32 癪


「海里」


 放課後になってオレの机の前に柚佳が立った。前髪の隙間から目だけで彼女を見上げた。オレと目が合うとハッとしたように表情を強張らせている。すぐにフイッと視線を逸らされた。左下を向いたまま彼女は喋り出す。



「桜場君と一緒に帰ろうとしてたのは……」


「分かってる。オレが花山さんとしてた放課後の約束に対する『仕返し』だろ?」



 落ち着けた心で平静を装う。薄く微笑んで見せた。柚佳がオレの目を見た。



「それもあるけど。……私、どうしても海里を取られたくなくて! きっと美南ちゃんと一緒にいたら私なんかよりも美南ちゃんを選ぶよねって思って。桜場君に協力してもらった。海里にやきもち焼いてほしくて。私と桜場君の仲を心配して美南ちゃんとの約束をやめて私と帰ってくれるかなって期待して」


「そう」



 一言ニコッと笑ってみせる。落胆を悟られないように。柚佳の声はオレの心には届かない。オレの言葉も届いてなかったからお相子だ。



「海里、やっぱり怒ってる?」


 柚佳からの質問には答えないで微笑んだまま話題を変える。



「ねぇ、篤が言ってた『お願い』って何の事? 柚佳から篤にしてるみたいだったけど、じゃあ篤からの『お願い』もあるのか? ……それとも、もうあったの?」



 問いかけ、鋭く彼女を窺う。



「そ、れは」


「かっえろーぜ!」



 柚佳が曇った表情で何か言いそうだった時、オレの後方から来た和馬に背中を叩かれた。この男のタイミングの悪さに、悪意があってわざと邪魔しているのではないかと考えてしまうくらいにはイラッとした。



「花山さんと帰れるなんて……っ! 海里、持つべきものは友達だなっ!」



 和馬が感激した様子で両手を合わせている。隣の席に座る花山さんから大きめの溜め息が出た。右手で頬杖をつきオレたちのやり取りしている様子を白けた目で眺めている。



「今更やめてよ。『花山さん』なんて白々しい……。もう皆にバレちゃったんだから。私の本当の性格も含めてね」



 投げ遣り気味な口調の花山さんに和馬が小さく微笑んだ。



「俺はそのままの……美南ちゃんの全部が好きだよ」


「はいはい。誰にでも言うんでしょ。もうアンタなんか好きにならないんだから」



 和馬の告白があっさり躱された……と少し哀れに思っていたら最後に付け加えられた発言に目を瞠った。驚いた。クラスが一瞬しんと静まったので皆気付いたんだと思う。柚佳が尋ねる。



「美南ちゃん、もしかして……。柳城君と付き合ってたの?」


「もうだいぶ前よ。中三の時こっそりって……え……? まさか。そこまで……付き合ってた事まではバレてなかったの? ……あああ~~~」



 頭を抱え机に突っ伏している姿を目の当たりにして考えていた。いつものお淑やかで可愛らしいイメージの彼女よりもこっちの花山さんの方が好感が持てそうな気がする。



「お待たせ」


 篤が揃って五人で下校した。









 和馬の家は学校のすぐ下にあるらしい。一旦鞄を置きに行った和馬とすぐにまた合流した。花山さんがバスに乗るまで一緒に付いて来るつもりなのだとか。


 いつもバスに乗る最寄りのバス停は通り過ぎる。篤は歩きで帰れる距離に祖父の家があり、今はそこで暮らしていると言っていた。今日の帰りのルート的には篤の祖父の家の前で篤と別れ、いつもバスを降りている小学校前のバス停付近で残りのメンバーは解散という流れになった。もちろんオレと柚佳は住むアパートが同じ建物なので最後まで一緒だ。


 以前柚佳と通った細い階段の道じゃない別の坂道を他愛ない話をしながら下る。主に和馬がよく喋っていた。花山さんを笑わせたい様子で、話しかけては冷たくあしらわれている。前を歩く篤が隣の柚佳に話しかけているのが聞こえた。



「一井さん、俺の『お願い』覚えてる?」



 柚佳の肩が一瞬、不自然に揺れた。



「覚えてるけど……」


「ならいいんだ」



 篤が柚佳を見て微笑んでいる。



 オレは今回わざと柚佳の隣を歩くのを拒否した。いつもなら譲らないところだけど。身体の内に燻る怒りはまだ治まっていない。どうやったら静まるのかも、自分でも分からない。



 柚佳と篤のイライラするツーショットを見ながら、虫唾の走る会話を聞きながらの下校はオレを最悪の気分にした。



 やがて篤の祖父の家が見えた。立地もよく立派な造りで庭も広い。明らかに金持ちの家という印象だ。



「じゃあ、また明日学校で」


 篤がオレたちに微笑んでくる。オレとも目が合う。奴の微笑に余裕みたいなものを感じて、また癪に障る。睨んで呟く。



「……行こう」


 篤に見せ付けるように柚佳の手を引いた。


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