第6話

「……もしかして、形見は……、長い髪の巫女の格好をした女の人をかたどった根付ねつけ……?」

 中学生の望の口から「根付」という言葉が普通に出たことにまず驚く。

 根付は、袋や印籠いんろうを着物の帯に吊るすのに使う留め具だ。現代の洋服を着ている人達は使わないし、同じ猫又でもここ五十年ほどの間に生まれた若い世代には通じない。

 それよりも驚いたのが、彼が根付の形をほぼ正確に言い当てたことだった。

「どうして、望が知ってるの……?」

「少し、待ってね」

 ふわりと周りを赤い光が包んだと思ったら、すぐに明かりに溶けた。

 あんなに耳障りだった喧騒が小さくなり、こちらが避けないとぶつかってきそうだった人間達が向こうから避けてゆく。

(結界……)

 現衆でも邪鎮じゃしずめを専門に担当する「鎮守隊ちんじゅたい」がよく使うという。霊気を周りに巡らせて周囲を遮断する術で、彼が使ったのは、霊気に攻撃的な気を織り込んで人間が本能的に避けるように仕向ける応用技だ。

 このレベルの結界を瞬時に展開できるということは、望は見た目通りの人間ではない。隠人なのは間違いなく、その中でもエリートだとされる鎮守隊の関係者でもおかしくない。

(あの人は……、人間だったはずよね……?)

 普通の人間と変わらない少年が、こんなに簡単に結界を張る姿を目にすると自信がなくなってくる。隠人がこんなに人間と区別がつかないのだとすれば、あの青年も隠人だったのではないだろうか?

 思えば、まだ起き上がれるくらい元気だった頃。たまに庭に出て素振りをしていたが、人間離れした突きの速さだったような気がする。

「お待たせ。詳しく聞かせてくれる?」

 望は首から下げた水晶に軽く触れてから、ひょいっと屈んだ。

「その根付、いつ失くしたの?」

「三日前の夜。このあたりを通りかかった時に、紐が切れちゃって……、」

「その時、何か変わったことはなかった? 鈴が鳴ったりとか、邪気……、色のついた煙みたいなものが出ていたりとか……」

 琥珀色の瞳があんまり真剣に見つめてくるから、こちらも真剣に思い返した。

 何十年ぶりかに東京に戻ってこれて、あの人のお墓参りに来たついでに、こっちの地方に住んでいる猫又の知り合いに挨拶をして回っていた。

 あの日は、つい話し込んでしまって、すっかり日が暮れて、この交差点を通ったのは、かなり遅い時刻で……。

「鈴は鳴っていなかったけれど……、嫌な臭いがしてた……。土が腐ってるみたいな……」

「土が?」

 望の眉が動いた。だが、彼はそれ以上は何も言わず、続きを促した。

「同じような臭いは時々してたの。でも、あの時のは濃くて、気分が悪くなるくらいで……。だから、急いで他の所に行こうとしてたの……。でも、いつの間にか紐が切れてて、根付が失くなってて……」

「それで、ずっと探してたの?」

 頷くと、望は「三日前か……」と小さく呟いて黙り込んだ。思い当たることがあるらしいのが、彼の顔つきからわかる。

「三日前に、何かあったの?」

「この辺りで、大きな邪鎮めがあってね。強い邪が出ると邪気も強くなって、周りの空気が濁るんだ。千世さんは鼻が利くから、邪気を臭いとして捉えたんじゃないかな……」

「あれが……、邪気……?」

 鼓動が跳ねた。

 あの臭いが邪気だとしたら、これまで、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。

「飼い主さんは根付をどこで手に入れたか、わかる? うつつでは売ってないはずなんだけど……」

 遠い記憶を辿った。

 あの人は、その話をする時、どこか懐かしそうな顔をしていた。

「京……、京都で拾ったって言ってた……。満月の夜……、お仕事の帰りに、誰もいない不気味な通りに迷い込んだことがある、って……」

「百五十年前の京都で?」

「うん……、そこで黒い服の人が妖怪と戦ってて、成り行きで一緒に戦って……、その人が帰る時に落としていったって……。追いかけて渡そうとしたけれど、消えちゃって……、その落とし主を探していたけれど、病気になっちゃって……」

 だんだんと怖くなってきた。

 あの人は明るい声で、楽しい思い出話のように話していた。彼の声と口調には、かなりの大ごとでさえ笑い話のように聞かせてしまう不思議な力があった。

 だからかもしれない。

 今、改めて自分の声で音にすると、とんでもない話だ。

 つまり、人外の存在との戦いに巻き込まれたということではないだろうか?

 笑い話どころか、生きて戻って来れなくてもおかしくなかったのでは――?

(……「妖怪」って……、なに? 妖怪と戦ってた人が落としていった根付なんて……、普通の根付のわけがない……っ)

 だから、持ち主を探していたのではないだろうか。手元に置いておくのが危ないと思って。

 神社や寺に持って行ったが、誰もわかる人はおらず、そのうちに京で大きないくさが起きて、江戸に戻ってくることになったとも言っていた。

 いや、そんなことよりも……。

「もしかして……、あの人が病気になったの……、あの根付のせい……?」

「それは違うと思うよ」

 救われた気分で望を見上げると、彼は周りの人達が四角い板(スマホというらしい)を見ているような顔で、首飾りの水晶を眺めていた。

「実物を見ていないから断言できないけれど……。あの根付は、疫病えきびょうを広げたり、持ち主に災いをもたらすような危険なモノじゃないよ。どちらかといえば、災いを吸い込む……、人を守る霊具れいぐなんだ……。たぶん、飼い主さんはそれを感じてて、千世さんに預けたんじゃないかな。お守りのつもりで」

 急に大人びた表情で告げ、望はこちらを見つめた。

「探し物が、僕が考えているのと同じ物だとしたら……、見つかっても、千世さんの手元に戻ってこない可能性のほうが高いと思うんだ。あれは本来、現に在ったらいけない物だから……。それでもいい?」

 改めて言われると、詰まった。

 もしも本当に、望が言うような理由だったのなら。お守りとして渡してくれたのなら、ずっと持っていたい。

 落とし主本人が見つかる可能性がないのなら、このまま持っていてもいいはずだ。

 だけど――。

「帰ってこないなら、どこに行くの?」

「霊山……、落とし主の仲間の元に行くんじゃないかな……。落とし主も百五十年前に亡くなったらしいから……」

「落とし主の……、仲間……」

 独りで旅をしてきたから、「仲間」がどういうものなのか、よくわからない。

 だけど、あの人には沢山の仲間がいて、ずっと安否を心配していた。落とし主にもそんな人達がいて、その人の元に戻るなら、約束を果たしたと言えるのかもしれない。

「……それなら、いいわ。落とし主に返すつもりだったの。あの人と約束したから……」

 その為に、百五十年も彷徨さまよってきた。

 顔も声も知らない「落とし主」を探して。

 その目的が、あの人との約束が、やっと叶えられそうなのに――、何故か寂しくなって、唇を引き結んだ。それだけでは足りずに、スカートをぎゅっと握って息を吐くと、少し落ち着いた。

 望は何も言わずに頷き、そっと鈴を返してくれた。

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