第二四話 農業は化学と生物学が大事!

 なお、中核都市ヴェルデの人口、約五万を養う農地は防壁から同心円状に広がっており、おおよその半径は6㎞にも及んでいる。


 戦時にもかかわらず、比較的に長閑のどかな田園風景の中、俺は好天による微かな眠気を嚙み殺しながら、膝を折って作物の成長など確かめている吸血姫の傍に佇んでいた。


「今の時期だと、この一帯で栽培されているのは中晩生なかおくてのカブか?」


「えぇ、それも有るけど試験的に春植えのジャガイモを耕作した畑だけ、マメ科のクローバーを植えているの」


 もう調べ物が済んだのか、今は町娘のような服装のエルザが腰を上げて、新たな区画への移動を再開する。


 時折、遠慮がちに掛けられる農家らの挨拶を受け、愛想良く振る舞う彼女に先導されていけば、うっすらと緑におおわれている場所まで辿り着いた。


 そこで追いきしていた羊人族の二人がこちらに気づき、ゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる。


「姫… いえ、ご領主様、無事の帰還をお慶び申し上げます」

「これでベルクスの連中に奪われる心配なく、種を蒔けるってもんですよ!」


「そう言ってもらえると嬉しい。不在の間も、指示通りに作付さくづけしてくれたようね」


 ご機嫌な吸血姫に釣られて、表情をやわらげた親子と思しき羊人らの背後には、群生による “緑の絨毯じゅうたん” が敷き詰められていた。


 高さ5㎝ほどに伸びたクローバーの状態を考慮すると、栽培の開始は一ヶ月くらい前だと推測できる。


「マメ科植物の中でも寒さに強い多年草だから、冬場の飼料に使えるの。何より、根粒菌との共生作用で空気をかてに育ち、痩せた土地のやしになるのが素晴らしいわ」


「菌類… 昨日、話していた微生物の一種か。仔細は知らないが、こいつらクローバーは他の草花と喰ってるものが違うわけだ」


 またも理解不能な似て非なる世界の知識に溜息を吐いた後、うずうずし始めた学士殿の講釈を漏らさず聞くため、意識を明瞭にさせていく。


異界カダスける空気の主成分だけど… “窒息させる物質” 、窒素と名付けられているの。こっちの世界にも満ちている事実は大賢者ヴィルズが証明済みよ」


「初手から、やたらと有害な印象だな」

「特徴を調べる実験で、多くの小動物が窒息死したの」


 従って当初は危険きわまりないと、忌避されていた窒素なる存在だが……


 肥料にもなる硝石由来の実験で類似したものが生じた経緯から、異界カダス碩学せきがく達による議論や科学的検証の末、植物を成長させるのに必須な養分だと判明したらしい。


 大多数の植物が土中で無機化された窒素をかてとするのに対して、クローバーなどのマメ科植物は空中の豊富な窒素を取り込めるとのことだ。


「つまり、土壌の養分が減少しないと?」

「ん、やっぱりクラウゼはさといわね、理解が早くて助かる」


「すみません、私達は未だによく分からなくて。それでも夏のジャガイモは美味しかったし、秋植えの分も収穫直前まで漕ぎつけたので、疑いはありませんけど」


 壮年の羊人が片腕を広げて示した先、斜め前方の場所には古城の菜園より少し遅れて種芋を植えたという畑があった。


 青々と茂った健康的な葉を見る限り、程良い大きさまで育った球状の作物が地下に埋もれているのだろう。


「本格的な冬の直前に収穫できるって凄いです。栽培に協力した農家はどこも喜んでいましたよ。なにせ、寒くて厳しい時期の食糧が確保できますから」


「色々と様子を見る必要はあるけど、成果は上々といった感じね」


 やや興奮気味にしゃべる若い羊人に頷き返して、ざっと辺りを見回した吸血姫は滔々と言葉を続ける。


「新しい手法に賛同する小作農をつのり、彼らの借地を所有者であるクライベル公爵家に戻して、中長期的な計画に基づいた運用をしているの。この一帯がその範疇はんちゅうよ」


「実際に田畑を耕す私達は労働の対価として、領主様から収穫量に応じた銀貨を頂き、自他の育てた作物などを街中で買うのです」


 合いの手をいれるような羊人の言葉が要点に触れていたのか、満足そうな表情を浮かべたエルザが微笑み、こちらに向けて胸を張った。


 遥かなる異界カダスの列強、イギリスで “カブのタウゼンド” と呼ばれた子爵の輪栽式農法を模倣したに留まらず、彼女は経済性の強化も織り込んだと嘯いてくる。


「連作障害のために休耕地が必要だった三圃式農法と比べて、小麦やジャガイモの後にマメ科の植物を挟むことで、土壌の質を維持改善しながら飼料も確保できるわ」


「…… かなりの生産性が見込めるな」

「ふふっ、そうでしょう。もっと褒めて良いのよ♪」


 ここぞとばかりにり寄ってきたので、優しくねぎらうように頭を撫でたが、大きな問題は無きにしもあらず。


 この革新的な農法は公爵家の権威があってこそ実現しているだけであり、地主や小作農が素直に土地を手放すとは思えない。


 その点をさり気なく突いて、普及させることの難しさを指摘すれば、上機嫌だったエルザはにわかに意気消沈した。


「うぅ、それも正解よ。何件かは実際に断られたの……」

「ははっ、領主様の頼みを蹴った連中はいずれ後悔しますよ」


「棒切りして油で揚げたジャガイモ、旨すぎて幾らでも食べられますから!」

「そう、カロリーには気を付けてね」


 聞き慣れない専門用語? を口ずさみ、憂鬱な表情をしている吸血姫は兎も角、肝要なのは実績によって有用性を示すことに尽きる。


 その部分も考えているだろう彼女の横顔を頼もしく眺めつつ、近場で作業していた他の農家達とも言葉を交わしてから、往路と同じく二人で古城への帰路に着いた。

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