第6話 孤軍

「新鮮な肉が食いてー」


 ブロスが声を上げた。


「最近は戦時食ばかりだったからな」


 ミハイルが苦笑する。


 ――グォーン――


 上空をジェット戦闘爆撃機が通過する。


『警戒しろ』


 カールの声と同時にトラックは減速して建物の陰に隠れ、ミハイルとブロスが口を閉じた。ブロスは携帯型対空ミサイルに手を掛けたが動くことはなかった。


 ――ヅォーン……、爆発音がふたつして、トラックが少し揺れた。アテナは家族を失った時の悪夢を思い出した。


 ミハイルがトラックの天蓋を開けて外を覗いた。


『公営住宅がやられた』


 助手席のカールの声がした。


「あの野郎、民間施設を……」


 高高度高速のジェット戦闘機に、携帯式のミサイルは役に立たない。気づいた時には通り過ぎている。地上を走るアテナたちは指をくわえて見守るしかなかった。


 その頃ドミトリー大統領は、西部同盟やライス民主共和国に対して参戦を要請していた。何分、単独で相手にするには、フチン共和国軍は強大すぎたからだ。しかし、共闘に名乗りを上げる国はなかった。


 ――ダダダダダダ……、アテナが自動小銃のトリガー引き金を引いたのは国防軍に志願して7日目のことだった。南部の前線部隊にまる1日かけて弾薬を運び、いつものように怪我人を運んで帰るところだった。


 首都セントバーグから遠いその辺りは国防軍が少なく、フチン軍の侵攻が早かった。突然、装甲車が現れて道をふさいだ。


 トラックは急停止。カールの声がした。


『敵の装甲車だ。降りろ。散開!』


 アテナはミハイルに続いて荷台を飛び下りた。後続車が急停止するのが目の端に映った。


 ミハイルはトラックを盾にしてバズーカ砲を構える。アテナはクリスと共に路肩の樹木の陰に隠れた。


 運転手とカールも転がるようにして路肩に隠れた。刹那、装甲車の重機関銃が火を噴いた。


 ――ドドドドド――


 爆音と共にトラックのボディーに穴が開き、フロントガラスの破片が飛散した。


 ――ダダダダダ……、装甲車の左右に隠れたフチン兵の放った弾丸が、アテナたちの目の前で土煙を上げた。


『撃て』


 カールたちが反撃する。アテナも慌てて装甲車に銃口を向けてトリガーを引いた。肘と肩を揺する強い反動があって、長く撃ちつづけることはできなかった。


 ――ドドドドド――


 重機関銃の2射目でトラックのエンジンが炎を上げた。


 ――ドシュ……。ミハイルが構えていたバズーカ砲が火を噴き、敵の重機関銃が沈黙した。


『クリス、アテナ、撃ちつづけろ。他の者は俺とこい』


 カールは命じ、仲間を伴って木立の陰を前進した。


 アテナは夢中で撃った。狙いなど定めない。いや、どこを撃てばいいのかわからなかった。黒煙を上げる装甲車の周辺に向けて我武者羅がむしゃらに撃った。そうして撃てば撃つほど、敵の弾丸が彼女の周囲に集まった。


 内耳がガンガン鳴り、音への関心が薄れていく。飛び交う弾丸に変化はなく、弾倉の交換ばかりに慣れていく。「クソッ」自分の声だけが聞こえた。


 ギュ、と肩を強く握られてハッとした。アテナの自動小銃だけが弾丸を送り出しているのに気づき、トリガーから指を放した。


「終わったぞ。聞こえているか?」


 ミハイルが、自分の耳を指して訊いた。ワンワンと彼の声が頭の中で反響している。


「あ、ええ……」


 唾をのみ込むと、今度は――シン……、と空気が鳴っているように感じた。それからトラックの燃える音が、音として認識できた。


 壊れた装甲車の前にカールたちが集まっていて、武器を捨てたフチン兵が3名、ひざまずいていた。アテナが夢中になって撃っている間に、カールたちが回り込んで敵を制圧したのだ。


「俺たちのトラックは鉄くずだ」


 ミハイルが炎を上げるトラックを見つめて残念そうに言った。いつも一緒に走っていた別のトラックは無事だった。


 捕虜を数人で取り囲み、カールが戻ってくる。ブロスがフチン語で捕虜を罵倒ばとうしていた。その内容はアテナにもわかる。口にしがたい醜い言葉のオンパレードだ。


「こいつらの仲間が来る前に離れるぞ」


 カールが言った。


「アレクセイ、さっさと乗りやがれ」


 捕虜の認識票に眼をやったブロスが、彼の尻を蹴った。荷台に上がっていたミハイルが彼らを引っ張り上げ、座る場所を指示した。


 捕虜を荷台の奥に押し込め、開口部側にアテナたち6人が座る。ユウケイ軍の犠牲者は2人。遺体は通路に寝かせた。


 トラックが走り出す。


「輸送部隊にしてはなかなかの戦果だが……」


 戦死者に向かってミハイルが頭を垂れ、ブロスなど一部の兵隊は捕虜に怒りをぶつけた。


『我々はここにいる。我々は君と共にいる……ユウケイに栄光あれ』


 クリスは祈るようにスマホを握りしめていた。再生されるドミトリー大統領の演説は、無辜むこの隣国に攻め入り、破壊と殺害を繰り返した捕虜にも、彼らをなじる勝者にも、羞恥しゅうちとプライドを喚起させた。彼らは沈黙し、拳を握った。


 セントバーグに到着するまでのほぼ3時間、荷台は湖の底のような静寂の中にあった。地底から湧き上る気泡のように、時折、再生される演説は希望だった。


 フチン軍は洪水のようだった。一個一個の部隊や軍人は弱くても、次から次へと押し寄せてくる。ユウケイの国土はフチン軍の車両や兵隊に呑みこまれ、孤立する都市や部隊が増えた。大統領の演説は届いても、弾薬や食料の補給が続かない。


 300人、500人、1000人……、毎夜、政府が発表する死者の数が増えた。次は自分かも……。誰もがそう感じながら、考えないようにした。


 補給が滞るのはフチン軍も同じようで、彼らが民家や商店を襲い、食料や燃料を奪うことも珍しくなかった。街を包囲する車両は大河のよどみのようだ。


 カールが指揮する部隊は休む間もなく東奔西走、武器弾薬、食料、医薬品、人間……、様々なものを運び、4度に1度はフチン軍に遭遇し、時に戦い、時に逃げた。


「どうして誰も助けてくれないんだろう?」


 その日も南部戦線からの帰りで、トラックの中には遺体が乗っていた。それを見つめてクリスが泣いた。


 彼女は繊細なのだ。そう考えるアテナは、娘の遺体を抱いて泣いた後は、一度も泣いたことがなかった。


 爆撃でできた穴や破壊され戦車、装甲車を避けるため、トラックは常に左右に揺れていた。それでクリスの涙も、頬を右へ左へ蛇行して落ちた。


「みんな助けてくれているだろう。炊き出しやら洗濯やら……。市民の協力がなかったら、俺たちはとっくに寝込んでいる」


 ミハイルが言った。


「ユウケイ国民のことじゃない。外国よ。国連も西部同盟も、弱い者いじめの現場を目にしながら傍観している」


 クリスが泣きながら怒った。


「あれこれと武器は供給してくれているじゃないか? 携帯式ミサイルのほとんどが西部同盟のもののようだ」


「そうかもしれないけど……」


 クリスが言葉を詰まらせた。


 アテナは、殴られ続けている被害者に、ヘッドギアや鎧、痛み止めの薬を手渡して「頑張れ」と励ます傍観者の姿を想像し、思わずクスッと笑った。


「何が可笑しいのよ」


 クリスが涙目を吊り上げた。


「ごめんなさい……」アテナは、想像した傍観者の話をした。


「なるほど。それは羽交い絞めにしてでも止めてほしいわな」


 ミハイルが共感して見せた。


「いじめを止めて、矛先が自分に向くのが怖いのさ。だって相手は狂人イワンだ。核ミサイルだって使うだろう」


 ブロスがき捨てるように言った。


「第3次世界大戦を回避するために、私たちは生贄いけにえにされるのね」


 アテナが言葉にすると、皆、押し黙る。


『我々はここにいる。我々は君と共にいる……ユウケイに栄光あれ』クリスのスマホから大統領の声がした。


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