっきり見えてしまうくらい近くに雪路の顔があった。


 俺は弾かれたように横を向く。同時に雪路も顔を離した。


「……」

「……」


 沈黙の時間が流れる。


「あ、あ~……。もう充分シミュレーションはできたし、そろそろ起きようかな」

「お、おお。そろそろいい頃合いだな」


 俺は身体を起こした。横目で見ると、雪路は顔を真っ赤にしてうつむき、しきりに髪をいじっていた。


 俺のなかに復讐心が顔を出した。いや、嗜虐心かもしれない。


「じゃあ今度は雪路の番な」


 眼鏡をかけ、くいっと指で押しあげる。雪路は俺を二度見した。


「は、はあ!? あたしがやる必要ないだろ!」

「こっちが膝枕するパターンだってあるかもしれないだろ」

「で、でも……」

「いろんな場面を想定したほうがいいんだろ?」


 過去の自分が投げたブーメランが刺さり、雪路は顔をしかめた。


「……」

「どうした? もしかして、なにか意識しちゃってるのか? ん?」

「し、してねえ」

「じゃあなにをためらうことがある」

「……」


 雪路はしばらく黙ったあと、ぼそぼそと言った。


「じゃ、じゃあ――」

「なんだ? はっきり言えよ」

「じゃあ――、腕枕がいい」


 ――腕枕……!?


「な、ななななにが『じゃあ』なんだよ!?」

「い、いいいいろんな場面を想定するんだろうが!」


 雪路はブーメランを引き抜いて俺にぶっ刺した。


「は、早く、そこに寝ろよ」


 顎をしゃくってクッションを示す。


 拒む理由はもう尽きている。俺はしばらく躊躇したあと、やけっぱちになってごろりと大の字になった。


 ――もう煮るなり寝るなり好きにしてくれ……!


 ぎゅっと目をつむる俺のそばに、雪路の近づく気配がする。少しの間のあと、二の腕に重みがかかった。


「ふぁっ……」


 雪路が変な声をあげた。


「なんだよ、『ふぁ』って」

「ぼ、ボイパだよ」

「『ふぁ』なんて鳴るパーカッションはないだろ」


 雪路は返事をしない。薄目を開けると、彼女はこちらに顔を向けて横寝していた。


 ――なんでこっち向いてんだよ……!?


 どん! どん! と俺の心臓がパーカッションのリズムを刻む。


 と、頭以外にももうひとつ、俺の腕に触れる感触があった。もう一度横目で見ると、それは雪路の手だった。


 その手は二の腕からゆっくりと俺の胸のほうへ這い寄ってくる。


 ――な、な……!?


 胸に触れられたら、激しい鼓動に勘づかれてしまう。


 二の腕を過ぎ、前肩を通り、さらに移動して――。


 ――これ以上はやばい!


「ちょ、ちょっと待て!」


 身体を起こして雪路の手をつかんだ。


 雪路は目を大きく見開いている。俺はそれを覆いかぶさるようにして上から見ている。


 ――……あ。


 この態勢はよくない。まるで手を拘束して襲いかかったかのようだ。


 ――ああああああ!


 俺たちは弾かれたように身を起こし、お互いに背を向けて正座した。


「あ、あの……、これは、違くて……」


 うまい言い訳が思いつかず、語尾がすぼまる。


「湊人、てめえ……、まさか……」

「ち、違っ」


 しかし雪路は俺の予想とはまったくべつの言葉を口にした。


「まさか、乳首が苦手なのか?」

「………………は?」


 ちくび? 乳首、だよな。


「なんで乳首?」

「あ? だ、だって、あんなに慌てて……」


 戸惑ったような声。


 雪路の手は俺の二の腕から胸のほうに移動した。そのタイミングで俺は身体を起こす。


 つまり、『乳首に触られると思って俺が慌てた』、雪路はそう考えたらしい。


「え? もしかして違うのか? まさか、あたしのことをおそ――」

「俺は乳首が苦手です!」


 認めるしかなかった。


「乳首が! 苦手です……!」

「な、なんで泣きそうな声……?」


 どちらにしろ汚名を着せられるなら、強姦未遂より乳首苦手マンのほうがましだ。


「乳首が苦手なんですよ……!」

「何回言うんだよ……」


 雪路は改まった口調で言う。


「分かった。乳首だけはいじらないようにする」

「うん……」


 会話が途切れる。


 ――気まずっ……。


「じゃ、じゃあ、そろそろ帰るわ」


 と、雪路の気配が動く。俺は振りかえった。


 戸口まで歩いていった雪路はふと立ち止まり、ちらとこちらを見た。


「湊人」

「な、なんだ?」

「あのさ……」


 雪路は顔をそむけ、言った。


「も、もう少しぐいぐい来たほうが、いいと思うぞ?」

「い、いや、それはお前に迷惑が――」

「あ、あたしは大丈夫だからさ」

「でも」

「大丈夫だって」

「しかし」

「ああ! ぐだぐだうっせえな! 男なら一発ズドンとかましやがれ!」

「なにをだよ!?」

「そ、そういう意気込みで来いって言ってんだよ!」


 ヘタレ野郎が、と捨て台詞を残し、雪路は去っていった。


 俺は大きなため息をつき、うなだれた。


 ――乗りきった……。


 いくら雪路が俺のことを好きだからって、そんな気持ちで『一発ズドンとかます』なんて不誠実すぎる。


 とはいえ、あんないじらしい態度を見せられたら気持ちがぐらつくのも事実で。


 ――どうにか早く諦めてくれないかな……。


 俺は天を仰ぎ、もう一度大きくため息をついた。




 これが今の俺と雪路の関係である。





 ちなみにその後、『まるで膝枕』を使うと雪路のふとももを思いだして眠れなくなるため、しばくらのあいだ枕なしで寝る羽目になったのだった。

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