第十八話 忠誠は、誓っていなかったが
~SIDE シャルル~
「久しぶり、と言えばいいのかしら? カール」
「だから、そう呼ぶなと何度も言っているだろう。俺はシャルルだ、ライオノーレ」
サーデンを殺した俺は、直後に一人の女性から話しかけられた。
まだ血にまみれた俺に、こんなフランクに話しかけてくるのはたった一人しかいない。
迷宮蜂の女王、ライオノーレ。俺の昔の主だ。
かつて、迷宮蜂において最強の群れを作り出した人物である。
彼女の力は獅子をも屈し、精霊さえも従えて見せる。絶対なる支配の力が、彼女にはあった。
……しかし、それも過去の話だ。今の彼女に、そんな力は残っていない。
『絶対王者』。彼女も昔所有していたスキルだが、これはそう、妖精王オベイロンの十八番だった。
ライオノーレはオベイロンに屈し、『絶対王者』の効果によって多くのレベルを奪われた。そして、俺たちもかつての力を失った。
以来、彼女は復讐に囚われている。かつての力を取り戻すのではなく、ただ妖精王オベイロンを殺すことのみを目指して。
だが、かつての巨大な迷宮も、数万に及ぶ軍勢も失った彼女が、ただ復讐だけを目的に、かの強者に立ち向かえるとは思えなかった。
俺が望むのは繫栄だ。そのために力が必要なら、そうすればいい。
だが、力の先に繁栄があるというのは、間違いだと思う。俺はそんな副次的に手に入れた繁栄など望んでいない。
「女王ライオノーレ、もうやめにしないか。はっきり言うが、君では妖精王オベイロンになど敵いはしない!」
「それは! カールが帰ってくればいい話ですわ。あなたは天才よ。どんな状況からでも立ち上がって見せる。私にはあなたの力が必要なのよ!」
熱烈に語るライオノーレ。その言葉に、嘘偽りはないだろう。
彼女とは短くない時間をともに過ごした。そのくらいはわかる。
「……俺の力など、ただのレベル差とランクでしかない。それも、もう失ってしまった。ギリギリランクB、それが今の俺だ。君が望む力など、持ってはいない」
そう、俺は今Lv84。俺は敵を倒すまでもなく、Lv84で再びランクBに昇格することができるのだ。それはひとえに、昔の功績が今も大主神アストラに認められているから。
ちなみに、Lv125でランクAに昇格できる。オベイロンと戦う以前の俺は、Lv300オーバーのランクAだった。それが、たった一度の敗北でランクDまで降格させられたのだ。
「だが、俺は可能性を見出した。レジーナだ。彼女には本当の力がある。彼女とともにならば、もしかしたら妖精王も倒せるかもしれない! ……どうだ、階級は降格するが、レジーナの配下になるつもりはないか?」
俺はこの女が嫌いだ。貪欲で、復讐に取りつかれ、俺の自由を奪おうとする。
しかし、女王としての手腕は認めている部分もある。新米であるレジーナのサポートをしてくれるのなら……。
「ありえないわ。ぽっと出の、ただアストラ様に認められているだけの小娘に、この私が従う? まったくありえないわ。カール、あなたそんなつまらないこと言う男じゃなかったでしょ?」
俺の言葉に、ライオノーレは苛立っている様子だ。もちろん、こうなることはわかっていた。
しかし、俺はこうせざるをなかったのだ。もう、かつての戦友たちを殺したくはない。
(……はは、覚悟は決めてきたはずなのに。俺がこんな、人間みたいな思考をするようになるとはな。昔は古巣を壊滅させるなんて、なんの躊躇いもなかったのに)
自分でも信じられない。俺はもっと冷酷で、現実主義だったはずだ。いったいいつ、変わってしまったんだろう。
「受け入れてくれないのなら、俺は君たちを殺す。今オベイロンに手を出されたら困るからな。言葉で従わせるよりも、殺す方が早い」
「やはりあなたは、流浪の勇将ね。強く、勇ましく、けれど忠誠というものを毛ほども持ち合わせていない。昔の主にだって、簡単に牙を向ける」
そうだ、俺に忠誠心なんてものはない。あるのは打算的で合理的な考えだけ。
ただ、どんな主の下であっても、迷宮蜂という種族が繫栄できる未来を掴み取る。
……いや、たった一人。本当の意味で忠誠を捧げた主もいるな。思えば、人生で初めてだ。
……待っていてくれ。
「私はあなたの提案を受けない。滅ぼすというのなら、やってみせなさい! 弱体化したとはいえ、ライオノーレの眷属は最強。この森の支配者なのだから!」
きっぱりと、彼女は俺の言葉をはねのけた。それが、彼女の意思であり誇りなのだ。
絶対の支配者として、自分が屈することなどありえない。強者を従えてこそ、支配者であると。
彼女の言葉に呼応して、地中から無数の蜂が現れ出でる。
ライオノーレの迷宮は地下にあるのだ。
通路は蜂しか通れないサイズ。人間が侵入することは絶対にありえない。しかし、だからこそ……。
「小さく脆弱だ」
俺は地面に拳をたたきつけ、周囲の地盤ごと破壊する。
崩壊した地面は木々を巻き込んで陥没し、まだ地上に出ていなかった蜂は生き埋めにされた。
「かつての大迷宮ならば、こんな手は喰らわなかった。落ちたな」
「ッチ! 働き蜂よ、今すぐそいつを殺しなさい!」
大きく舌打ちしたライオノーレは、巣から飛び出してきた働き蜂に指示を出す。
瞬間、俺の全身、服の中にすら蜂が入り込み、即座に毒針を突き刺した。
それは大型の魔物ですら死滅せしうる毒。即効性はないが、これほどの数に刺されては手も足も出ない。だが……。
「悪いな、ライオノーレ。俺は蜂毒に対する完全耐性を持っている。特に、迷宮蜂に関してはまったくの無効だ」
……そう、このスキルさえ持っていなければ。
「な!? そのスキルはまさか、『女王の加護』と『毒完全耐性』!? 高ランクの女王にしか手に入らないスキルを、なぜあんな新米が!?」
レジーナは本当にすごい奴だ。生まれてまだ一か月程度なのに、もうこんな力を持っている。
作り出した迷宮も、こんな小物の比ではない。
「覚えているぞ、ライオノーレ。保身を繰り返した君の進化条件レベルを!」
俺はまとわりつく蜂を無造作にちぎりつつ、ライオノーレへ嫌味たっぷりに言い放つ。
「確か、Lv120でランクC。Lv327でギリギリランクB、だったよな?」
「貴様ッ!」
ライオノーレは顔を真っ赤にして怒る。これこそ、彼女の人生最大の汚点だからだ。
彼女は一生、この大きな枷を背負って生きていくことになる。
今はというと……Lv97。ランクDじゃないか。通りで、あれほどの実力者であったのに、迷宮がしょぼいわけだ。進化前にLv90で『変身』を獲得したから、かろうじて人間の姿を保っているようだが。
「やってしまいなさい! 私の戦士たち!」
彼女の言葉に応えて飛び出してきたのは、サーデンのように彼女へ忠誠を誓った男たち。
働き蜂のように素早く動き毒針を刺すことはできないが、毒への完全耐性を持つ俺にとっては、むしろこちらの方が手ごわい。しかし……。
「支配が甘いぞ、ライオノーレ!」
正面から突っ込んできた男を『剣術』の宿った右手で切り捨て、頭上から来た巨漢はヒラリと躱して顎を穿つ。当然、拳には『格闘』を宿らせていた。
まったく、古き戦友たちも衰えたものだ。以前は、ライオノーレの『支配』で本来以上の力を引き出していたものを。これでは、高レベルの人間と変わらないではないか。
「……それでも、『支配』がなくても、お前たちは彼女に忠誠を誓っているんだな。俺は、最近になるまでその理由がわからなかったよ」
無数の蜂、ともに戦った戦友を切り伏せ殴り倒し、俺は大きく息を吐く。
……まだ、この場で弱いところを見せるわけにはいかない。
「悪いな、ライオノーレ。君のことは、嫌いではなかった」
「あの世で恨むわ、カール。次の主人は、裏切らないことね」
……最期の言葉を聞き届け、俺は彼女の首をはねた。
「やっと、けじめを付けることができた。ライオノーレ。俺は本当に、君たちを家族のように思っていたよ。忠誠は、誓っていなかったがな」
その日、俺は久しぶりの涙を流した……。
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