ミント飴の香り

 いつもは固い表情を崩さないラーニャだが、今だけはぼんやりとしている。

 そんな眠たそうな彼女に声をかける。

 

「よかったら、これどうぞ」


「……なんだこれは」


「ミントの飴です。口に入れるとすっきりしますよ」


 俺が差し出すとすぐには受け取らず、ためらうような間があった。

 何か理由があるのかと思いかけたが、単純に眠いだけなのかもしれない。

 少しの間をおいて、ラーニャはおもむろに飴を手にした。


「……嗅いだことのない匂いがするな」


「ダークエルフの里にミントはないんです?」


「書物で存在を目にしたことはあるが、実物を見たことはない」


 ラーニャは淡々と受け答えをしつつ、包み紙を解いて飴を口の中に運んだ。

 何度か舌先で転がすような動きを見せた後、衝撃を表すように彼女の両目がかっと見開かれた。


「……なんなんだこれは!?」


「もしかして、口に合いませんでした?」


「いや、そんなことはない」


 言葉通りに不快感を覚えたようには見えなかった。

 状況を察するに初めての刺激に驚いているのではないだろうか。

 小さい子どもに与えたら、きっと似たような反応が返ってくる。


「ほどよい甘さの後に清涼感が届いたかと思うと、鼻腔を抜けるような刺激がやってきた――。こんな味があるとは世界は広いのだな」


「ははっ、ラーニャさんって面白いですね。ミントよりも美味しいものがあります」


 ともすればラーニャを世間知らずと見なしかねない状況だが、人格者のリリアは感じのいい態度だった。

 その気遣いは相手にも伝わっているようで、ラーニャが気にする様子は見られなかった。


「リリアよ、美味しいものとは具体的にどんなものだ?」


「ええと、少し考える時間をください……」


「そうか、答えが出るまで待とう」


 リリアがラーニャにグルメを教えるという、まさかの展開になっている。

 とはいえ、ここまでの道中で活発に会話をする雰囲気ではなかったため、これはこれでいいことだと思った。

 

 ラーニャは腕組みをして、じっと目を閉じた。

 その様子は一見すると落ちついているようにも映るが、彼女とすごす時間が長くなったことでそうではないと理解できる。

 おそらく、内心ではソワソワしているに違いない。

 美食家のアデルや食いしん坊のリリアと異なり、食という文化への知的な探求心が働いているように見える。


「まず、王都には美味しいパスタを出すお店が多いので、パスタ料理は外せません。あとは人気スイーツのお店も押さえておいた方がいいでしょう」


「なるほど、興味深いことを聞いた。王都へ行った時は案内してくれ」


「私の予定が合う時であれば、必ずお連れします」


 グルメの話題になったことで、リリアの目からは煌めくような光を感じる。

 律儀な彼女であれば、必ずラーニャをどこかの店に連れていくであろうことが予想できた。 

 美味しいものが食べたい気持ちは種族を問わずというわけだ。


 気づけば車内に眠そうな顔をする者はいなくなっていた。

 ミントの飴を融通したことで二人はすっきりした顔になっている。

 転生前の記憶が正確ならば刺激が強いものはたくさんあったので、地球で作られたものを彼らが口にしたら、目が冴えて眠れなくなってしまいそうだ。


 思わず笑いがこぼれそうになったところで、御者を務めるクリストフも気遣った方がいいと気づいた。

 今のところ支障はないものの、手綱を握った状態で居眠りでもしようものなら、大惨事になりかねない。

 少し前に見た時は自分ほど眠そうではなかったが、彼にも分けようと思った。


 客車と御者台をつなぐ小ぶりの窓を開いて彼に声をかける。

 

「クリストフさん、これをよかったらどうぞ」


 窓越しに手を伸ばし飴を渡そうと試みる。

 すると彼が振り向いて、それを受け取った。


「ありがとう。これは飴かな?」


 彼は安全を確認するように進行方向に向き直ってから、こちらを振り返った。

 田舎の街道を移動中なのですれ違う馬車や通行人は少なく、直進さえできていれば心配なさそうだった。


「はい、ミントを使った飴です。すっきりしますし、眠気覚ましにもなりますよ」


「なるほど。早速なめてみよう」


 クリストフは包み紙を解いて、飴を口の中に放りこんだ。

 ずっとこちらを向いているわけにはいかず、前方へと視線を戻した。

 進行方向を確かめるような間があった後、再び彼は客車側に顔を向けた。


「これは面白いね。初めて味わう爽快感だ」


「頭がすっきりしませんか?」


「たしかにそうだね。似たような景色が続いて眠気を感じていたからちょうどよかった。いいものをありがとう」


「いえ、どういたしまして」


 御者としての集中力を乱さないようにと、窓を閉めて会話を切り上げた。

 日々鍛錬を積んでいる彼が不注意になると考えにくいが、念には念を入れた方がいいだろう。


 マリオのペンションを出てしばらく経過して、今もなお山の中の道を走っている。

 最初は遠くに見えていた山々が少しずつ大きく見えてきた。

 ここからエスタンブルクまで、あとどれぐらいかかるのだろう。

 ランス王国出身の俺たちよりも詳しいはずのラーニャに訊いてみることにした。

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