元同僚魔法少女、ほくそ笑む3

 帰ってきた私に気付くなり、ドクターシノブはハッと立ち上がって険しい顔を作った。


「遅い!!」

「いや、何が?」


 時間は18時を過ぎたところである。私がもし小学1年生であれば納得の怒られ具合、いや、小学1年生でも別に家族以外、特に怪しげな秘密結社の黒スーツメガネに怒られる筋合いはない。

 19歳、大学生の一人暮らしである。18時帰宅はむしろ早すぎではないだろうか。サークルやバイトや飲み会に精を出し、次の日の始発で家に辿り着くやいなや寝落ちするくらいが健康的かもしれない。


「早くしろ!!」

「だから何が?」


 黒毛和牛という要冷蔵ものを持っているのでスルーしてさっさと中に入りたい私とは対象的に、ドクターシノブはどうもこんばんはさようならで帰ってくれそうな気配がない。鍵を持って近付くとドアの前から立ち退いたものの、私の後ろにすかさず回ってじっと鍵を開くのを見つめている。まるでそのまま入ろうとしているかのように。


「すいません、家族でも彼氏でもない男を部屋に入れる趣味はないので」

「彼氏なんて聞いてないぞ!!」


 ドクターシノブが怒鳴った瞬間、いつも細く台所の窓を開けっ放しにしている一階の屋間田さんがテレビの音量を上げた。寡黙でやや頑固なおじいさんによる「うるさいアピール」である。音量が最大までいくと屋間田さんの隣に住む素図来さんの奥さんがヒステリーを起こして大家を呼ばれるので注意しなければならない。この大きさは、32段階中の24くらいか。まだまだメモリは残っているが、28くらいまでいくと急激に音量を上げる速度が上がるので油断は出来ない。

 私の隣に住んでいた差塔くんは、大家を3回呼ばれてちょうど一週間前にスゴスゴと引っ越していった。差塔くんは生放送とか何とかチューバーで独り言のかなり大きな人だったため引っ越してくれて私も助かったけれど、このアパートは大学周辺で一番安い賃貸なのでその二の舞にはなりたくない。


 私はドクターシノブに人差し指を立ててシーッと注意をしてから、指をだらんと垂らしてシッシッと追い払う。とりあえず部屋の中へ入ろうとすると、艶のある黒い革靴が押し売りセールスマンのようにドアが閉まるのを防いだ。追い払われたのがプライドに障ったのか、ひくひくと口元を引きつらせている。


「何ですか。用事もないんで帰ってください。警察呼びますよ」

「呼びたくば呼べ。この電波妨害されている地域で呼べるのならばな!」

「静かにしてください」

「ここで騒ぎ、素図来さんのヒステリーを引き起こしたくなければさっさと私を通すがいい」


 ご近所のことまで調査済みらしい。


「ふん、強情なやつだな……ほら、すぐそこの八福神商店街で使える商品券10万円セットだ」

「じゅうまんえん……」

「このまま部屋に通せば4万円分、きちんと話を聞けば更に倍だ」

「卑怯な……ちなみに残り2万は?」

「精一杯もてなしてみろ」


 2万については保留しておくとして、部屋に入れただけでおよそ8万円分の食費が手に入るとは。

 今日明日の分は持たされたすき焼きの残りがあるとしても、8万円あれば4ヶ月は固い。元の食費と合わせると、少々の贅沢を出来るではないか。国産牛だって買えるし、おつとめ品ではない野菜も手に入る。ホイップカステラの無料商品券にプラスしてドリンクを頼んだって怖くない。


 冷静に物事を計算した結果、私はドクターシノブを家に上げることにした。

 長身の男一人ぐらいであれば私にとって脅威ではないし、特に盗まれそうなものも置いていない。昔取った杵柄で、彼が危害を加えようとしたら反撃して昏倒させ縛るくらいのことは出来る。屋間田さんのテレビ音量はかなり上がるだろうけれど。

 そう判断して案内したのに、ドクターシノブは家に入った途端に文句を言った。


「そうやすやすと男を家に上げるとは、貴様は警戒心が足りんぞ!」

「大丈夫ですよ。自分の部屋なので凶器になりそうなものも防具になりそうなものも把握してますから。4万は?」

「そういう意味ではない! 貴様は私が男だとわかっているのか!」

「わかってますよ。この前蹴ったし。4万は?」

「そういうことではない……!!」


 ドクターシノブ、血圧高そうだ。そんなに怒っていると心臓病とかで死にそうな気がする。

 何かを遠回しに訴えているドクターシノブを急かして、4万円分の商品券を強請る。ドクターシノブは「蹴るのはマジでやめろ」と真剣な声音で言いながら手渡した。商店街の判子と呉服店のサインが入っているので本物のようだ。


 ピカピカの生活費を大事に財布に仕舞い、ピカピカの黒毛和牛も大事に冷蔵庫に仕舞う。白菜は立派過ぎて、うちの狭い野菜室には入りそうになかった。こんなに大きい白菜、スーパーではなかなか見ない。

 他の野菜を先に片付けるべきか、白菜をすぐに消費するべきか悩んでいると、すぐ隣で私を観察していたドクターシノブが口を出してきた。


「おい、じゃがいもは常温で保存しろ。しかもこれ、かなり時間が経っているだろう。使い切らないと無駄にするぞ」


 いきなり庶民的なイチャモンである。


「人参も新聞紙やチラシに包んで……これも日にちが経っているではないか。野菜は新鮮な内に食べろ」


 安い時にまとめて買うのでそうホイホイと新鮮野菜を消費出来ないのだ。


「白菜はやたらと良質ではないか。肉もどこで貰ってきた。知らない人間について行ったのではなかろうな」


 ぶつぶつと文句を言いながら、ドクターシノブは人の冷蔵庫を勝手に開けている。電気代が心配なのでやめてほしいけれど、おもてなしの2万円を考えると下手に文句も言えない。


「このラインナップからすると、すき焼きを食べてきたな。麩の焼印からして今全か……このレベルの肉をこのレベルの材料で調理するとなれば、肉じゃがだな。そろそろ賞味期限の近付いている白滝もある」

「は?」

「白菜は半分に切れば空いたところに入るだろう。一部をサラダに使って、くそ、ドレッシングもないのかこの家は」

「ちょっと待ってください。まさかウチの食材を食べる気じゃありませんよね」

「安売りの野菜と貰い物の肉のくせに何をケチくさいことを言っている。残りの商品券を握っているのは私だということを忘れるなよ」

「くっ……卑怯な……ッ!」


 図案化された八福神が微笑む紙をひらひらさせながら悪辣に嗤うドクターシノブは、夕食を家で食べることにしたようだ。さすが悪の秘密結社である。





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