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 どうやっても辻褄が合わなくなった世界はされる――というのは加賀のセリフだ。

 大げさに言っているだけだと信じたいところだが、そうでないことをオレたちはすでに知っている。


 ――ノアの方舟を始めとする大洪水。

 ――ソドムとゴモラ。


 その他もろもろ。


 ただの伝説かと思えば、全く無関係な文化圏にも同じ伝承が残っており、世界が初期化される事態というのは、決してありえない話ではない。


 つまり、こうして華道部でダラダラ過ごしたり、加賀の鬱陶しい蘊蓄に付き合ったりすることが、そのまま世界を救うことに直結している――らしい。



 ……馬鹿じゃねぇの?


 ▽


「今度は、遊園地で落下事故が起きた」

「「?!」」


 加賀の台詞に俺とトオルは顔を見合わせる。


 落下事故。

 空に落ちる。


「ど、どうなったんです?」

「今のところは暫定的に出し物ショーとして記憶を上書きしてるけれど、そのまま押し通す事はできないだろうね」


 ごまかすのは相当大変だろうね、と加賀。

 相変わらず芝居がかっていて、どこか本音が見えづらい男である。


「何とかならないんですか? その、辻褄合わせというか」

「そうだなぁ……いっそ Hハチソン.Effect を再評価しようかって話まで出てるみたいだけど、そうなると影響範囲が広すぎるから……」

Hハチソン.Effect?」


 なんか聞いたことがあるような、無いような……。


「なんです? それ」

「50年ほど前に、ジョン・ハチソンという発明家が見つけた、重力に関する法則の綻びだよ」

「はぁ……」

「いわゆる反重力現象や、物体浮遊現象なんだけど」

「トリックなのでは?」

「うん、そういうことになった。ハチソン氏には申し訳ないけれど、もうその穴は塞がれた」


 だから、同じ実験をしても再現性はなくなった、と加賀は言う。


 と、いうことは……。


「え、もしかして、反重力が実際に存在してたんですか」

「そうだよ。というか……誰も気づいていなかった物理法則の穴に、ハチソン氏だけが気づいたんだ」

「おお」

「そりゃもう、大喜びで世界中に宣伝しまくったようだよ」


 なんでも「新エネルギー技術シンポジウム」という世界的な技術イベントでいきなり発表されたらしい。

 それも、発表までは管理者は誰も気づいておらず――それもそのはず、ハチソン氏が行なったのは魔術的手法ではなく、あくまで物理学やエレクトロニクスの分野での試行錯誤だったからである。


 じゃあ、もしそれが認められていたら、重力をコントロールすることが可能だったんじゃ……?


「もちろんそうだ。でも、あれはあくまでバグというか、物理法則の綻びを突いた、イレギュラーな現象だ」

「じゃあ……」

「もちろん、即座に穴は塞がれた」

「ええ……」

「ハチソン氏の心中を思うとやりきれない気持ちになるね」


 いや、たしかにそうだけど、あんたはそんなタマじゃねぇだろ。


「なんで管理者に認められなかったんですか?」

「うん。重力は、時空と密接に関係する。重力のコントロールができるということは、つまり時空をコントロールするということであり、例えばテレポーテーションなども可能になりうる」


 実際、ハチソン氏はテレポーテーションの実験に成功していたしね、と加賀は言った。


「すげぇ、夢の技術じゃん。ドラえもんみてぇ」

「いいことじゃないですか」

「だが、我々にはそこまでの権限はないんだよ」

「権限?」

「時空を制御できるようになるのは、当分先だ」


 人が重力に逆らって空を飛ぶことは許されていない。

 故に、「空を飛ぶ」ではなく「空に落ちる」――。


 この現象に、未来に渡って破綻のない理論を紐付けることができない以上――――。


「で、だ」


 加賀は俺とトオルを見てニヤリと笑う。


「会ってほしい人がいるんだけど、頼めるかな」


 会ってほしい?

 俺らに?


「え、誰です?」


 加賀は笑みを深くして答える。


「蒐集家、オッペンハイム卿」


 ▽


 というわけで、俺とトオルは連れ立って隣町のコンビニ前の駐車場へ向かうこととなった。

 隣町へは電車で移動。


 ……不安だ。


「阿先輩、緊張してます?」

「緊張っていうか……ビビってる」


 俺の正直な感想を聞いて、トオルがクスッと笑った。


「阿先輩もビビったりするんですね」

「え、何。お前、俺を何だと思ってんの」


 くっそビビりだぞ、俺。


「だって、阿先輩、剣道で県代表に選ばれたりしてたんですよね? 強いじゃないですか」

「何お前、剣道三倍段とか信じてるタイプ?」

「違うんですか?」

「本物の上級者は知らんが、俺程度だと普通に喧嘩に負ける」


 負けるから喧嘩はしない。

 喧嘩はしないから負けたことはない。


「そうなんですか……」


 なんでちょっとがっかりしてるんだよ。


「……俺の剣道のこととか、どこで知った?」

「え、だって有名ですよ、先輩って。あと、絵とか、バイオリンとか……」

「やめてくれ。どれも全部実にならなくて、辞めたんだっての」


 努力倦怠期なんだよ、俺は。


「『阿千里あくつせんりは何でもできる』って噂でしたけど」

「そんなわけあるか……」


 だいたい、俺が何にでも手を出していたのは、才能があったからでも、突き動かされるような情熱があったからでもない。


 いわば、劣等感コンプレックスによるものだ。


 ▽


 子供の頃。

 俺は、自分がヒーローでもなんでもない、何者でもないことに気づいた。


 周りの連中を見ていると、何の根拠もなく「自分はすごい存在だ」と思い込んでいた。

 それは子供らしく浅はかで、無知ゆえの傲慢で――そして実はこの上ない強さでもあったのだ。


 俺には、その強さはなかった。

 自分の無能さに気づいてしまって――俺は傲慢な子どもでいられる権利を失った。


 つまり俺は、誰よりも弱かったのだ。


 だから、俺は無様にあがき、あらゆることに手を出した。

 何でもいいから、他人より優れた何かを手に入れたかったのだ。


 そのおかげで、俺はそこそこ何でもできるようになり――しかし、常に「これじゃない」という違和感と共にあった。


 中高生の画展で賞を取ろうと。

 剣道で賞を取ろうと。

 ヴァイオリンで賞を取ろうと。


 どれも「これをするのは、別に俺じゃなくてもいい」と、漠然とした焦燥感を拭えなかった。


 ▽


 その上、桜子の存在があった。


 ファザコンとマザコンとブラコンという業の深い星の下に生まれてきた桜子は、どうやら俺の無様な努力を、楽しいからやっているのだと勘違いらしい。


(そんなこと――あるわけねぇだろ)


 桜子は俺の後ろを追って剣道を始めた。

 努力を惜しまず、何でも楽しめてしまう桜子は、しまいには県内でもそこそこの成績を残せるまでになった。


 そして、何故か俺はそんな桜子にだけは勝てない――そもそも剣道では男女混合で試合をしないが、そこは兄妹である。何度となく試合を行い、どういうわけか桜子にだけはほとんど勝つことができなかった。


 成績だけ見れば、俺のほうが圧倒的に勝っている。

 桜子は近畿大会はおろか、県代表選抜にだって入ることはできなかったし、勝ち星もまぁまぁ程々というところ――しかし、どういうわけか俺が相手になると、圧倒的に強くなる。


 兄が妹に気を使っているとか、接待試合とかいろいろ言われたが、とんでもない。

 俺は打倒桜子を掲げて研究を怠らなかったが、それでもどうしても桜子に勝ち越すことができなかった。


 躍起になって妹を攻略しようとし続けて――俺は誰かと何かを競うことに向いていない事に気づいてしまった。


 俺には、人に勝つ、誰かに勝る、そういったことに対して情熱がなかった。

 他人より優れた人間であろうとしたのは、いわば必要だからであって、そういった強い意思があるわけではなかったのだ。


 そのうちに俺は、本当はやりたくもない、楽しくもない剣道に対し「妹に勝つ」などというくだらない目標を見出した自分がバカバカしくなり――そのうちに努力そのものがアホらしくなった。


 ついでに、絵を書くのも、ヴァイオリンも、その他の努力してきた諸々を、全部投げ捨てた。


 あのときはちょっとした騒ぎになったものだ。

 俺のことを「何でもできる神童」みたいに勘違いしていた連中が、腫れ物を触るように接してくるようになった。


 いや、こちらはやりたくもない努力を辞められて清々してるっての。


 これでやっと、人並みに友人たちとカラオケに行ったり(わざと下手に歌わないといけないのがネックだ)、ラーメン屋に並んだりと、遅ればせながらバカバカしい青春を送れるようになったと思ったのだ。


 傲慢な子どもでいられる権利を取り戻せたと、そう思っていたのだ。


 それなのに――


 ▽


「先輩、付きましたよ」

「え、あ、ああ……」


 フッと現在に意識が戻る。

 どうやらトオルが昔の話を持ち出したりしたから、ちょっとナーバスな気分に陥っていたようだ。


「行きましょう」

「そだな」


 そう、ようやくバカバカしい青春を送れると思っていた俺は。


 こうして、魔術師の世界になんぞ足を踏み入れて、こうしてパシリにされているというわけだ。

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