第20話 死闘


 ビルの屋上を冷たい風が吹き抜けていく。

 エリオットは通話を終えた携帯電話を内ポケットへ戻す。


「よう、そろそろ出て来いよ」


 その声に応え、じゃり、と靴音がして大きな室外機の陰からケンタロウが姿を現す。


「すげえな。音も匂いも分からねえ。10年で『かくれんぼ』だきゃ上達したのか? ああ?」


 薄笑いで揶揄するエリオットに、皮肉気に嗤いかえすケンタロウ。


「悪食過ぎてお前の鼻が曲がってるのさ」


「口も達者になりやがったなあ。んで? 文句言うために俺の肩を小突いたわけじゃねえんだろう?」


 エリオットは楽し気に服の破れた自身の右肩を親指で指す。


「ああ。貴様の臭い口を閉じてもらいに来たのさ。永遠にな」


「お前にできんのかあ?」


「それほど大変じゃないさ。ビビってるのか? 脳筋」


 ゴウッ!

 一陣の突風が吹いた後には、両者の立ち位置は入れ替わっている。


 ブボワッ!

 続けさまに暴風、烈風、颶風。

 エリオットの身体がケンタロウに迫り、拳と蹴りの嵐が放たれるが―――。


 風に吹かれる落ち葉のように、ケンタロウの身体には掠りもしない。

 捻りを加えた手首で弾き、足捌きで位置をずらす。

 エリオットの剛の極致に対する、ケンタロウの技の神髄。

 エリオットの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。


「楽しいなあ、クロウ! 昔からお前は避けるのだきゃあ上手かった! そんなお前とやり合うのは実は結構好きだったんだぜえ!」


 吠える間にも一撃必殺の豪拳が連続で放たれる。


「……知っていたよ。お前が深夜まで研究所の訓練施設で努力を重ねていたことも。それでも」


 左手首を腕ごと内側へ捻って迫る右拳を流したケンタロウが、エリオットの右脇側へ踏み込む。

 初めての反撃がエリオットの肝臓に決まり、その体が横へ半歩、ズレる。

 打ち込んだケンタロウはすかさずエリオットの背後へ回ってさらに距離を取り、残心。


「……お前はミッシェルを犯して喰った。あの声を、音を、僕は決して忘れない。お前にどんな美点があっても、僕がお前を殺す理由はそれで十分だ」


 殴られたエリオットは動きを止め、振り返る。

 エリオットの右脇には2本のナイフが根本まで突き刺さっている。

 ケンタロウが両手で交互に突き刺し、直後に左右の掌底でさらに深く打ち込んだものだ。

 エリオットは無造作にそれを抜きながら、神妙な顔で言葉を紡ぐ。


「……殴りあいで『痛い』と感じたのは結構久しぶりだぜ。それにまあ……お前の女を犯して喰った俺を、お前が許さねえのは当然だな。なるほど、お前には俺を憎み、殺す権利が確かにあらあな」


「ミッシェルは大切な友人だ」


「お前はずっとそう言ってたっけな。まあいいさ……ククッ、ハハハッ! それにしたって、強くなりやがったなあ! ええ?! なんだよそりゃ?! カラテか?!」


「東洋の武術さ。女性が己の身を守る為に作られた、力の弱い者が強い者と戦う為に作られた武術だ。だからなんでも武器を使うし、汚い手も使う」


「いいねえ! そいつはいい! 楽しいなあ、おい! んじゃあちょっとばかり本気をだすぜえ!」


 ゴウッ!

 抜き取ったナイフを投擲し、自身は先ほどを凌駕する速度でケンタロウの後ろへ回り込むエリオット。

 ケンタロウはナイフの射線から逸れ、エリオットの背後からの回し蹴りは全身を回転させながら両腕で受ける、が、勢いを殺し切れずにフェンス近くまで吹き飛ばされた。

 エリオットは足を止め、わずかに呆れたように問いかける。


「これも受けんのかよ。お前、今の目で追えてなかったよな? どうやってんだ一体?」


「『相手の足が地面についてるならどうにでもなる』が師の言い分だったが・・・僕にそれほどの功夫クンフーはない。ちょっとしたイカサマの類さ。だから受けきれずにまだ腕が痺れているよ。……けれど、もう準備は整った」


「まだなんか隠してるのかあ? いまさらお前のショボいサイコキネシスでも使う気かよ?」


 10年前のクロウの超能力は、非常に弱い念力、サイコキネシスだった。

 エリオットは初めから警戒していた。

 この10年で超能力を強化したのが自分だけのはずはない。

 それでも使う様子が見られなかったことから、危険度は低いか、切り札としてとっているかのいずれかと踏んでいたのだ。


「いや、そこに立って欲しかったのさ」


「!」


 エリオットが反射的に、罠を避けるために後ろへ飛びのいた刹那―――。


 ボシュッ!


 両足の脛から下が切断されて転がる。

 同時に両腕もずれ、胴体も臍から上下に分かれ、六分割された胴体と四肢が、べちゃり、と床に落ちて転がった。

 一拍遅れて、エリオットの強靭な心臓の圧により、四肢から血が噴き出す。


「……ガッ!? なんっだこりゃああああ?!」


「詰みだ。エリオット」


「どうやって俺を刻みやがったああああ?!」


「今はお前の血と脂で汚れているから、見えるんじゃないか?」


 言われてケンタロウの指さす先をエリオットが目を凝らすと、空中に僅かな違和感があり、さらに集中して見ると微かな線が複数、張り巡らされている。

 超能力で強化され、数km先の狙撃ポイントも目視できるエリオットでも、わずかにしか捉えられない、それは。


「……糸、だとう? つか俺の身体を輪切りにできるようなこんな細い糸、てめえで身体を切っちまうのがオチ……クソ! そのためのサイコキネシスか!」


「ご名答」


 糸はわずかにきらりと瞬いて、ケンタロウの手元へ舞い、集められて小さな玉になった。

 この糸は、ケンタロウたちが世界を旅した時、とある暗殺者一族の末裔から譲ってもらったものだ。

 『細さ』と『強靭さ』を両立させた、非常に特殊な工法でつくられた糸で、常人の目には映らないほど細く、3本で100kgの重さを吊れるほど強靭だ。

 暗器として比類ない物だが、代わりに、普通に扱えば自分の指がまず落ちる。

 けれどサイコキネシスならば―――。


「だが―――いくら細くても、んなもん俺の五感を誤魔化せるはずがねえ!」


「さっきお前が言ったんだろう? 僕は『かくれんぼ』が得意だ、と」


 ケンタロウが薄く笑う。


 一族の祖先たちでも扱えたのは数えるほどで、才能のある一部の者も罠を仕掛けるのに用いていたらしい。

 今回、ケンタロウも設置型の罠として用いた。

 サイコキネシスで壁に貼り付けていた糸を『かくれんぼ』で隠し、近接戦闘でエリオットの立ち位置を誘導しつつ、会話しながら糸を張り巡らせてエリオットの周囲に固定した。

 あとは言葉で飛び退くように誘導すれば、自分の力で勝手に糸に飛び込み、切り刻まれる。

 切り札は1つではなく、敵の得意な近接戦闘と無駄な会話で用心深く隠し、重ねていた。


 エリオットは力を抜き、自嘲した。


「力のねえ奴が、小手先の技を積み上げて俺に勝ちやがったってか。ハッ、ざまあねえな」


「ああ、お前は僕の10年に負けた。だから今度はお前がお前の10年に喰われる番だ」


「あ?」


 ケンタロウが無言で一歩引くと、滲むように神経質そうな痩せた浮浪者が現れた。

 擦れた声でケンタロウに語り掛ける。


「礼を言うぞ。俺の術は、対象の近くで集中しなくてはならないのでな」


「礼は要らない。『喰われる恐怖』を与える手段は僕にはないからな」


「……そうか、先ほど君の友人も、と言っていたな。俺の娘の無念を晴らすことが、君の友人の供養にもなる、か」


「……10分もすればそいつエリオットはまた動き出すぞ」


 エリオットの身体の傷はゆっくりと塞がり始めている。

 すでに出血は止まり、四肢の断面からは肉が盛り上がり始めていた。


「十分だ」


 痩せた浮浪者は、その場に膝をつき両掌を眼前で組んで、険しい顔で集中を始める。


「なんだあ、てめえ、急にしゃしゃって来やがって……」


「『来たれ、我がともがら。眠れぬ者、まつろわぬ者。我が声を聞け。父なるイグに願い奉る。|les asticots viennent.《蛆よ来たれ》』」


 瘦せた浮浪者のしゃがれた声が低くその場に響き、エリオットの肩にぽつり、と白い小さな何かが落ちてきた。


 それは一匹の、蛆だった。


「な……!」


 エリオットが絶句している間にも、ぽつり、ぽつり、と蛆は降って来て、数を増していく。

 白いおぞましい雨がエリオットにだけ降り注ぎ、蛆たちは小さな牙でに喰らいつき始めた。


「グ……ア! こ、のクソ虫ども……!」


 小さな蛆たちはエリオットの肉を喰らい続ける。

 皮膚を食い破って肉を喰らい、穴や傷に入り込んで臓腑を喰らう。

 1つ1つはごく小さな、痒みにも痛覚。それが無数に己の身体の内外、いたるところで齎される感覚は、いかばかりか。ましてやエリオットの感覚は超強化されている―――。

 その無数の蛆は尽きない食欲で餌を喰らい続け、十分に喰らったモノは孵化し、生まれた黒い蠅もまた肉を喰らい、卵をエリオットの肉に産み付け、また数を増していく。


 もう白い雨は止んでいたが、その蠅と蛆の喰らい、増える速度は、エリオットの身体の再生をわずかに上回っていた。

 荒い息を吐いて蹲り、目だけが喰われるエリオットをギラギラと睨む痩せた浮浪者――妖術師が、そのように術を調節していた。より長く、苦しませるために。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!! 入ってくんなァァ! 俺を喰うなァァァ! クソ虫がァァァ!」


 体中に突き立つ小さな牙の感触、傷を抉る痛覚、穴から小さな虫が入り込む悍ましい感触。

 残された力でエリオットの身体は跳ね回り、虫たちを潰したが、すぐに増えてまた体を覆っていく。

 ついにはエリオットの跳ねる力も尽き、びくり、びくり、としか動かなくなる。

 逞しかった体は、白と黒のまだらに覆いつくされて少しずつ、少しずつ小さくなっていく。


「生きながら喰われる気分はどうだ? 五感が鋭いと、こういう時は大変そうだな?」


「止め、させろ、クロォォォウ! テメエ、汚ねえ、ぞ、こんな……!」


 もう体から離れた手足は喰われつくして、床にこびりついた肉片を残すのみだ。


「泣けよ、叫べよ。好きなんだろう? 犯されて喰われる奴の悲鳴が」


「お、れは、喰う側、だ……」


 分断された臍から下も、もう元の体積の3分の1ほどになっている。

 嫌がる女を犯し続けた男性器は、真っ先に喰われて無くなった。


「いいや、負けたお前が喰われる側さ。お前の10年に喰われて消えろ」


「あ゛……」


 喉を食い破られ、声が出せなくなる。

 眼球から蛆が飛び出し、視界も閉ざされる。

 ざわざわ、ぴちゃぴちゃ、という音が脳内に反響している。


 エリオット・バーザムの強靭な生命活動は、そうなり果ててもまだ続き、自身の脳が喰われる感触と音はエリオットを最後の時まで蝕んだ。





「……あちらも、もう終わったようだな」


 ケンタロウの視線の先には、煙を上げる式典会場のホテルがある。

 消防車が集まって消火活動を行っているのは、もう鎮圧されたからだろう。


 チャールズ元子爵がホテル内に入れるよう手引きしたし、ブルックス伯爵の服には発信機が取り付けられている。

 それを目印に攻撃したなら、最初の一撃で伯爵を殺せているはずだ。

 瘦せた妖術師も同じ方向を見やる。


「……チャールズ翁は、満足したかな?」


「さあな……」


 強い風が高層ビルの屋上を吹きすぎる。

 ケンタロウは瘦せた妖術師に視線を移す。


「貴方は、これからどうする?」


 痩せた妖術師は、握りしめていた拳を開き、栗色の遺髪に目を落とす。


「叶うなら、故郷に戻って、娘を弔いたい」


「……そうか。それがいいだろうな」


 瘦せた妖術師は、苦笑しながら問いかける。


「……俺を殺さないのか? 知り過ぎたと思うが」


 ケンタロウはエリオットに復讐者が自分だと示すために、仮面も変装もしていない素顔だったし、戦い方も見られている。

 娘の仇を取らせてくれたクロウを裏切る気は妖術師には毛頭無かったが、もしもこの後、スターナイツに捕まり、拷問を受けたら・・・。

 だが、ケンタロウは軽くかぶりを振る。


「貴方は喋らないさ」


 妖術師は少しだけ目をみはった。

 そして、互いに微かな笑み。


「……ありがとう」


「こちらこそ」


 2人の復讐者は別れ、成し遂げた者、途上にある者、それぞれの道へ戻った。

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