第10話 闇夜9(葵サイド)

 勢いよく缶ビールを煽ると琵琶坂黒子びわさかくろこはつまみに用意していたスルメイカを噛み切った。テーブルの上にはスルメイカを始めに冷奴など様々なつまみが所狭しと並んでいる。次のつまみに手を出そうとしたところで呼び出した張本人のあおいが部屋に入って来る。


「あー、さっぱりした」


 品のない声を上げながら葵は設置してある座椅子に遠慮なしに座る。その立ち振る舞いに黒子は憮然とした顔で葵を見る。


 途中で回収していたビールを開けると躊躇いもなく一気に煽る。姿もそれに合わせたかのようにタンクトップとハーフパンツに濡れたまま投げっぱなしのブロンドの髪が仕事終わりの会社員を思わせる。しかし、その身には普通に生きていればあり得ないであろう古傷が手足を始めに体の多くに刻まれている。


 プルタブを開けると空気が抜ける音がした。黒子は葵が一息つくのを待った。


「また勝手に動いてるらしいわね」


「ん?」黒子の問いかけに葵は心外だと言わんばかりに敵意を滲ませた言葉を返す。


「反逆でもする気?」


「しないよ。やっても勝てないし」


 スルメを掴むと葵は黒子がしたときと同じように噛み、一気に引きちぎる。


「アホ?アタシが自分の状況を分かってないと思う?」


「ないわね。したところで何の成果も得られないことはアオが一番よく分かってる」


「中央に提出した話が蹴られた?」


「予想通りにね」


 黒子の言葉を受けても葵は特にショックを受けていない。


「ま、そうなるよね」


『羽狩』は幾つかの支部を持っている。葵が所属しているのは第二支部と呼ばれている場所で埼玉、群馬の守備を担当している。中央は本部であると同時に首都圏全体の守備を担当、それ以外にも支部は存在しており全部で4つの支部が存在している。


「らしくない真似してるわね」


 黒子は冷奴を口に運ぶ。生姜と葱の辛さと醤油の味が口の中に広がってビールを進める。


「アタシは仕事をしてるだけ」


「でも、目立ちすぎよ」


 黒子の言葉に葵は耳を傾ける。


「中央には間違いなく吸血鬼が入り込んでる。今以上に圧力が強くなるわよ?」


「そっちにも被害が?」


「今のところは何も。左遷された研究者に今更時間を割いたりしないわよ」


 そうは言ったところで圧力が強くなれば真っ先に自分が狙われる身であることを黒子自身が理解できている。このことを葵に口走ってしまえばどのような行動に訴えるかは分かっているため今は黙っておく。


「コソコソしてるのがあいつらしいね。一気呵成にやってこないのが本当にイライラする」


「そんな勢いで来られたら私の身が持たないわよ」


「いいもんよ。殺し合いの空気も」


「胸焼けがするわね。もう懲り懲りよ」


 拒絶する黒子に葵はにやけ面で迫る。


「否定したところで無意味だよ。アタシたちは同類。この地獄を作る要素としてね」


「違うわ。私は失敗作。アンタとは雲泥の差があるのよ」


 躊躇いもなく缶ビールを次々と開けては飲み干していく葵の顔は少しずつ赤くなっていく。それに伴って言葉に遠慮が無くなっていく。対して黒子は面倒なことになると察して飲むビールの量を抑える。


「力は各々違うところに宿る。アタシは手に、クロは頭に。そして、自分以外を殺すことに使うよう運命づけられている」


 剣呑な葵の目を見ていると黒子は返す言葉が浮かばない。この迫力には逆らえないなと黒子は諦め気味に葵の顔を挟む。


「アオの面倒くささは遺伝子レベルで刻み込まれてるわね」


「生きるってのは面倒くさいんだよ。だからこそ楽しみが必要」


 葵は顔を挟む黒子の指を掴むと口に入れようとして手を引かれた。眼前で楽しみを奪われた葵は不満で唇を尖らせる。


「価値観の強要は生きる上で最高の失敗よ。そう思わない?」


「…アタシが悪かった」


 諦めて葵は両手を上げて降伏のポーズをする。彼女が落ち着いたと確認した黒子はビールを飲んだ。


「ところで、上梨に押し付けた少年は生きて帰って来れると思ってる?」


 上梨令うえなしれい


 かつては名高い吸血鬼殺しとして名前を馳せた人物だった。経緯は不明だが、ある日突然引退して一線を退いた挙句に行方不明になったと聞いている。それが今や日本人となって隠居しているなどと当時を知る人間が聞いたら卒倒ものの話だろう。


「事故さえなければ生きて帰ってくるよ」


「自分から首を突っ込んで来るなんて呆れるわね」


「アタシは頭の良さを買っているよ」


 姿勢を直して葵はビールを飲み、スライスしたチーズをのせたトマトに齧り付く。


「自分で選んだんだ。これほど幸せな話もない。ある日、死ねと突然迫られるよりは余程いい話。バカは死に方すら選べないからね」


 話に飽きたのか葵はコップにビールを並々と注ぐ。酒が回っているとはいえ生きる時間を十分に楽しんでいるように思える。


「運の無さは100年に一度の逸材ね」


「かもね」と言い、葵は並々と注いだグラスをゆっくりと持ち上げる。


「だけど、それも生きるってことだね」


 並々と注いだグラスを一気に煽ったのを皮切りに箍が外れたのか葵は浴びるように酒を飲んだ。


                   ♥


 終わったのは0時を回ったところだった。空き缶を抱えるように葵は眠っている。こうなることはいつものことだと分かっていたが、隣の部屋に布団を敷いて彼女を寝かせる。


 さっきまで酒を浴びるように飲んでどんちゃん騒ぎをしていた女性とは思えないほどにあどけない顔を晒している。


「お姉ちゃん…」


 立ち去ろうとした黒子の耳に寂しげで、縋るような葵の声が聞こえた。

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