第11話 挨拶、からの涙
弘治二年(一五五六年)一月 近江国 朽木谷
「新年、明けましておめでとうございまする。公方様に於かれましては過ぎし年には多大なる御高配を賜りましたこと、この武田孫犬丸、感謝の念が絶えませぬ。心から御礼申し上げまする」
平伏しながら口上を述べる。俺の後ろには伝左と上野之助の二人も平伏しながら控えている。
上野之助はあの後、俺を追って来てくれたらしい。公方様に挨拶に上がるのに供が一人だと格好がつかない、と。
「明けましておめでとう。じゃが、そのような堅苦しい挨拶は良い。其方の顔を見ることが出来て儂も嬉しく思うぞ。息災であったか、孫犬丸」
「ええ、今日までは『何とか』生き延びておりまする」
わざとらしく『何とか』を強調して伝える。ここに疑問を持ってくれればそのまま話を進めることが出来る。
それに気が付いたのは細川藤孝であった。優しく、しかし力の入った声で尋ねてくる。
「孫犬丸様、『何とか』とはどのような意味にござりましょうや?」
それを聞いた瞬間、俺は掛かったとばかりに垂らしていた釣り糸を目いっぱい引っ張り上げる。そして、貴方達のせいだと言わんばかりの口ぶりで何が『何とか』なのかを説明することにする。
「実はどうやら我が祖父と我が父上が対立しているようなのです。祖父に至っては父上を廃嫡し、叔父の三郎様に家督を譲る、と」
そう述べると一同がざわつき始めた。然もありなん、我が父は将軍である義輝の義弟になるのだ。それを廃嫡するとなれば将軍を否定するも同義。幕臣達が看過できる筈もない。
「祖父は先の丹波出兵でぐうの音も出ない程、三好に叩かれたと申しておりました。家臣達からも激しく非難されたと。それで反三好ではなく親三好になるのではないかと私は考えております。なので、父と私が邪魔なのでしょう」
袖で顔を隠しさめざめと泣く、フリをする。幕臣達に動揺が広がっていく。悪くない流れだ。
この件で足利を動かし、父と俺の後ろ盾にする。ただ、六角も朝倉も呼応はしないだろう。
六角は祖父の妻が六角氏の出。婿である祖父にも子である父にも呼応しづらい微妙な立場に立たされている。俺ならば静観する一手だ。
そして朝倉はと言うと、かの宗滴公がお亡くなりになったばかり。まずは一向一揆衆と相対して国内の安定に努めるだろう。
つまり、祖父と三好の連合と父と足利の連合。どちらが勝るかという構図になった訳だ。消極的に介入する三好と積極的に介入する足利。
これは五分の勝負になると俺は判断する。あとは俺がどちらに付くか、だ。
祖父は千人を動員するだろう。そして恐らく父も千人は動員する筈。そこに百の兵で加われるのは非常に大きい。順当に考えれば父に与するのが道理だが、俺としては早く家督を譲り受けたい。
いや、祖父に与しても俺に益は無い。祖父が足利と離れたがっているのであれば、俺に足利の血が流れている以上、当主に成る可能性は無いのだ。
となれば、である。やはり俺は父に与するしかないのだ。そこで伝左と上野之助に活躍してもらい、地位を与え、当家への影響力を付けさせるのが今回の目的と言っても良いだろう。
「公方様。どうか、父上のお味方になっては下さいませんでしょうか?」
「当然であろう。其方の父は我が義弟。其方は我が甥ぞ。合力しない訳が無い。其方の父が若狭国主であるという御教書を用意しようぞ」
「ありがたき幸せにございまする」
そう述べて深く頷く義輝。平伏する俺。いや、笑いが止まらんわ。これで父は征夷大将軍の後ろ盾を得たことになる。日和見の国衆などは父に靡くだろう。父が優勢になっただろうか。しかし、それだけでは少し物足りないな。
「話し込んでしまい、すっかり忘れておりました。こちら、お年賀の贈り物になりまする。喜んでいただければ幸いと存じまする」
伝左が進物用の太刀を持ってくる。俺はそれを受け取り、台の上に乗せて将軍の傍に侍っている侍従の一人に手渡した。
この男、見覚えがある。確か三淵藤英だった筈。
「良い太刀が小浜に届きまして、無理を申して源四郎なる商人に譲っていただきました。まだまだ私が扱うには大きい太刀にござりますれば、公方様にご献上させていただきたく存じ上げまする」
「ほう! そうかそうか。これは何処の太刀かな?」
「坂倉関派の正利の造りにございまする」
将軍が鯉口を切る。美しい抜き身の刃が露になった。様々な角度から眺めて楽しんでいる将軍。ここで追撃の手を緩めない。今度は上野之助の名を呼ぶ。
「上野之助」
「はっ」
上野之助が進み出て俺に漆塗りの高価な箱を手渡す。中に入っているのは勿論椎茸だ。その箱を今度は和田弾正忠という男に手渡す。その男が中を検めて驚いた顔を浮かべる。それを見て少し気持ちが晴れた。
「ほう、これは!」
器が将軍の許まで届く。中を見て驚いた声を上げた。直接的な献金は出来ていないが、これで忠義を感じてもらえた筈。後はご出陣を強く願うだけである。
平伏したまま、ちらりと様子を見る。ホクホク顔の将軍が視界に映った。これであれば、押せば何とかなるかもしれない。出来る限り若狭の領民を傷つけたくはない。となれば、兵を他所から持って来る他ないのだ。
「恐れながら申し上げます。出来ますれば公方様には私共と共にご出座願えますれば、武士としてこの上ない誉にござい―—」
「其の方っ! 大樹を戦に巻き込む気かっ!」
そう叫んだのは将軍の傍に侍る幕臣の一人、柳沢元政。凄い剣幕で俺を睨んでいる。そうだ。俺は将軍を戦に巻き込むつもりだ。そうすれば、向こうの士気は下がること間違いない。
この時代の将軍家の威光は国衆や百姓にはまだまだ通用するのだ。大名ですら、煩わしいとは思いながらも無視できない影響力があるのである。
「新右衛門尉、何をしておるかっ! 孫犬丸を泣かすではない。我が甥ぞっ!」
そう言われて気が付いた。俺は涙を流していることに。どうやら柳沢元政に怒鳴られたときに涙が出てしまったようだ。今まで散々に怒られ慣れてきたと思っていたが、この身体にはまだ耐性がついていないようである。
「しかし大樹。こればかりは御身を大事になさいませ。我らが朽木谷にて雌伏するは三好を倒さんが為にございまするぞ!」
激しい剣幕で将軍を叱責する柳沢元政。彼の意見は正鵠を得ている。あくまで足利の敵は三好なのだ。それを忘れてはならない。
長い滞在で忘れているかと思っていたが、しかしどうだ。優秀な家臣を持つと厄介とはこのこと。それであれば、こちらもそれを利用させてもらうだけのことである。
「なっ、何を仰られます。それであれば尚更のこと父上にお味方するべきにございます。このまま指を咥えて静観していれば若狭も親三好、反足利になりましょうぞ。しかし、ここで父上を御助けになれば若狭と公方様の絆は一層の事、強まりましょう。偏に親三好を減らし、親足利を増やす。これもまた三好征伐の一環に。ひぐっ」
流れる涙を止め、ぐずりながら申し上げる。将軍は俺を見ながら何度も深く頷いていらっしゃった。どうやら琴線に触れることが出来たようだ。開いていた扇子をぴしゃりと閉じ、立ち上がってこう宣言する。
「孫犬丸の申す通りじゃ。有事の際は若狭に義弟を助けるため兵を出す事にする。しかし、儂が行くことは難しいのじゃ。孫犬丸よ、堪忍してくれ。和田弾正忠、この件はそちに一任するぞ。これで終いじゃ」
「ははっ」
一同が頭を下げる。良し、これで父上が有利に事を運ぶことが出来るぞ。後は祖父方に与した者を悉く処断する。最低でも領地を召し上げたい。それで伝左や上野之助に与えるのだ。さて、誰が祖父に与するか、見物だ。
「孫犬丸よ」
「は、ははっ」
急に名を呼ばれて狼狽する。より一層、平伏して低頭する。何かご不興を買うことをしてしまっただろうか。
今、ここで将軍の心証を害すると先程の約定も反故になりかねない。将軍の御前を去るまでは細心の注意を払わなければ。涙の他に汗が流れる。
「大儀であった。太刀、椎茸共に用意するのは大変だったであろう。其の方の心配りを嬉しく思う。父のことは案ずるな。必ず、何とかして見せようぞ」
「ははっ、ありがたき幸せにございまする」
こうして、俺は将軍、足利義輝の協力を取り付けたのであった。
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