第5話

 図書館では、何度名前を呼んでも気付かなかったのに、今日は小さなつぶやきにも気付いた。

「もしかして、その本はあんまり面白くないの?」

 私は思ったままのことを言葉にする。

「面白くない、ということはないけど、没頭感は少ないかな」

 田所さんは答えてから、ジッと私の顔を見る。

「えっと、確か、学校の図書室の……」

「図書室で会った、同じクラスの有村美咲(ありむらみさき)です」

 私はため息交じりに自己紹介をした。この人はどれだけ他人に興味がないのだろう。

「それで、没頭感ってなに?」

「それは、物語りの中に……」

 田所さんが説明をしようとした瞬間、グゥーーーキュルルという音が響いた。

 ごまかしようもない、私のお腹が盛大に鳴ったのだ。

「あ、お昼、食べてなかったから……」

 思わず赤くなって言い訳をしたのだが、田所さんは私には興味なさそうな顔で時計を見た。

「もうお昼を過ぎてたんだね。私も食べてないから、一緒にご飯食べる?」

 田所さんの提案にはぜひ賛同したいところだけど、それができない事情がある。

「あー、実は財布を忘れちゃって……」

「それなら、貸してあげるよ」

 田所さんはサラリと言う。確かに図書室で顔を合わせたし、クラスメートでもあるけれど、名前も知らなかった相手に対して、そんな提案をしてくれるとは思わなかった。

「ありがたいけど、いいの?」

「別にいいよ」

「ありがとう。月曜にはちゃんと返すから」

「うん。じゃあ、コンビニがあるから、そこでいい?」

 私は頷く。そして、読んでいた本を書架に戻した田所さんについて館内を出た。

 コンビニと言ったので、図書館の近くのコンビニに行くのかと思ったのだが、向かったのは同じ建物内の一角だった。

 そこにはコンビニのほかに、休憩スペースなのかイベントスペースなのか、広めの空間があってアートっぽい椅子がいくつも配置されていた。

 コンビニで買ったものを、その椅子に座って食べている人たちの姿もちらほら見える。

 私たちもコンビニでサンドウィッチとジュースを買って椅子に座った。

 田所さんは、普段教室で人としゃべっているところを見ない。同じクラスになってしばらく経っても名前すら憶えないほど他人にも興味がない。それなのに、突然話し掛けた私を邪険にすることもなく、こうして食事にまで誘ってくれる。なんだか不思議な人だ。

「田所さんは本が好きなんだよね?」

「うん。本っていっても、読むのはほとんど小説なんだけどね」

 小説以外の本ってどんなものがあるのだろう? と思ったが、バカっぽいのでそれを質問するのは止めておいた。

「私、あんまり小説読まないんだよね」

「図書委員なのに?」

「まあね。でも、図書館の雰囲気は好きなんだよ」

「ああ、それは分かるかも」

 普通に会話もできる。しゃべるのが苦手という感じでもなさそうだ。

「田所さんはなんで教室ではしゃべらないの? 普通にしゃべれば友だちもできると思うよ?」

「あ……。そうすると、本を読む時間が減るから……」

「……なるほど……。あ、ゴメン、話し掛けちゃって」

「別にいいよ。たまにならいいの。だけど、教室で友だちと話すようになると、ずっとじゃない」

「なるほど」

 田所さんの感覚は理解しがたいけれど、田所さんにとって本を読む時間が最優先だということは分かった。

「じゃあ、教室ではこれからも話し掛けないようにするね」

「うん。そうしてくれるとうれしい」

「でも、どうしてそんなに小説が好きなの? 映画とか漫画とかの方が、迫力とか臨場感とかがあって面白くない?」

「もちろん、映画や漫画も好きなんだけどね。あ、そう。没頭感が違うんだよ」

 そういえば、さっき没頭感について質問をしていたんだった。

「その没頭感っていうのがよく分からないんだけど」

「例えば、『草原に笛の音が響く』っていうシーンがあったとするでしょう。映画なら草原の映像が映し出されて笛の音が流れるよね?」

「そうだね」

「小説だと文字の情報しかないでしょう。どんな景色なのか、どんな旋律なのかは文脈から想像するしかないの」

「それって、すごく面倒じゃない?」

「だから没頭感なの。ただ文字を読むだけじゃなくて、その文字からその場面を想像して、あたかもその物語の中に入り込んだように体感するの」

「はあ」

「映像で伝えられる情報って多いでしょう? 見た目とか音とか……でも、小説で伝えられるものは限られている。その分、読者の想像力にゆだねられるの」

 田所さんは嬉々として話している。だが、どれだけ聞いても、小説が面倒臭いものとしか思えない。

「文字の海の中に潜っていくとね、小説の登場人物と一緒に、その世界にいるような気持ちになれるの。そうして、深く没頭できるのが小説の良さだと思う」

「あ、はあ」

 説明しきって田所さんはなんだか満足気だが、やっぱり私にはピンと来なかった。

 そんな話をしながらサンドウィッチを食べ終えると、田所さんは読書に戻り、私はDVD鑑賞をした。何年か前に大流行した映画を見ながら、やっぱり本を読むより映画を見た方がいいよな、と思っていた。

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