第15話 過去と現在


『こんばんは、レイラ。今日は貴女の能力の検証なのよね? 検査内容は聞いてないけど、頑張ってね?』


『……ええ。ありがとう』


『何をしている。こっちだ、ハイマン』


『あ、博士。はい! じゃあ、また後で!』


 ―――待て! ミッシェル、行ってはだめだ! その先には……!




『ヘヘ、思った通り、野暮ったいツラだが、いい身体してやがる』


『待て、モーガン。貴様は後だ』


『おっと、そうでした。おい! 暴れんなクソ!』


『イヤ! イヤあ! クロウに乱暴しないで! 誰か助けてえ!』


 ―――ミッシェル! なんで!……なんで僕は!




『ああ……美味いな。やっぱ若い女は美味えわ』


『クロウ……クロウ……サヨ‥‥‥ナ……』


 ―――ミッシェル!!!!




***




 聞こえてくるのはピアノの音。

 時折、つっかえながら、同じところを繰り返しているようだ。

 少しずつ意識が覚醒していく。

 見慣れたモルタルの天井が、ケンタロウに居場所を、いつもの事務所だと教えてくれる。


(今日は……そうか。レインのレッスンの日だったな)


 コンラッドの件があった後、レインと相談の上、彼女の家の音がケンタロウの事務所に届く様、ワイヤレスで事務所のスピーカーに飛ばせるようにしてあった。

 レイン側でマイクをオンオフできるようにしているのでプライバシーは保てるようになっている。

 ピアノの教師は女性だが、念のためスイッチを入れているのだろう。

 たまにレインが妙な遊びに使うのが困りものだが……。


 時刻は18時。調査報告書の作成中、軽く一休みするつもりでソファに体を横たえていたはずが、1時間くらい微睡んでいたらしい。

 脳裏をよぎる夢の―――過去の情景。


(何年経とうが、忘れられるわけがないんだよ、真一郎。これに片を付けない限り、僕は、決して)


 手が白くなるほど握り締められる拳。


 ピアノがまたつっかえた。

 同じところからの繰り返し。約1年で初等部教育と貴族教育を終えたらしいあの天才少女も、ピアノは苦手らしい。

 ふ、と吐息が漏れる。


(笑っているのか、僕は)


 レインのピアノ、決して上手くはないそれを聴いて―――ケンタロウの心は明らかに、幾ばくかの慰めを得ていた。


 立ち上がってキッチンへ移動し、コーヒー豆を戸棚から取り出す。

 レインのピアノに耳を傾けながら、電動ミルで豆を挽く。

 同時に湯を沸かし、紙フィルタに豆と共に注いで、香りが部屋を満たすあたりでレッスンが終わったらしく、ピアノ教師と別れの挨拶を交わすレインの声が聞こえる。

 マグカップにコーヒーを注ぎ、ソファに腰を落ち着ける。


(今日はもうマダム・アボットは帰っている頃合いだな)


 レインが雇っている通いの家政婦、マダム・アボットは、夕食の準備をしてから夕方ごろに帰る。

 そろそろレインの部屋のマイクはスイッチが切られるだろう。

 報告書作りを再開しようと考えたその時。



『レインちゃんのぉー、エー・エム・エス・ア~ル。……あら? エー・エス・エム・ア~ルだったかしら?』


 ブフッ。

 唐突にスピーカーから流れてきたレインの声に、咽るケンタロウ。

 それもマイクにごく近いところから話しかけているようで、息遣いまで聞こえてくる。


(今日は、そう来たか)


 咳払いして咽た喉を落ち着かせる。

 先週はラジオ番組のていで30分ほど喋っていた。

 今日はどうやら動画配信者のていであるらしい。


『女性が何かを食べる音を聞くと男性は喜ぶと聞いたので、今日はアボットさんが作ってくれたご飯を頂こうと思います。ロウもご一緒にい・か・が?』


 ケンタロウは親指でゆっくりとこめかみを揉み、軽い頭痛をほぐす。

 最近のうちのご令嬢はサブカルにも興味津々なご様子だ。


『今日のメインディッシュはロールキャベツでーす! ……んむ、はむ、ごくん、ん~~おいしー! もむ、あむ、ごっくん、フライドポテトもカリッと揚がってて、んむ、ケチャップとマスタードが最高~~!! カロリーの暴力~! ……う~ん、でもこれ、全部は食べきれないなー。アボットさんはいつも少し多めに作られるのよね。あーあ、もったいないなー。でも頑張って食べると太っちゃうし、誰か素敵な男性が手伝ってくれないかなー。今日はミス・スミスも仕事で首都へ行ってるから帰らないって言ってたなー。ちらっちらっ』


 意識すると空腹を感じる……そういえば、昼を食べていない。

 『ちらっちらっ』を3回聞く間だけ悩んでから、ケンタロウは携帯からレインへメッセージを送信する。


『! あらあら! リスナーの皆さん、今から私のダーリンが来るそうなので、今日の配信はここまで! しーゆ~!』


 プツッ、とスイッチを切った音がして静寂が訪れた。


(リスナーは僕だけだと思うな)


 内心で突っ込みをいれたケンタロウは、上着を羽織り、戸締りをして事務所を出る。

 その顔にはもう、悪夢の残滓はほとんど見られなかった。




◆◆◆




 そこは最近出店してきたダイナーだ。

 他国の企業が資本だが、レトロで派手な看板とジャンクなフードが評判で、夕食時のこの時間はかなり繁盛しているようだ。

 楽譜の入ったトートバッグを肩から下げた20代後半くらいの眼鏡の女性が、慣れた様子で混みあう店内に足を踏み入れ、視線を左右に振って誰かを探している。


「こっちよ」


 ぽっちゃりした体形の中年女性が窓際の席から手を振る。

 眼鏡の女性が近寄ると、中年女性の前には半分以上食べられた大きなハンバーガーと少しだけ残ったフライドポテトが乗った皿が並んでいるのが見えた。


「相変わらず健啖ね」


「料理は脂をどれだけ美味しく頂くか、さ。その点、この店はいいね!」


「なるほど?」


 眼鏡の女性が向かいの席に腰を下ろすと、すぐにウエイトレスが注文を取りに来た。定番のフィッシュ&チップスとビアを頼む。

 注文の品が来るまでたわいもない話を交わす2人は、ペンドルトン子爵家に雇われた家政婦のアボットと、音楽教師のベイカーだ。

 運ばれてきたビアで乾杯し、揚げたての料理をつまみながら会話を続ける。


「で、どうなのお嬢様は」


「音楽の才能は無いわね。ピアノに集中させたら、いくらか形になってきたわ」


「そっちはどうでもいいわよ。肝心の『レシピ』については?」


「そっちもまるでだめ。取っ掛かりすらないわ」


「ケインたちの方は?」


「車の話? 良く知らないけど、こっちに何も話が無いってことは駄目そうね」


「弁護士先生はやっぱり当てにならなそうだしねえ」


「あれはダメよ。使えないから接触の話も無しになったわ」


「そう。それじゃあ今週もいつも通りってわけさね」


「ええ。楽でいいわ」


 2人は雇用主を同じくする間柄だ。表向きも、裏向きも。

 ペンドルトン子爵家だけでなく、ステュアート女公爵にも雇われた、間諜組織の同僚でもあるのだ。

 より正確には間諜が本業で、組織からレインのもとに送り込まれた、が正しい。


「そもそも『レシピ』が実在するかすら怪しいのよ」


 アボットはハンバーガーを齧りながら、自分たちの仕事の意義を疑問視する。


「でももし在ったら、欲しくない?」


 ベイカーは雇い主の気持ちも分からなくはない。

 女公爵本人に会ったことがあり、その年齢にそぐわない若さを目の当たりにしたことがあるからだ。

 彼女たちが求める『レシピ』とは、ペンドルトン博士の『不老薬のレシピ』であった。

 博士の研究成果をレインから買い上げたステュアート女公爵は、現在彼女が使用している『老化遅延薬』の完成形、『不老薬』がすでに完成していたのでは、と疑い、少なくない手間をかけて探しているのだ。


 ただ、実のところ、それにはなんの根拠もない。

 『もしかしたら』―――その一念で手を回しているだけなのを、手先であるアボットもベイカーも薄々気が付いている。

 それでも、2重に給料が貰え、危険もない今の暮らしが気に入っているため、黙って働いていた。


「アタシゃもうそんな夢見る年じゃないさね」


「私はちょっと憧れちゃうなあ」


「あのお嬢様くらい美人なら、ちったあ考えたかもね」


「あ゛ー。あの子見てると、自信なくすわあ」


「あの辞めさせられた護衛の子も気の毒にねえ。血迷う気持ちも分からんじゃないさね」


「そういえばさあ―――」


 最初は情報交換のために始まった親交だったが、このところは、ごくありふれた女性たちのサシ飲みに変わっていたのだった。




***




 気楽な2人女子会から帰宅し、自室でシャワーを浴び終え、バスルームから出たベイカーは、鳴り出した電子音で携帯電話への着信に気が付いた。

 表示されている番号は登録も無い、見慣れない番号だったが、仕事柄、バーナーフォン(※ここでは架空名義で契約された携帯の意)を使う同僚も多いため、特に気にせず電話に出る。


「ハロー、どなたかしら?」


『初めまして、ミス・ベイカー。取引のご提案のためにお電話差し上げました』


「……誰?」


 ボイスチェンジャー越しと思われる少し不自然な耳障りの悪い声、怪しい提案。

 久方ぶりにベイカーの警戒レベルが大幅に引き上げられ、体に緊張が走る。

 バスローブ姿で手早く窓の外をカーテンの隙間から確認し、ベッドの下やクローゼット、戸棚も順に確認していく。

 不審な人物も見慣れない物も無し。


『ご心配なさらずとも、暴力に訴える気はありませんし、盗聴器もありませんよ』


 それでは、どうやって今のベイカーの行動を知ったというのか。

 舌打ちを堪えながら怪しい人物と会話を続ける。


「……どういったご用件かしら? 提案、と仰っていたようだけど、音楽教師のご入用で?」


『いえいえ、実は人手を欲していまして、あちこちにお願いしている最中なんですよ。女公爵閣下にもお手を借りられないかと考えている次第でして』


「人違いではないかしら? ちょっとお話しの意味が―――」


『2年ほど前、とある街の防犯カメラに写っていた黒いワゴンの行方』


 ベイカーは息を飲む。

 彼女とは違うグループが追っている、ペンドルトン邸の襲撃犯と見られている連中の手がかりだ。


『知りたくないですか?』


「……上司に、相談してみるわ」


『ええ、ええ。色よい返事をお待ちしております』


「貴方のことは、なんと呼べばいいの?」


オウガマスク鬼の仮面、とでもお呼びください。それでは』


 通話は切れた。

 ベイカーは大急ぎで『上司』への緊急連絡を行っていた。

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