第3話 落としモノは窓の中

 そして、一年半が経った頃――。


 十五歳になったカムクが、鍛錬の前に一度、プラムの部屋へ訪れる。


 以前と変わらず、プラムの体の調子は良くない。しかし、かと言って悪化したわけでもなく、部屋の中にいれば、彼女が体調を崩すこともないのだ。

 村の大人たちが危機感を抱かないのは、楽観視させてしまう条件が整っているせいだ。


 親友が語った覚醒者についての知識も、村のみんなは知らず、


 東の王国へ遠出をしたいと名を挙げる者もいない。


 定期的に村へ訪れる商人に頼んだこともあれど、カムクを乗せていってくれる商人はいなかった。王国へ直接いくのではなく、いくつかの村を数ヶ月かけて回るため、カムクの存在は商人にとって受け入れ難いものだったらしい。


 だから仕方ない。

 元々、鍛錬の後に一人で出発するつもりだったのだから――。


 扉を開けると、彼女と目が合う。


「あ、おはよう、クーくん」

「よ、プラム。と、ゴーシュ」


 プラムがいつも抱えていた大きな枕が、今は小さな獣の民に変わっている。


 八重歯が特徴的な、虎に見えるが、しかし皮膚が爬虫類のそれなので……、種類がよく分からない。トカゲ……? にも見える。

 まだ子供なので、成長して大人になってみないと分からなさそうだ。


 一ヶ月前、森で鍛錬していたカムクが、怪我をして倒れていた彼を発見した。命の危険があったため、村に連れて帰り、最低限の治療をして、回復を待った。

 その間、面倒を見ていたのがプラムだった。ゴーシュの名付け親はプラムであり、過ごした時間が長いためか、ゴーシュもプラムに懐いている。


 本来なら、全快した後に彼がはぐれたであろう群れを探し、合流を手伝うつもりでいたのだが……、いざ部屋から出ようとすると、ゴーシュがプラムに引っついて、離れようとしなかったのだ。


 ゴーシュはまだ人語を理解できないため、カムクと意思疎通は取れないが、プラムはなんとなくだが、彼の気持ちが分かるらしい。

「戻りたくないんだって」――とのこと。


 群れを探し、合流させるためにはそれなりの人手と時間を必要とするため、戻る気がないのなら、この村の一員にしてしまうのもいいと思っていた……。

 昔から、そうして集まってできた村なのだ、反対意見が出るはずもない。


 カムクを除けば、だったが。


「……毎日、プラムが楽しそうに笑ってるから認めるけど……、ゴーシュ。

 プラムに変なことするなよ」


「クーくん、なに苛立ってるの?」


 プラムから注がれる非難の目から逃げるように。


 うるせえ、と言い残して、部屋を出る。

 そのままずるずると床に腰を落として、


「……またやっちまった」


 こうして一度、扉を閉めてしまった以上、再び開けるのは気まずい。


「仕方ねえな、鍛錬に向かうか……」


 鍛錬の後に再び訪れた時には、この気まずさも消えてなくなっているだろう。



「変なクーくん」


 ゴーシュを胸に抱きながら、プラムが呟いた。


「ここ一ヶ月くらい、クーくんってば、わたしを見て嫌そうな顔をするんだよ? 

 ……酷いと思わない?」


 言いながら、ゴーシュの顎の下を指で撫でる。

 すると、ゴーシュが大きく頭を振った。


「あ、ごめんね、嫌だった?」


 まだ人語は話せないものの、目を合わせたり頭を振ったりなどで意思疎通ができている(はず)プラムが、ゴーシュからの反応がないことを不思議に思った。


 彼が、じーっと見つめる窓の外へ、プラムも視線を向ける。


「外にいきたいの? ごめんね、わたしが出られないから……」


 しかし、それも長くは続かないだろう。


 あと半年。約束してくれた幼馴染のカムクが、具体的な方法を持って、外に出られるように治してくれる、と言った。

 そのために、カムクがこの部屋にいる時間がぐっと減ってしまった。プラムにとってはそれが一番、嫌なことだったけど――、

 自分のために頑張ってくれているカムクに、もうやめてとは言いづらい。


 それに。


「クーくんに、期待してる自分もいる……」


 でも、次第に膨れ上がってくるのは……、それでいいの? という自問だ。


 自分の自由のためなのに、こんな安全地帯で待っているだけでいいの? ――と。


 待っていてほしいというのがカムクの願いなのだとしても、黙って従うしかないとは言え、不満を一切持たないプラムでもない。


「……やっぱり、決めた」


 思えば、東の王国へいき、医者や……魔道士? 賢者? を連れてくるのは、大変だ。

 カムクもそうだが、わざわざ村まできてくれる人たちの負担も大きい。だったら――、


「わたしも、東の王国にいく」


 ばっ、と振り向いたゴーシュの訴えを感じ取ったらしく、プラムが決意を口にした。


「もう決めたんだから!」



 森の中での鍛錬の最中、打ち合っていたテナガザルの意識が僅かに横へ逸れた。


 瞬間、カムクの木剣が、相手のこめかみを打つ――寸前で、手を止めた。


「わざと隙を見せて誘った……? にしては、当たるところだったぞ」


「素直に当てていればいいのによ。自信に繋がっただろうに……まあ、美味しい話を疑えってアドバイスを実戦してるところは、褒めるべきだろうな」


 言葉を交わしながらも、テナガザル……、彼らの視線は周囲に向いている。


 一つの方角ではなく、きょろきょろと各々が視線を回していた。


「? どうかしたのか?」

「誰か、きているな」


「そう……なのか?」

「目を瞑ってみろ」


 言われた通りにまぶたを閉じて、視界に頼らず意識を外側へ集中させると、


 ――枝を踏み割る音が聞こえた。


 しかもその足音は一つではない。……四、五人か……? いや、もっとだ。


 すると、森の奥の方から悲鳴が上がった。カムクが反射的に目を開ける。


「今のって……っ!」

「大丈夫だ、森はオレたちの巣だ。そう簡単にみんながやられるはずねえよ」


 しかし、言葉とは反対に、悲鳴がどんどんと近づいてくる。


 もしも襲撃者を撃退しているのであれば、悲鳴は森の端で溜まるはずなのだ。


 にもかかわらず、悲鳴が着々と近づいているということは……――。


 ひうん、と、風を切る音に気付いた時には既に、隣にいた親友の胸に矢が刺さっていた。


「……お、おい…………?」


 震える手で、自分の胸に刺さる矢に触れる寸前で、彼の膝が地面に落ちた。


 ぐらり、彼の意識が落ち、体が横に倒れる。


「――おい!?」


 彼の体を支えるように抱える。

 すると、生温かい液体が、カムクの腕から滴っていた。


「血が……ッ、しっかりしろッ、おい!?」


 瞬間、カムクのすぐ横に矢が突き立った。彼を狙ったのではなく、別の獲物へ向けて放ち、はずれた矢が偶然、カムクの隣に落ちただけだろう……。


 だが、照準がカムクに重なるのも時間の問題だ。

 カムクよりも体が大きいテナガザルのおかげで、まだ襲撃者に見つかっていないだけだ。次々と仲間たちが矢で撃ち抜かれているのだから、標的が少なくなれば、カムクの姿も相手には見えてしまうだろう。


「暴れるな、バカやろう……!」


 刺さった体の矢をそのままに、枝の上から落ちたテナガザルたちが、互いに頷き合ってカムクの体に覆い被さった。

 一人や二人ならばまだ可能性もあったが、それ以上となると彼の力では持ち上げられないし、抜け出すこともできなかった。


「お前ら……、なに考えて……ッ!!」


 親友の耳元で不満を訴えるも……、彼からの返答がなかった。


 しかも、身じろぎ一つない。

 山のようにこんもりと盛られた獣の固まりの重さで、身動きが取れないのかもしれない。そうだ、そのはずだ。そう言い聞かせても、まばたきをしない彼の体は、既に硬直し始めていた。


 彼だけでなく、最後の力を振り絞ってカムクに覆い被さった仲間たちは、もう……。


「おれを、矢から守るために……?」


 彼らの真意に気付いた時、聞こえた新たな足音に、もう一つの目的も察した。


 カムクが親友の懐に潜り込んで、息を潜める。


 足音の正体は、言わずもがな、テナガザルたちを殺した、襲撃者だ。


「団長、こいつら、別に殺さなくても……売れたんじゃねえの?」


 カムクを隠す死体の山に跳び乗った、宝石を体中に巻き付けた青年がいた。


 その隣には、黒い正装に身を包む、高い身長を持つ初老の男。


「高い値にはならんよ。ありふれた種族は希少価値がない。殺しても殺しても湧き出てくるようにどこかしらにいるはずだ。

 売れない商品の在庫を抱えていても仕方がない……それに、これは正当防衛だ。なにもされなければ手を出したりもしなかったさ」


「ふーん、そういうもんか。……いつの間にか、商人みたいになっちまったな」


「元々商人だ。仕入れた商品が盗品ってだけでな」


「にしし、巷を騒がせてる盗賊団ってのは、オレたちのことだもんな」


「嬉しそうにするな。お前、王国の酒場で酔って吹聴したりしていないだろうな?」


「ばっか、団長。酔ってたら吹聴してたかどうかなんて覚えてるわけないだろ」


 初老の男が、溜息と共に頭を抱える。


「……身の周りの関係をざっと調べておくか。調査員が紛れているかもしれん。

 ちっ、お前のせいでしばらくは東の王国へはいけずじまいだ」


「じゃあ次は西か? 南か? 北は寒いから嫌いだ」


 彼の言葉はのんきなものだが、場所を変えるというのはありだ。


「それは後で決めるとして――本当にこの森で落としたんだな?」


「たぶんな。この森に入る前にはあいつ、ちゃんといたし……、東の王国、直通の道を通ったんだろ? 王国に入った時にはもういなかったんだ……この森にいる可能性が高い」


「人海戦術で探してみたが、見つからない、か」


「そりゃ五日も前ならなー。

 死んでるか、地中の奥底に隠れているか……もしくは、こいつらが匿ってるか」


 青年が、乱暴に死体を蹴り上げた。


「もしも商品が死んでいたら、逃がしたお前を殺すからな」

「そりゃねえよ団長、好きで逃がしたわけじゃねえんだから」


「あれの確保にどれだけ苦労したと思ってる。

 お前が一番、身に染みているはずだろう」


「大変だった……未だに背中の傷が疼いて疼いて仕方ねえよ」


「……あの群れに襲われて、よくもまあお前は生き残れたものだよ……。

 正直、今だから言えるが、見捨てる気でいた」


「トカゲを攫ったら、実はオレがトカゲの尻尾切りされそうだったのかよ」


 文句を垂れながらも、しかし青年に不満はなさそうだった。


「団長、もしかしてだけど……、

 逃げたあいつを匿っているのがこの獣じゃなくて、人間って線はあり得るか?」


「人里に近づく種族ではないが……、もしも、人間が村に連れていったのだとしたら、可能性はある。そうだな、この森にいる獣の民を尋問して吐かなければ、村にいると考えていいだろう」


「近くの村……、あれっぽいな」


 彼が指差したのは、カムクの故郷である。


「…………ッ」


 息を潜めていたカムクが、思わず声を発しそうになった。


「団長、村の連中が素直に返してくれなかったらどうするんだ? 金を積んで買い取るのか?」



「お前は今までなにを見てきたんだ。苦労して稼いだ金など一銭もやらん」


「――丁寧に説明して、それでも返してくれなければ、力尽くで奪うだけだ」



「にっ。やっぱり、それが盗賊のやり方ってもんだよな」


 二人の会話が遠ざかっていく。


 死体の山の下敷きになっているカムクは、周囲の気配が消えた後も息を潜めていた。


 盗賊の会話から察するに……、


「あいつらが探しているのは……ゴーシュ?」


 そして。

 今、彼と一緒にいるのは?





 ……………………………………プラム?

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