私の天使
現観虚(うつしみうつろ)
プロローグ
小さなおとぎ話
天愛司は、天使だ。
……本人曰く。
幼稚園生の時に言ったことだ。文字通りの「天使」。
比喩としてもその通りで、顔も天使みたいだった。でも実際のところ、それ以外は何の変哲もない普通の男の子。
だけどその正体は、「人間に生まれ変わった天使」、らしい。……つまり、見た目も普通じゃないけれど、中身もバリバリ不思議ちゃんだったってこと。
小さい頃の私は、まあ本人がそういうからそうなんだろうって素朴に信じていた。
天使……天使ってそもそもなんだろう?翼は生えていない。後光も差していない。頭の上に輪っかみたいなものも浮いてない。ただ、本人曰く「奇跡が起こせる」らしい。
小さい頃の私は、彼の言葉を全部真に受けていた。
頭の中では、司との運命的でドラマチックな出会いの話ができあがっていた。あのころ何度も脳内再生してたから、今でもちゃんと思い出せる。他人には絶対に言えない。恥ずかしすぎる、ヤバイやつ。しかも自分でも不思議なことに、十歳くらいの頃までは本当に起きたことだと思い込んでいて……。
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その日は私にとって、人生はじめてのおつかいだった。
新しい冒険の世界が開ける瞬間。
他の人がどうだったかは知らないけれど、小さい頃の私は結構夢見がちな性格だった。すこし物事を幻想的に捉えすぎる、そういうタイプ……だから、こんな妄想もしてしまうのだ。
一旦なにかに夢中になると、周りが見えなくなることがよくあった。今でもときどきそうかも知れないけど。
だからその時、目の前の信号が青になったからって、何も考えず走り出してしまったのだった。
横断歩道の向こう岸に、男の子がいるのが見えた。私と同じくらいの背丈の男の子。
その子は私の方を見て驚いた顔をする。何か言おうとしてたかもしれない。
耳をつんざくクラクションとブレーキ音。
立ち止まって振り向くと、すぐ目の前には大型トラックが迫ってる!大ピンチ!
……で、そこで助けてくれたヒーローが司くん、と言う訳で。
「――止まって!」
死にそうな状況で、時間が遅くなる、って話を聞いたことがある。走馬灯ってやつ?そのときは、ちょうどそんな感覚だったと思う。この感覚はとてもリアルに覚えている……多分、ここまでは現実だった。
……そしてここから先が、妄想の部分。
私の空想の中では、トラックが止まったって言うより、時間が本当に止まってた。実際はトラックの運転手さんが止まってくれただけなんだけど。
子供の想像力って本当にたくましい。
トラックの車輪は回っている途中の状態で。その車体だけじゃなくて他の車も止まっていた。歩道を歩いていた人たちも、みんな動きが止まっている。人形みたいに。
目の前に、その子がいた。その子だけは動いていた。
私をかばうように、肩をつかんで覆いかぶさっていた。私は命の危険とは違う理由で、ドキドキした。
このドキドキもまあ現実だった、と思う。……三歳児って普通、異性と触れたからってときめいたりしないかな?
「────だいじょうぶ!?けがしてない!?」
そう言って私と目を合わせた、彼の顔は────天使だった。
幼い私はゆっくりうなずく。
それを見た少年は、とつぜん私の手を取る。その手は、私の心まで包み込むくらいあったかかった。
急に頭がぼーっとしてきて、その子の顔を直視できなくなってしまった。
我ながら、幼児のくせに色気づいていた。手を握られただけでそんなに動揺するなんて。
その子の手は、お父さんやお母さんのものとは明らかになにかが違う。そんな感じがした。素敵すぎて、まるで、私なんかが触っちゃいけないような、そんな感じが。
「けがしてないね。よかったぁ。」
そのまま私は、彼に手を引かれて横断歩道を渡った。
不意に、まだ手を握られていることに気づいて、恥ずかしいから離してくれないかなぁ、って思いながら少年の方を見る。
男の子は、上品に(と言うと小さい子には似合わないけど)首をかしげて、私の目をのぞいてほほ笑むかけた。
「こんどからはきをつけてね!」
そして、ぱっとあっけなく手を離される。
何を言えばいいかわからなかったけど、立ち去ろうとする背中に向けて、慌てて言葉を絞り出す。
「ま、まって!」
彼は立ち止まり、不思議そうにこっちを振り返る。
「……わたしのこと、たすけてくれたの?」
彼は、それがどうかしたの、と言う顔でうなずいた。
「……なまえ、なんていうの?」
「ぼくは────」
これが、私と司の出会いの物語。
三歳の私、
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天愛司との二度目の邂逅は、意外にも早く訪れた。
近所の公園で偶然。
それで、住んでいる場所がすごく近いってわかってから、私たちはよく一緒に遊ぶようになった。
すぐに私は、彼のことが大好きになった。
優しいし、女の子よりかわいいし、気が利くし、声を聴いていると落ち着くし、目が綺麗だし。つぶらでうるんでいて、優しげで。見ていると吸い込まれちゃう気がする。一度目を合わせると、もう逸らせない。
仲良し。親友。……それだけじゃない。大好き。結婚したい、って思った。
そしてある日彼は、私に自分の秘密を打ち明ける。
――僕はね、天使なんだ。
彼はもともと天使として生まれて、雲の上の天界で暮らしていた。でもある時、天界から人間たちに愛を与える使命が与えられた。だから司自身が人間の姿になって、地上に降りてきたのだ、と言う。
私はそれを聞いてとても感激した。
────天使!本当にいたんだ!
────そっか、だからこの子はこんなに綺麗なんだ!
二人そろってメルヘンな頭だった。気が合うのも当然だったかもしれない。
そのころの私達は本気で、「他の人に知られたら大変だから!」とか言って、「二人だけの秘密」にしていた。両親には「交通事故から助けてくれた」とか言った気はするけど。
そのときの私にとってはそれが本当かどうかより、『ふたりだけのひみつ』っていうところが大切だったんだと思う。
私と、司しか知らない、世界でたった二人だけの、秘密。
しかも司はその秘密の力で、私の命を助けてくれたんだから。私にとっては、白馬に乗って駆けつけてくれた王子様も同然な訳だ。
司はやがて、私と同じ幼稚園に転入してきた。
運命を感じた……近所なので当然だったのだけど。
司はすぐにみんなに好かれた。彼を嫌いになる子なんていなかったと思う。
司は特に、担任の先生と仲が良かった。よく二人だけでずっとおしゃべりしてる時があった。多分男の人だったと思うけど、私はあんまり面白くなかった。
でも二人だけでいるときの関係性は、やはり少し特別だった。司はいつも、私の空想ごっこに飽きずに付き合ってくれて、私の思い通りの役を演じてくれた。たいていは、昔話の王子様役だった。時々妖精とか魔法使いだったりもした。
そういえばよく、司と一緒に空を飛ぶ夢も見たことある。よく空想ごっこでやってたことを、そのまま夢に見てたってことだ。確か、五歳の時まで見てた。……やっぱり私の方もだいぶ変かも。
あと、おままごとで恋人ごっこもしてた。……どうだろう。他の人は小さいころ、仲のいい男子とそういうことしない、かな?
友達に聞いたことはないからわからない。でも、相手が司みたいな子だったら、誰でもそうするんじゃないかと思う。
私たちはその空想の中で、最後には結婚までしてしまった。
遊び半分で(実は半分本気で)プロポーズしたんだけど。司は冗談が分からない子だったから、もしかするとあの答えも、真剣に考えて答えてくれたのかも……なんて。
今更、どうでもいい。
「────ありがとう!ぼくもかなたのこと、だいすきだよ!いっしょう、そばにいてあげるね!」
今思い返しても、司が私に対して抱いていた好意がどういうものだったのか────よくわからなくなる。
司はいつでも、私にとって都合のいい役割になってくれた。
親友で、恋人で、お兄ちゃんで、弟で、お父さんで、お婿さんで、王子様で。誰よりも簡単に愛せる相手。
それは本当だったら、妄想の中にしかいてはいけない存在だったのかもしれない……なんて。
小さい子供は、他人を何でも自分の思い通りにしようとする。
そして、それがうまく行かないと怒って泣く。
でもいつかは妥協を覚えて、親とか友達とかの、思い通りにいかない部分と折り合いをつけていく。そうやって成長してく。
かつて子供だった大人なら、みんな通った道だ。
私だってそうだった……でも司に関しては例外。そういう経験は一度もなかった。一度も。
司には、どんなあり得ない期待だって抱いても許される。
私だけに夢の世界への切符を渡してくれる、素敵な男の子。
天使だもの。特別だもの。
そんな風に思っていた。
私の、王子様────────私だけの天使、なんだって。
……思い込んでいた。
でも当然、そんな幸せな幻想は……いつまでも続くものじゃない。そうでしょ?
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