14.囚われのお針子
「……ズ、ローズ、大丈夫?」
私を昏倒から呼び覚ましたのは、今にも泣き出しそうなエステル様の声だった。
「はい、エステル様……」
返事して、起き上がろうとしたところで、ずきっと頭が痛む。
「うっ……」
ぼんやりとした頭に、記憶がよみがえる。
王宮のバルコニーで襲われて、それから、急に目の前が真っ暗になって……そうか、この頭の痛みは、殴られたからだ。
「エステル様? エステル様は、怪我とか」
「私は大丈夫よ、ただ……」
私は言いよどむエステル様の様子をあらためて見て、言葉を失った。
エステル様は、ドレスを着ていなかった。
シュミーズと、コルセットだけの姿だ。
さあっと血の気が引いていく。
なんてこと。嫁入り前の娘を、言えないような目に遭わせてしまった。
頭の痛みは即座に吹っ飛び、大声で叫ぶ。
「あー!!!!! なに殴られたくらいで気絶してんのよ私!!! もっと根性出して若い娘さんを守るべきだったのに!!!!」
妹大好きアラン様になんて言ったらいいの……!
「もう、腹を斬って詫びるしか……ハラキリしか……」
「ロ、ローズ、落ち着いて!!! あなたが心配しているようなことは起きてないから!!」
「へ……?」
「ドレスを奪われただけ、だから」
それからエステル様が説明してくれたところによると、どうやら私たちをさらったのは、縞ドレス女の手の者だったらしい。
エステル様は眉間に皺を寄せる。
「ローズが気を失っている間に彼女がやって来て、出仕を辞退して、彼女を推薦する旨を一筆書かされたの。明日の朝九時に王妃様のところへうかがって、自分が女官の仕事を得られたら、無傷で返してやると言われたわ。私がなかなかひとりにならないから、ローズも一緒にさらってきたみたい。巻き込んでしまって……ごめんなさい」
ドレスは縞ドレス女が奪って、その場でずたずたに切り裂いていったのだという。
「せっかく街中の布とお針子を押さえたのに、自分より目立つドレスの私が現れたのが、よっぽど腹に据えかねたのね」
「だったら、やっぱり私のせいじゃないですか! 私が、あんなドレスを縫ったから」
私はわめき散らした。やっぱり、お針子仕事はろくなことがない。
エステル様は、そんな私を諫めるように微笑んだ。
「それは違うわ、ローズ。あのドレスも、あなたのお針子の腕にも、なにも罪はない。それは否定しないで。あなたの技術も発想も、本当に素晴らしいものよ」
「エステル様……」
素晴らしいのは、エステル様のお人柄だと思う。
いや、感動している場合じゃない。
「ていうか、こんなの犯罪じゃないですか! すぐに逃げて、王妃様に訴えましょう!」
「でも、ドアには外から鍵がかかっているのよ」
「だったら窓から!」
「窓?」
エステル様はきょとんとした顔で復唱した。
どうやら「窓から外に出る」ということを、考えてもみなかったらしい。うーん、育ちがいい。
私は窓に駆け寄って、辺りを見回した。どうやらここは街中の縞ドレス女が押さえた部屋のようだった。
見張りらしきものはいない。あちらもご令嬢だけあって、まさかご令嬢が窓から逃げるとは思ってもみないようだった。幸い、窓にはカーテンがかかっている。これをはずして結べば――いける。
相手がお嬢様で助かった。
私が下賎の者で良かった。
私は鼻息荒くエステル様をふり返った。
「行きましょう、エステル様」
「だめよ」
「なぜ!」
私が詰め寄ると、エステル様は顔を真っ赤に染めた。己を抱きしめるような仕草。
「だ、だって……私、こんなかっこうだし……!!!!」
こんなかっこう。
ええと、たしかに、エステル様はシュミーズとコルセットだけのお姿だ。
だけど、前世のファッションが記憶にある私には、全然布面積が多いように思える。
しかし、この世界、またしても変なところだけ作者のこだわりが行き届いているらしい。
そう、作者が頑張って十八世紀をモデルにしているらしいこの世界、シュミーズは下着である。
仮にも嫁入り前の令嬢がそのままの格好で外に出るなんて、そして知らない人にその姿を見られるなんて、とんでもなく淫らであり得ないことなのだ。
前世の夏のキャミファッションなど目にしたら、卒倒してしまうことだろう。
寄せて上げた上乳を出すのは平気なのに、解せぬ。
作者のばか……と額を押さえつつ、私は気がついた。
縞ドレスのお嬢さんは、よっぽどエステル様しか目に入っていなかったらしい。なぜなら、私のドレスは着せられたまま。なにひとつ乱れてもいない。
「エステル様、私これ脱ぎますから、エステル様がこのドレスを――」
これで万事解決だと思ったのに、エステル様はみるみる眉を吊り上げた。
「な、に、を、言っているの! あなたをそんな目に遭わせられるわけないじゃない!!!」
「いや育ちの良さ~~~~!!!!!!」
この融通のきかなさ、間違いない。この人とアラン様は血の繋がった兄妹だ。
私がもどかしさで歯がみしていると、エステル様がぽつりと呟いた。
「……やっぱり、大人しく地方に帰っておじ様の勧める方と結婚するしかないのかしら」
エステル様は、淋しげに苦笑する。
「それが普通なのよね」
違う。女の子の普通が、そんな人生なわけない。
でも、前世の私も、結局それを受け容れた。
無能で大して美人でもない女は、家長のいうことをきくしかないのだと。
――もっと、ガテン系のバイトでもなんでもやって、さっさと家を出たらよかった。そしたら、もりもりの筋肉で、怪しい奴も、こんなドアもぶっ飛ばすとかできたかもしれないのに。
私もうつむき、膝を抱え――ようとして、うまくいかなかった。
スカートの中に、両サイドを膨らませるためのサイドフープが付いているからだった。
そう、実はこのドレス、床に座ることを想定して作られていない。
なぜなら貴族は床にぺしゃっと座らないから。そんなふうに作る必要がないのだ。
現世のお芝居なんかで床に座って布が綺麗に円形に広がるのは、布を円形に切って贅沢に使っているからである。
貴重な布に無駄が出ないよう、一枚の布を筒状にして、タックを寄せて縫っていく本当のア・ラ・フランセーズの形では、絶対にああはならないのだ。
でも貴族でない私は座っちゃうことにしよう。
せめて少しでも座り心地をよくするために、サイドフープを外そう――もそもそとスカートの中のリボンをほどこうとすると、何かが手に触れた。
そうだ私、お裁縫セットを持ってる。
ちょうど物が入る構造だったし、エステル様が着たドレスに万が一なにかあってもすぐ対応できるよう、サイドフープの中に突っ込んでおいたのを忘れていた。
お針子脳が、ぎゅんぎゅん回転し始める。
今私が着ているのは、一枚の布を切らずに縫ってあるドレス。
ということは……
ぱあーっと、頭の曇りが晴れていくような感覚があった。
私の顔が明るくなったことに気がついたのだろう。エステル様が面を上げる。
私は裁縫道具を掲げて見せた。
「私に、考えがあります」
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