第4話
ビルから降りて通りに戻ると、交差点を歩く人の数は増えていた。楽しそうな笑顔を浮かべて笑っている人ばかりなのに、空気はどこか暗くて澱んでいる。お化けの仮装大会なので、違和感がないと言えば、そうなのかもしれない。
(邪念が……、あんなに……)
交差点から暗い気配が立ち上って、どんよりとした澱みの溜まり場ができている。
澱みは風に流れて
(人間が放出する負の感情は増え続けてる、っていうけど……)
生ある者は絶えず感情を抱き、念や気として外に放出している。
楽しい感情や明るい感情や、少しの負の感情ならば良いけれど、深い妬みや怒りの感情は剥がれ落ちて邪念になってしまう。
あの楽しそうにしている人達が笑顔の裏で抱く負の感情が現れたのが、交差点の澱みなのかもしれない。
(このまま邪念が増え続けたら、良くないよね……)
邪念が絡み合って繭を作り出し、邪霊が生まれてしまう。
邪霊は普通の人間には見えず、知らないうちに人間の肉体に食いついて霊体から霊気を吸い出して成長する。大量に霊気を喰われた人間は意識不明に陥り、最悪の場合、死に至ることもある――、猫又の先輩から教わったのは、もう百年ほど前だ。
この祭りが何時まで続くのか知らないが、この調子では、深夜にはこの一帯は邪霊だらけだろう。
(まあいいか……。私には関係ないもん……)
本当なら、とっくに東京から出ているはずだった。落とし物が見つかれば、こんな騒がしい場所、すぐにでも飛び出したい。
「こういうの、食べる?」
隣を歩く望が、透明の袋を差し出した。赤いリボンで封をされていて、中に茶色い固形物が五つほど見える。カボチャ型の、クッキーという食べ物だ。
「……いらない」
自分でもわかるくらい、ガッカリした声が出た。
こっそりお腹を押さえて空腹の虫を黙らせる。三日前から、まともなものを食べていない。
「人間用のは食べられないから……」
猫又になって百年以上が過ぎたが、体はまだ猫に近くて人間の食べ物は受け付けない。霊力が強まるにつれて器も変化してくるはずだが、落ちていたクッキーを食べて寝込んだのは、ほんの十年ほど前のことだ。
「それなら大丈夫。キャットフードをクッキー型に改造した猫用クッキーなんだ」
「ホントに!? それならほしい! ありがと!!」
さっそく一枚取り出して、一口
「美味しい……! 鰹節の塊を食べてるみたい!」
「よかった。あと二つあるけど、いる? チーズと鶏肉」
「ほしい!」
返事がわかっていたのだろう。望の手に同じ袋が二つ出現していた。
掌よりも大きな袋なのに、どこに三つも持っていたのか気にならないこともなかったが、空腹が疑問を押し流していった。
「どうして、猫用なんて持ってるの?」
いそいそと黒いリュックサックに化けた風呂敷包みにクッキーを仕舞う。これだけあれば、明日も空腹に苦しまなくても良さそうだ。
「ハロウィンだからね。現衆はイベント好きだから、新製品を作る度に配布されるんだ」
「……ハロウィンって、カボチャとお菓子のお祭りよね? 収穫祭みたいなのだと思ってたんだけど……、この騒いでるのもハロウィンみたいだし……」
「本当によく勉強してるなあ。元々は仮装してお菓子を貰うお祭りみたいだけど、最近、どんどん変化してるみたいだよ」
彼はというと、小さな封筒のような袋から小さな粒が沢山ついた飴玉を取り出して口に放り込んだ。金平糖というお菓子だ。あの人もよく食べていた。
「毎年、『いつも協力してくれてる猫又の皆さんに』って、配布されるんだ。今日は応援に来てるから、この地域に猫又の知り合いがいなくて……、ちょうどよかったよ」
望は、「
詳しくは知らないが、
彼らが表舞台に出てくることはないが、人間社会に深く関わっていて、天狗が住まう霊山や霊獣の
噂では、複雑化する人間社会の邪に対応する為の人手が足りておらず、猫又のような妖にも門を開いているらしい。
昼と夜の境界が曖昧になって住みづらくなってきた現代では、現衆に入って安定した衣食住を得る猫又も多い。『人間から迫害されたら、現衆に相談すれば良い』と行く先々で教わったし、参加を勧められたことも一回や二回ではない。
幸い、現衆を頼らないといけない事態に陥ることなく、この百五十年を生きてこられたので、望が初めて会った現衆の構成員ということになる。
「……望は、別の町に住んでいるの?」
「うん。今日みたいに大きなイベントがある日は、応援に来るんだ。短い間に、凄い量の邪念が剥がれるからね」
歩道を流れて行く靄を眺め、望は憂鬱な顔をした。
「こんな時間に大騒ぎしてると、千世さんみたいに、妖と人間がトラブルになることも多いんだ。ビックリしたでしょ?」
「そりゃあね。皆、変な格好してるし、夜だし。呪術の集まりかと思っちゃった」
今夜限定の現衆仮所属証だというカボチャ型の小さなワッペンの位置が気に入らなくて、胸元につけ直した。このワッペンを付けていると、今夜一晩、警察官が近づいてきても素通りしてくれるらしい。
「呪術かあ。不可抗力だけど、近い現象は起きちゃってるなあ」
苦笑を浮かべ、望は少し大人びた顔をした。
今夜のこの交差点のように、人が集まる日は地域の担当者だけでは手が回らないので、他の地域からも応援の警備員を募るらしい。望も出張してきた警備員だが、人が集まる場所が苦手なので現衆所有のビルの屋上でサボっていたのだという。
騒ぎに巻き込まれて困っている妖の手伝いも警備員の仕事らしく、事情を話すと協力してくれることになった。
掴み所がない中学生だが、現衆の紋が入った警備員証を見せてもらったし、ある程度は信用してもいいのだろう。
あの人にどこか似ているから、もう少し話してみたかった。そんな気持ちも、少しだけあったのかもしれない。
「それにしても澱んでるなあ。去年は、ここまで酷くなかったと思うんだけど……。それだけ今年は人が多いのかな……」
「……こんなに澱んでたら、明日まで念が残っちゃうわ……。大丈夫なの?」
「皆が帰った後、祓うんだ。明日の朝、朝陽が照らせばほとんど消えるよ」
「そうなんだ……」
なんとなく、ほっとした。心配しなくても現衆に任せておけば良さそうだ。
クッキーをもう1つ取り出すと、そこここで買い食いしている人が目についた。
(お祭りとか、けっこう見て回ったけど、何か食べたのは初めてかなあ……)
提灯の明かりと楽しそうな声と。時代が変わっても、お祭りの夜が醸し出す不思議な空気はあまり変わっていない気がする。
ずっと祭りの外側から眺めていただけだったけれど、今日は少しだけ内側だ。
あんなに否定的な気分で、この仮装大会を見ていたのに――、自分も輪の中に入っていると思うと、良い面を探してしまう。こういうのを「ゲンキンな奴」というのなら、自分はそうなのだろう。
「こんなに人がいても……、いないんだろな……」
いつもの癖で人々の服装と霊気をチェックし、溜め息交じりにクッキーを噛る。
あの人は「京で拾った」と言っていた。
長い時間をかけて、江戸から京に行き、何十年も探し回ったが、落とし主は見つかっていない。
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