第22話 狼少女のドレスアップ
学校がお休みのこの日。
アタシは貴族街を訪れていた。
生まれ育った森を離れて、ラピス学園のある街にやってきたけど。この街は大きく3つに別れている。
一つが、学校や宿舎のある区域。アタシは密かに、一般街って呼んでいる。
次に裏街。これは呪薬密売組織があった、魔族が多く住まう区域。治安があまり良くなくて、この前のようにアジトを探しでもしない限り、あんまり近づきたくない場所だ。
そして最後は、貴族街。大きなお屋敷が立ち並び、見るからに上品な人達が住んでいる場所。
詳しくは知らないけど、きっとハイネやエミリィもこの辺りに住んでいるんだろうなあ。
でも雰囲気がお上品すぎて、こっちは裏街とは別の意味で、近づきにくい場所だ。
ならなぜこんな所にやって来たのかと言うと、答えは簡単。そこにトワの家である、パルメノン家の屋敷があるからだ。
「それじゃあ、後はよろしく頼むよ」
「はい、かしこまりましたトワ様」
「さあさあ、ルゥ様はこちらへ」
トワの家とは言え、慣れないお屋敷に緊張しているアタシを、頭に耳の生えた二人のメイドが案内してくれる。
彼女達は、アタシと同じ人狼のメイド。パルメノン家ではこのように魔族を、特に人狼を使用人として雇っているのだ。
そして部屋に通されたアタシは、そんなメイドの手によりメチャクチャにされていた。
「ルゥ様、コルセットをつけますので、お腹を引っ込めてください」
「こうか? ……って、痛たたたっ! 痛いっ。痛いって!」
「さあさあ、次ぎはお化粧でございます。こっちを向いてください」
「化粧? 良いよこのままで」
「そういうわけにはまいりません。こら、暴れないでくださいませ。ええーい、取り押さえろー!」
「ギャー!」
いったい何をやっているのかって?
アレだよ。来週に迫った舞踏会の準備。トワがドレスを用意してくれたは良いけど、生憎アタシはそんなもの、着たことがない。
だから本番前に一度試着してみようってなって、トワの家を訪れていたんだけど。ドレスを着るのって、こんなに大変なのか?
ただ着替えるだけなのに、メチャクチャ体力使ったんだけど。そもそも、着替えるのに手伝いがいるってどういうこと?
そしてその手伝ってくれたメイド達は、着替えだけでは終わらせてくれなかった。
メイクまでしてくれたんだけど、これがまた大変。顔をあちこちいじくられたけど、その間動いちゃいけないときたもんだ。しかもくすぐったいし、鼻がむずむずしてくしゃみが出そうなのに、途中でそんなことしたら大惨事。
口を閉じて歯を喰いしばりながら、ひたすら我慢するしかなかった。
こんなもの化粧じゃない。もはや改造の域だ。
だけど全てが終わった後、メイド達はやりきったような、満足げな顔をする。
「ふう、完璧です」
「ルゥ様、お綺麗でございますよ」
「あ、ああ……そうですか」
けどこっちは体力が削られていて、綺麗どころかボロボロになってやしないか?
しかしメイドの一人が持ってきた姿見に映った自分を見た途端、目を見開いた。
「おい、これ誰だよ!」
「誰って、ルゥ様でございますよ」
「嘘だー、そんなわけないって!」
鏡に映っていたのはまるでおとぎ話に出てくる、お姫様のような女の子。
ドレスは薔薇のような赤を基調としたものだったけど、アタシの黒髪とのバランスがよくて、両方の色が非常に映えていた。
そして顔。元が元だから化粧したってあんま変わらないだろうって思っていたけど、目はパッチリしていて肌がやけに綺麗に見える。これ、本当にアタシか?
ひょっとして化粧じゃなくて、おとぎ話であるような魔法でも使ったんじゃないのか?
けど、頭にはしっかり狼の耳が生えている。やっぱりこれ、アタシなのか?
「後は香水もありますけど、どうなさいます?」
「香水? それってどんな?」
「これでございます。淑女の間で流行っている物なので、一応用意していたのですけど。」
メイドの一人が、化粧台の引き出しから取り出した小瓶を開ける。
すると途端に鋭い匂いが鼻をついて、むせ返った。
「ゲホッゲホッ! なんだこれ、エミリィのつけてる香水じゃねーか!」
アタシの天敵とも言える匂い。
そして咳き込んだアタシと同様、メイド二人も鼻を押さえている。
「ゲホッゲホッ。や、やはりダメでしょうか。流行っていますから、一応用意していたのですが」
「人狼にこの匂いは、キツいですよね。ゲホッ」
アンタらもダメなのかよ! そんなもの用意しとくな!
ダメだ。こんなのつけたら、舞踏会どころじゃなくなっちまう。
せっかく用意してくれたのに悪いけど、丁重にお断りして。香水は元の化粧台の中へと戻された。
「ま、まあ香水はともかく、ドレスはよくお似合いでございます。早速トワ様を呼んできますね」
「ト、トワ? 良いよ、もう着替えるから」
「何をおっしゃいますか。そんなこと言って、本当は真っ先に見せたいって思っているんじゃありませんの?」
「うっ。そ、それは……」
図星を付かれて、何も言えなくなる。
ああ、そうだよ。鏡に映った自分を見て、トワはどう思ってくれるだろうって、ちょっと考えたよ。
けど同時に、不安でもあった。本当ならこんな格好、アタシには全っ然似合わないんだもの。
もしも変だって言われて笑われたらどうしようって、考えたら胸の奥がギューって苦しくなる。
けど、アタシに拒否権なんてない。
メイドの一人が部屋を出て行き、すぐにトワを連れて戻ってきた。
「ルゥ、着替え終わっ──!?」
「トワ……ど、どうかな?」
感想を求めたけどついうつ向いてしまって、真っ直ぐにトワを見ることができない。
一瞬見えた顔は、驚いてたような気がするけど、やっぱり似合ってないのかな?
「トワ様。何か仰ってあげないと、ルゥ様が困ってらっしゃいますよ」
「ああ、うん。ごめん、あまりに綺麗だったから、驚いたよ」
「ほ、本当か?」
「うん。もちろんルゥはいつだって可愛いけど、今日は特に。まるでお姫様みたいだ」
「なっ!?」
ナ ン ダ ッ テ !?
か、可愛いって。お姫様みたいって、アタシが?
ま、ままままま、まさか。
ああ、なんだか全身が沸騰しそうなくらい熱くなって、心臓がバックンバックンしてきた。ギャー、何だこの気持ちー!
「あ、ありがとう。ま、まあ、『ファーマーにも衣装』って言うしな」
『ファーマーにも衣装』って言うのは、農夫だって立派な衣装を着たら、立派に見えるという意味の諺。
だけど照れ隠しに言ってみたけど、ニヤニヤが止まらない。
アタシも鏡に映った姿にビックリしたけど、トワに誉められた方が何倍も嬉しい。
おっしゃ! キツいコルセットに耐えた甲斐があったーっ!
大きく膨らんだドレスのスカートの中では、尻尾がパタパタ揺れている。
するとトワはそっと手を伸ばしてきて、アタシの手を取った。
「どうする? ダンスの練習も、今のうちにやっておく?」
「れ、練習?」
どうしよう。ダンスなんて踊ったことないし、トワが付き合ってくれるのなら、甘えた方がいいかもだけど。
「いい! 練習はいいから!」
「そう? 分かった。それじゃあそっちは本番の楽しみにとっておくよ」
ちょっぴり残念そうに手を放されて、アタシは大きく息を漏らす。
せっかくのチャンスだったのに、勿体ないことしたなとは思うさ。
けど無理。実はさっき手を握られただけで、トワの手のぬくもりを感じただけで、体が溶けそうなくらい熱くなったんだもの。
このまま踊るなんて無理。つーかよく考えたら手を繋いで踊るのって、メチャクチャ恥ずかしくないか!?
アタシは過去に、勢いでトワに抱きついたこともあったけど、これはそれとは別のこっ恥ずかしさがある。
顔がカーって熱くなって、汗がバーって吹き出しそうになって、心臓がバックンバックンするんだもの。そのままバタッて倒れるかと思ったよ。
ア、アタシってこんなに純情だったのか!?
「今踊って、ドレスをグシャグシャにしたら大変だから、練習は自分でやっておくよ」
「グシャグシャって、いったいどんなダンスをするつもりなの?」
それはアタシにも分かんねー。ただ頭が沸騰して、ひっちゃかめっちゃかになりそうな気がする。
ダンスはもちろんだけど、緊張しないよう心を落ち着かせる練習もしておかないといけないな。
「まあいいや。それじゃあ着替えて、お茶にでもしようか。ルゥの好きなクッキー、用意してあるから」
「やった!」
クッキーと聞いて、尻尾がパタパタと揺れる。
ついさっき手を握られてドキドキしたってのに、やっぱりアタシは色気より食い気なのかもなあ。
キツいコルセットなんておさらばだ。
トワが部屋を出て行ったのを確認すると、さっそくドレスを脱ぎ散らかす。
「ル、ルゥ様。そんな乱暴に脱がれては、ドレスが痛みます!」
「化粧を落としたならちゃんと肌ケアをしないと、荒れてしまいますよ!」
えー、そんな事まで気を使わなきゃいけないなんて、面倒臭ーい。
けどメイド達は悲鳴を上げるながら必死に説得してきて。アタシは時間を掛けて、元に戻されるのだった。
だけどこの時、アタシはまだ気づいてはいなかった。
知らないところでとんでもない陰謀が動いていて。アタシもその大きな渦に、既に呑み込まれてしまっていることに。
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