第46話 桜の蜂蜜酒

 刺客に襲われた翌日、花見は紫乃が朝の食材確認で出て行ってしまってからも部屋でダラダラゴロゴロとしていた。

 別に昨日の疲れが残っているとかそんな殊勝な理由ではなく、単純に花見が朝に弱いせいである。

 大体、この天栄宮てんえいきゅうに来てからというもの、紫乃の生活は一変した。

 明け六つには蔵に集合だと言ってさっさと起きて支度をしているし、夕餉ゆうげの後片付けが終わって眠りにつくのは夜の四つ午後十時を過ぎていた。

 それが毎日だと言うのだから、全くどうかしていると花見は思う。

 もっと小屋にいた時のように、適当に日々を過ごしてほしい。けれどそれを言い出せないのは、ここに来てから紫乃が割と楽しそうにしているからだ。

 美味い美味いと料理を食べる人を見る時の紫乃の顔は、柔らかい。

 紫色の瞳を細めて、唇に弧を描き、嬉しそうに微笑んでいるのだ。

 花見と最初に出会った時の紫乃もそんな顔をしていて、妖怪相手になんて顔するんだと呆れた記憶が蘇る。花見は紫乃を喰ってやろうと近づいたのに、そんな気持ちが消え失せるような表情だった。


「……お人好し」

 普段は結構表情にも感情の起伏にも乏しいのに、料理が絡んだ時だけは怒ったり喜んだりする。

 そんなんだから、放っておけない。


「まあ、ここだと美味いもんいっぱい食えるからいいんだけど。狩がしたりにゃあ」

 ゴロゴロダラダラ、窓の欄干の上に寝そべりながらのんびりしていると、人の気配がした。


「にゃ?」


 下を見ると、欄干に手をかけて華麗に乗り込んでくる男が一人。


「よう、猫又」

「お前、何しに来た」


 帝国皇帝、凱嵐がいらんである。身軽すぎる皇帝の登場に花見は胡乱な目つきで凱嵐を見た。目つきの悪い花見など気にせず、凱嵐は欄干に体重を預けてあっさりと言う。


「牛鍋を食わせてやれなかった詫びを持ってきた」

「あれは団子と引き換えに貸し借りなしになったはずだにゃあ」

「団子の件は、隔離小屋までついてきてくれた事でチャラになっている。だから小屋に入ってくれた礼をしないとな」

「律儀なやつだにゃあ」

「俺は約束を守る男だ」


 言って凱嵐は懐に手をつっこみ、何かを取り出した。欄干に置かれたそれは陶器の細長い瓶だ。

 花見はそれを持ち上げ、振ってみた。チャプチャプと音がする。

 続いて栓を抜いて匂いを確かめると、つんとアルコールの香りがする。


「酒か」

「天栄宮御用達の酒蔵で造られた蜂蜜酒だ。桜の花の蜜が使われている」

「桜の蜜か。なかなか趣味がいいにゃ。褒めてやろう」

「妖怪に褒められるとは、光栄だ」


 凱嵐の礼を聞き流しつつ、花見は一回転して人間に化けた。猫の状態で何かを食べたり飲んだりするのは不便なので、飲食時には人間になる。そして酒を飲む時には、成人男性に化けるよう気をつけていた。

 よって、今の花見はいつもの少年姿ではなく、どこか儚げで繊細な青年の姿になっている。

 花見はどっかり座ると酒盃も使わず、一気に瓶の中身を煽った。

 喉仏が上下に動き、グビリグビリといい音を立てて酒が食道を通って胃の中に流れ込んでゆく。

 儚げで繊細な青年姿で豪快に酒を煽る姿は中々にギャップがあった。

 しかし凱嵐はそんな花見の様子を、「おぉ、威勢がいいな」と嬉しそうに見つめていた。

 凱嵐自身もかなり豪快な人物なので、花見のような人間は嫌いではないのだ。厳密には花見は人間ではないけれど。


「うはぁ、いい酒だにゃあ。おかわりないのか?」


 あっという間に飲み干した花見は、手の甲で顎を伝う酒を拭いながら凱嵐に問いかけた。


「もう一本持ってきているが、紫乃への土産だ」

「あいつ、酒は飲まないんだ。ワテが代わりにもらおう」


 凱嵐が取り出した二本目の瓶をひったくると、栓を開けてすぐさま口にする。


「結構度数が高いから、そんなに飲むと酔っ払うぞ」

「……あぁん? ワテを誰と思ってる。天下の猫又妖怪様が、酒に飲まれるかっての」


 片眉を吊り上げ、八重歯を剥き出しにして不敵に笑う。傲慢不遜な物言いに、凱嵐は短く「そうか」と頷くと欄干に腰掛けたまま花見の好きなようにさせた。


「で? 皇帝サマがこんな場所まで何しにきたってんだにゃ」

「昨日の隔離小屋の様子を聞こうと思ってな」

「あぁ、にゃんだ、そんな事」


 空になった二本目の瓶をその辺に転がすと、花見はつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「死臭のひでぇ場所だったな。どいつもこいつも助からにゃあ」

「患者の年齢、性別は?」

「みーんな一緒、働き盛りの男ばっか。皮膚がブヨブヨで、息苦しそうにしてて。寝たきりで体を起こすのも無理な様子だったにゃ」

「なるほど……報告と同じだな」


 凱嵐は人差し指を顎に当て、花見の話に頷いた。


「ま、ニンゲンってのは弱いから、すぐに病にかかって死ぬ」

「そこをなんとかするのが俺の仕事なんだが」

「なんともならんだろ。自然の摂理に任せるのが一番だにゃあ」

「自然の摂理から外れたような存在の妖怪が何を言う」


 凱嵐は花見をちらと見た。青年姿の花見は、畳に寝そべりダラダラしている。黙ってきちんと座っていれば目もみはる美青年姿であるというのに、この妖怪にはきちんとしようという気がサラサラないらしい。

 そんなだらけきった花見は、大の字に寝そべりながら凱嵐に話しかけた。


「お前さー、紫乃の事どうするつもり?」

「どうする、とは?」

「普通の人間じゃにゃいと思ってんだろ? 紫乃の正体がとんでもねー奴だったら、殺す? 追い出す?」


 花見は気軽な調子で問いかけたが、目線は酷く鋭かった。


「……俺は紫乃の料理が気に入っている。守ってやりたいと思っている」

「ふーん? 無理やりこんな場所に連れてきたのは、見張るため?」


 花見は上体を起こしてなおも問いかけた。もはや視線には敵意を隠そうとしていない。


「守るためだ」

「どうだか」


 その一言は、吐き捨てられた。


「紫乃を傷つけようとしてみろ、ワテが許さないからな」

「肝に銘じておこう」


 花見の剥き出しの殺気を受け止め、凱嵐は真剣な声音で答えた。


「さて、俺はもう行く」


 しばしの静寂の後、凱嵐は唐突にそう言って欄干から飛び降りた。木の枝に手をかけ、ひらりと地面に降り立つと、何事もなかったかのように林の間を抜けて正殿へと向かっていく。

 花見は欄干から身を乗り出してそれを見つめた後、なんだか無性に紫乃に会いたくなり、部屋を出て探しにいくことにした。

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