第309話 蠱毒21(貴船サイド)
不満が部屋に充満している。部屋にいる誰もが自分の置かれている今に、それを巻き起こした人間への憎悪に彩られている。折角の晩餐と贅を凝らしたスイートルームの輝きを酷く汚している。
没落貴族となった男たちは狭い食卓を窮屈そうに囲んでいた。漂う匂いは空腹を誘うものだが打ち消すほどに部屋の空気は淀んでいる。不満と怠惰。相反する2つはぶつかり合って更に空気を悪くする。
「クソ。
「裏切り者が、このままでは済まさんぞ」
カチャカチャと音を立てるナイフとフォークの音に混じって怨嗟の言葉が溢れ出る。テーブルを囲む男たちの口からはそれが呼び水になったのか泡の如くポコポコと出る。
「我々に世話になっておきながら」
「誰が弁明しなければならんと思っている」
つい先日前まで『羽狩』を統治していた委員会の成れの果てだ。与えられた権限の全てを私欲を満たす限りに利用するだけ利用した者たちには当然の末路と言えた。その事実を受け止めていないのは当事者たちだけで見ている者を苛立たせるにはあまりにも十分だ。
「うっさいんだけど」
ひそひそ声が少しずつ大きくなって火を噴こうとしたところで糸場が冷や水を浴びせる。高まっていた温度は元の温度どころかマイナスまで落ちた。サザエの如く内に閉じこもって大人しくしているなど性に合わない糸場にとってはこの場にいること自体がフラストレーションの溜まる原因にしかならない。心の底からこの仕事を丸投げした姫川と現在進行形で姿を消しているハーツピースにぶつけ損なった衝動を丁度良いサウンドバックにぶつけることを選ぶ。
「ご飯は黙って食え、箸を持つ手は右手。ガキでも知ってることだろ?」
「箸は右手でなくてもいいのです。それに今はナイフとフォークです。あとお菓子を食べて寝ころびながらゲームをやらない。約束ですよ?」
やや的外れな指摘をした糸場の言葉を貴船が軌道修正してルール違反をしたことに圧力をかける。ついさっきまで畜生相手に威圧的だった糸場の態度は風船がしぼんでいくように大人しくなる。
「あとちょっとだけだから」
「どれぐらいですか?」
「う~ん」ポチポチと糸場はボタンを押しながら眉をへの字に曲げる。
「10分ぐらい?」
「ダメです」
貴船はにべもなく糸場の主張を一蹴した。持っていた携帯ゲーム機を没収しようと手を伸ばす。
「え~‼ちょっとぐらい別にいいじゃ~ん‼」
頑なな態度を取る貴船に糸場は指を止めずに食って掛かる。この事態には慣れているためか貴船は一向に手を引かない。
「約束を破るのはこれで3回目です。仏の顔もって言葉もありますので」
少し低くなった声音と共に貴船は糸場へと顔を突き出す。のっぺらぼうと化した不気味な面貌を前にして糸場は「う…」と小さく唸った。その隙を逃さず、貴船は糸場の顔の前に顔を近づける。念押しを思わせる圧力はついさっきまで圧力に晒されていた元委員会は貴船に恐怖の眼を移す。
「む~‼」
「むくれてもダメなものは、ダメです」
と言い残すと貴船は糸場の手から携帯ゲーム機を取り上げる。
「食べ終わったら好きなだけやってください」
「分かったよ」
お小言をこれでもかと食らった糸場はさっきまでチョイチョイと摘まんでいたスナック菓子を袋ごとひっつかむと一息に口のうちに流し込み、バリバリと噛み砕いて飲み下す。続けて乾燥した口を潤すためにジュースをボトルごと呷る。ゴクン、ゴクンと動いた喉の動きは元委員会に再び糸場への恐怖を再燃させるには十分だった。苛立ちに燃える瞳は当然のように事を起こした当人たちへ向けられる。手に収まるボトルは糸場の握力に負けて粉々に砕け散った。
「見世物じゃねぇんだよ。ジロジロ見んな」
圧力に晒された元委員会は視線を逸らして目の前にある晩餐に無理やり意識を戻す。戻さなければ、恐怖に負けて窓から飛び降りていただろうことは想像に難くない。
コンコンと扉を叩く音がした。
「何か頼みましたか?」
「さぁ…」
テーブルを囲んでいた誰かが口を開いたが誰も思い当たらず困惑に陥る。動くかないでいる委員会に嫌気がさした貴船が扉を開け、飛び退いた。水面に波紋が走ったかのように突然訪れた事変に目が釘付けになった。
その顔に誰もが息を呑んだ。動くことが出来ず、来訪者が部屋に入っても動くことが出来なかった。
「ごきげんよう」
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