第84話 つまり、

 紫乃の料理を気に入った妖怪は、自然と紫乃に従うようになり、自主的に調伏・使役される。

 それを花見と野菊で知った紫乃は、タンタンコロリンでも同様の事が出来るのではないかと考えた。

 別に紫乃としては妖怪を従えたいわけではないのだが、タンタンコロリンが封印されるのを回避するためには、己の支配下に置いてしまった方がいい。

 調伏してしまえば悪さが出来ないよう見張るのも容易いし、「人に害なすことはするな」と言っておけばそのようにしてもらえる。

 ただただ柿を食べてほしいタンタンコロリンからすれば、願ってもいないような条件だろう。

 そうした説明を受けたタンタンコロリンは、勢いよく膝を打った。


「なるほど! そうした理由があったのか! そりゃあいいや!」


 そして小上がりの畳に両の拳を打ち付けると、深々と頭を下げる。


「では、早速よろしくお願いしたい! えーっと」

「紫乃だ」

「紫乃! 末長く頼む! 柿が必要になったなら、いくらでも持参するぞ!」

「うん。ありがとう」

「じゃ、もう行っていいか!? そういやぁ来た時と違って、体が軽い!」


 紫乃に使役されることを了承したタンタンコロリンは、護符まみれの天栄宮てんえいきゅうの中でも自由に動けるようになったらしく、立ち上がって身軽に体を動かし始めた。

 一連の様子を眺めていた凱嵐がいらんは、求肥に塗れて白くなった口を手のひらでぐいと拭うと、紫乃に向かって言った。


「花見と野菊に、タンタンコロリンを雨綾うりょうまで送って行くよう伝えてくれぬか」

「わかった。花見、野菊」

「……紫乃を一人にするわけにはいかにゃい」

「俺がついてる。問題ない」

「だってよ」


 紫乃が言うと、花見は凱嵐を胡乱な目つきで睨んだ。


「なら、まあ……紫乃に何かあったらタダじゃおかねーからな」

「きちんと守る故、心配するな」

「……おみゃあ、ついてくるにゃあ。野菊も」

「ああ! じゃ、紫乃、またな!」


 花見の先導に付き従い、タンタンコロリンは元気にくりやから去って行った。

 凱嵐は小上がりから立ち上がるとわざわざ厨の扉を閉め、紫乃に向き直る。

 紫色の瞳は鋭く細められ、まるで猛禽類のような獰猛さを内に秘めていた。

 只事ではない凱嵐の様子に、送ると言うのは体のいい言い訳で、邪魔になる花見たちを追い出したのだな、と紫乃は直感する。

 ピリリとした空気を纏わせた凱嵐は、紫乃の前まで来ると、そのままいつもより低い声で言う。


「さて……紫乃。話をしようか」


 先ほどまで妖怪三匹と一緒に柿大福を頬張っていた人物と同一とは思えないほど、凄みに満ちた声音だった。


+++


真雨皇国しんうこうこくの成り立ちを知っているか」

「いえ」


 小上がりに座るよう促された紫乃は、開口一番に凱嵐にそんなことを聞かれ、答えた。

 短く首を横に振った紫乃に、凱嵐は丁寧な説明をしてくれた。


 遠い昔、ばつという一匹の妖怪がいた。

 干魃かんばつをもたらすこの妖怪がいるせいで、付近一帯には雨が降らず、住む人々は作物が育たぬことで飢饉に苦しみ、餓死者が大量発生したという。

 水分が抜け切り乾いた大地に君臨し続けるばつを倒すべく、一人の男が立ち上がる。

 男は剣を手に一人でばつに立ち向かい、そうしてとうとう討伐に成功した。

 ばつが断末魔を上げて地面に倒れ伏した瞬間、空を雨雲が支配し、大地に雨が降り注いだ。

 人々は久々の雨に感謝をし、天に祈りを捧げると共に、ばつを倒した男を崇め讃えた。

 男は「」という苗字を得て、以来、「真雨皇国」と名を変えた国の統治者となった。

 雨の一族は総じて妖怪が見える特殊な力を持ち、勢力を伸ばし続けた。

 やがて一族が増えるにつれ、「討伐」の力を持つ者と「調伏・使役」の力を持つ者とに分かれて行く。

 数百年の歴史の中、代々の皇帝はずっと雨一族であったものの、内情は少しずつ変わっていく。

 初代皇帝は「討伐」に優れた力を持っていたが、いつの間にか「調伏・使役」が得意な者が皇帝の地位に就くこととなる。そして陰陽府なる政務部が出来上がり、妖怪が他の者にも管理出来るようになった。

 「討伐」に優れた雨一族は剛岩ごうがんに移り住み、国の安寧のために剣を握って尽力し続けた。


「とまあ、これが国の成り立ちと皇帝である雨一族についてのざっとした歴史だ」


 紫乃は頷く。


「それで、次はお前の方の話になるのだがな。なぜお前の母が、『伝説の御料理番頭』などと呼ばれるようになったのか、知っているか?」

「いえ」


 急に話が飛んだな、と思いながら紫乃は首を横に振る。

 今まで散々「伝説だ」と伴代ばんだいに言われていたが、そういえば理由について尋ねたことがなかった。

 凱嵐は袖口に両腕を突っ込むと、話を切り出す。


「お前も知っての通り、御膳所の御料理番というのは男の仕事だ。御膳所での女人の仕事は給仕・毒見に終始する。今まで女人が御料理番を勤めたことはなかったらしい。……紅玉こうぎょくが現れるまでは」


 曰く、紫乃の母である紅玉というのは規格外な女性だったのだという。

 雨綾の町で人気の食事処を切り盛りしていたという紅玉は、噂を耳にした当時の皇帝に天栄宮に呼びつけられ、料理を披露。

 作り上げられた料理はどれも目を見張るもので、すぐさま御膳所で働くよう命じられた。

 この時に皇帝が気に入ったのは、紅玉の作る料理だけでは無い。

 彼女の生い立ちもまた、皇帝の気に入るところとなった。

ーー紅玉は、緑の瞳に赤い髪、そして雪のように真っ白な肌を持っていた。

 はく皇后と同じく、隣国の雅舜がしゅん王国の出身者の証だ。

 隣国より一人、嫁いできた白皇后を思い、紅玉の作る料理を食べて故郷に思いを馳せてほしいと考えた皇帝であったが、これに反発したのは白皇后その人であった。


「わたくしはこの国の皇帝に嫁いできた身。今更祖国を思い起こすなど、あり得ません。生涯を真雨皇国に尽くそうと誓っているのです」


 白皇后は身分にこだわりのある人物であり、いくら同国の者とはいえ、卑しい庶民出身の紅玉を決して認めなかった。

 だが皇帝の意志は変わらず、紅玉の料理の腕を高く買い、女だてらに初の御料理番頭にまで登り詰める。

 それどころか、病弱で部屋からほとんど出られない皇太子秋霖しゅうりんの食事係にまで任命してしまう。

 紅玉の作る料理はどれも、宮廷作法を守りつつも胃に優しく栄養価に優れ、四季折々の食材を使って見目にも麗しい品だった。

 それまでの病人食を受け付けなかった秋霖しゅうりんもこれに喜び、食が進むようになったのだという。

 女人にして初めて御料理番として召し上げられたばかりか、病がちな皇太子様の食事をも任された夕餉ゆうげの御料理番頭」として、紅玉は「伝説」とまで讃えられるようになったのだという。

……だが、それが悲劇の始まりだった。

 秋霖しゅうりんは料理が上手いだけでなく、話し上手で気さくな紅玉こうぎょくに次第に心が惹かれていき、紅玉もまた天栄宮の一室からほとんど出られない病弱な皇太子に同情するようになる。

 心を通わせた二人は、身分の垣根を超え、一つの過ちを犯した。

 それを知って激昂したのは、先代皇帝ではなく白皇后だった。


「……殺せ! この醜聞をもみ消すためには、あの女を殺すのじゃ!」


 かくして誰かが止める間もなく、紅玉は皇太子に毒を盛ったという罪を着せられ、投獄。

 翌日には処刑が執行されたのだという。



 凱嵐の語った衝撃的な内容に、紫乃はしばし呆然とした。


「……その話は、どこの誰から聞いたのですか?」

「当時、秋霖殿の世話係を任じられていた女人から。探すのはなかなかに難儀したのだがな。突き止めたらあっさりと話してくれた」

「でも、その話……最後の部分が」

「あぁ。おそらくその先は、真実を知る者がほとんどいないのであろう」


 そう。

 凱嵐の語った話で終わりとなれば、紅玉は処刑されている。

 しかし実際には紅玉は生きていたのだ。


「ここからは俺の推察だが、おそらく紅玉の投獄を知った秋霖殿が、父である皇帝に助命を申し出たのであろう。そして息子の願いを聞き届けた先代皇帝は、影衆を使い紅玉を逃した。紅玉は命を救われ、生きて、屹然きつぜんの山間でひっそりと暮らしていた……秋霖しゅうりん殿との間にもうけた、一人の娘と共に」


 突きつけられた事実は、おおよそ受け入れ難いものであるにも関わらず、嘘というにはあまりにも出来すぎていた。

 凱嵐はなおも言葉を続ける。

 紫乃は、自分と同じく澄んだ紫色をしている凱嵐の瞳から、目を逸らせなくなっていた。


「天栄宮に連れ帰った時から、おかしいと思っていた。この護符で守られた天栄宮の中で、なぜ花見が自由に動き回れる? 野菊もタンタンコロリンにしてもそうだ。お前の料理を食べた妖怪は、お前に従うようになり、天栄宮でのびのびと振る舞える。

……天栄宮には、皇族か、皇族の血を含ませた札にて調伏・封印された妖怪しか出入りができないはずだ。

 つまりお前には……皇族の血が流れている」

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