第311話 蠱毒23(貴船サイド)
直後に窓ガラスが割れた。心地よさすら覚える破砕の音、千々に散って煌めく欠片が次々に床を汚す。何者かが侵入してきたことは明白だったがこの階層が30階であることを踏まえるとあり得ざる光景に全員が絶句した。侵入者は着地した姿勢から直立姿勢に体を直すが、動くたびに「ギギ…」と節々から軋む音は明らかに人ならざるモノと示す。
「何…これ?」
当事者たちを除く者たちの誰もが抱く思いを貴船は吐露する。それほどまでにそれの姿は現実の存在と受け止めるに時間が必要とする外見をしていた。
騎士を思わせる外見とは裏腹に体色は寂れた外壁を思わせるカーキ色。それと相反するように燦然と輝くステンドグラスを思わせる双眼と胸郭は空っぽの像に魂が宿ったという表現が的確と思う外見をしている。
『A…A…』
底が見えない怨念に燃える目と声は空間を一瞬で飲む。主導権を握られてしまえば敗北と頭の中で理解していても足が竦む。例外は存在するのが世の常であるが。
「ヤッバ」
乾いた嗤いを漏らして糸場はバスターハートを片手にこの場を好き勝手にしているデスモニアの首を飛ばそうと一直線に狙う。鎧袖一触。速攻で終わらせなければ自分が不利になる立場と分かっての行動だ。
ガアンッ‼
金属と金属がぶつかり合う音とは違う音が部屋中に響いた。しかも、驚くべきことにそれは片手で、何の苦もなく糸場の一撃を受け止めている。
「こんのっ‼」
挟まれた刀身を解放しようと力を込めるも力は拮抗している。もう少し力を込めればと糸場は柄を握る手に力を込めた。
『A…A…』
そのときになって糸場はそれの顔が動いたところを目の当たりにした。
口に当たる部分が横に裂けた。
「テメェ‼」
バスターハートから手を離し、今まさに口を開こうとしていた顔に真正面から蹴りを浴びせた。絶好の機会を逃さずにバスターハートを拘束している腕を容赦なく粉砕する。ボロボロと崩れる様子に糸場は目を見開いた。
「お前…」
ニヤニヤと余裕を貼り付けた顔で戦いを眺めていたデスモニアに問いただす。
「どうやって作った?」
「紛い物ならば、分かる話でしょう?」
返された答えに糸場は顔を顰める。それの正体は分からないにしても、内側を彷徨う死は鎧の隙間から漏れ出ている。
「…どれだけ殺した?」
「さっき言いましたよね?援軍は期待すべきでないと」
貴船の頭の中で事態が符合していく。辿り着いた真相に自然と眼光は鋭さを帯びる。
「イカレてやがるな」
「私が狂人ですか?」
「よく分かってるじゃん?まあ、これで心置きなく殺せるってもんだから、ありがたーく思っておいた方が、バチ当たらないかな?」
「誉め言葉…。そう受け取っておきましょう。高々人間如きと同列に見られるのは些か以上に業腹な話ではありますが、ね」
「こっちこそ一緒にしないでいただきたいですね」
煽るデスモニアに貴船は毅然とした言葉で返す。死地に赴き、狂乱の道中にあっても一向に退かない姿は呆れてしまうほどに健気だ。
「貴女が行ったのは、ただの虐殺です。彼らはこの戦いに何の関りもない」
真摯に訴える言葉を受けてデスモニアは噴き出した。眺めていた者を不快にさせるには十分すぎた。
「自分たちに正義が存在するとでも?」
「私たちは為すべきを為している。正義ではないでしょう。多くが私たちのやっていることを非難することを十分に理解しているつもりです。ですが、欲に駆られるがままに暴れるしか能がない吸血鬼たちと比較されるのは、堪えられない」
「あの男に随分と毒されたらしいですね」
「毒されてなどいませんよ。私たちは、借りたものを返している。それだけです」
銃把を握り締める貴船の手は小さく、小刻みに震えている。自分たちが積み上げた所業を踏みにじられたことを許すことは出来ないと示している。
「関りがない者は誰一人として存在はしない。『死』という結末から逃れられる存在は、この世界において誰一人として。知らないと目を逸らしたところでそれは突然やって来る。それだけの話です」
「その手を下すのは、貴女じゃない」
クツクツと笑っていたデスモニアの顔から急速に感情が引いていく。津波が来るときの前触れを思わせる態度に全員が身構えた。
「もう少しは面白い答えを期待していたのですがね…」
的外れの答えを聞かされたと分かる態度でデスモニアは盛大に高笑いを上げた。多分に嘲りを含ませた声音は明かされた真相も相まって悍ましい。耳に届けば恐慌を煽り、目にすれば狂気を刻まれる。逃げ出すことを忘れて、逃げることを忘れて誰もが足を動かすことをしなかった。
「さて、質問は以上と受け取らせていただきましょう。口を開かないということは、もう覚悟は決まったということでしょう?」
ギギ、ギギ。嫌な音が聞こえたと同時に騎士が緩慢な動きで前傾姿勢になる。
「偉そうに説法するのに自分の手でアタシたちを殺さないんだ」
「まさか、私が手ずから下しますよ。この苛立ちを何処にぶつければいいのか分からないですから」
右手にクラシカルな銃。今すぐにでも火を吹かせろと急かしているように見える。
飄々としている態度と合わさってより大義も何も存在していないのだと実感する。表だけを着飾っている。そんな印象が嫌でも地獄の日々を思い起こさせる。
ーこの女は、嫌いだ。
強く実感した。嫌悪が総身を舐め尽くす。
軽薄で退廃的、体液臭さに叫びそうになる。それほどまでに、デスモニアは貴船の根幹を揺るがした。だから、余計な感情に呑まれて敵からの注意を逸らしそうになって顔を含む体全体に力が入る。
「怖い顔ですね」
ジッと赤い瞳に見据えられる。細くなった瞳孔はまるで蛇だ。
「命かかってますから」
自身の根幹にある臭いものを悟らせまいと素面を貫く。貫いて、見透かされる。唇の間から覗いた犬歯は狙った獲物を逃がしはしないと物語っている。
「力みすぎですよ。嘘を吐くにしては、ね」
荒れる炎が銃口より放たれる。驀進を続ける豪炎の咢は直線状にあるものを次々に飲み込んで、貴船たちに牙を剥かんと迫る。
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