第40話 凛とする


 王女が隣に座るテーブル席で、シオンは淹れられたお茶を口にする。きっと今まで飲んできたお茶よりも高価で味も香りも最高級品なのだろうが、そんな事は全く分からない程緊張していて、震えそうになるのを必死に耐えている状態だった。


 

「ずっと会いたかったのよ? やっと会えて嬉しいわ」


「わたくしも王女殿下とこうやってご一緒させて頂く事ができて、光栄に思います」


「ふふ、いやだわ、そんなふうに畏まらないで」


「いえ……」



 慣れない場で、どう答えたらいいのかが全く分からない。貴族の事を教えて欲しいとメリエルには言っていたが、メリエル自身社交界に長けている訳では無い。子爵という下位貴族であり田舎育ちであるメリエルは、社交界では敵を作らず派閥に入らず無難に過ごしてきたに過ぎないのである。


 それに教えを請うのに時間が無かった。何より今日の事は昨日聞いたばかりなのだ。準備をするにも限度がある。


 ここにいるのは王女の派閥なのだろう。皆楽しそうに話し、上品に笑い、優雅にお茶を飲む。その様子を見ながらシオンも合わせるように笑い、お茶を飲む。

 話の内容も何を言っているのか分からない。何が可笑しくて笑っているのかも分からない。ただ居心地が悪くて仕方がない。だがこの場から抜け出す事は簡単にできそうにない。



「モリエール夫人は大人しいのね。聞いていたのと違うわ」


「そう、ですか?」


「えぇ。もっと豪快な方だと思っていたものだから」


「そうなんですね……」


「ほら、様々な噂をお持ちじゃない? だからわたくし達、先程からモリエール夫人のご機嫌を伺うのに緊張しているのよ?」


「そんな……わたくしの機嫌など……」



 ニッコリと微笑みながら、クレメンティナはシオンに言う。それを聞いた途端、皆が堰を切ったようにシオンに言葉を投げ掛けてきた。



「本当、そうですわ。モリエール夫人はお美しいから、主人が一目見てから心を奪われたように顔を赤らめてしまって……わたくし悲しくて……」


「それならうちの主人も! ずっと目でモリエール夫人を追っていましたのよ? 腹立たしいったら……!」


「私の婚約者はモリエール夫人を見てから私に向ける目が変わりましたの……どうしましょう……婚約破棄なんてされたら……」


「皆さんお待ちになって! お気持ちは分かりますが、そんな事を仰るとモリエール夫人がお怒りになりますわ!」


「そ、そうですわね! 申し訳ございません、モリエール夫人!」


「いえ、そんな事で怒りは……」


 

 おずおずとシオンは違うという意思を告げようとするが、遮るようにクレメンティナが口を挟む。



「気が気じゃないわよねぇ。自分の相手が他の夫人に心を奪われてしまったところを見ちゃったんだもの。そればかりか、彼女のコレクションに加わるんじゃないかって心配よねぇ?」


「え……? コレクション?」


「美しい男性達を侍らせていらっしゃるんですものねぇ。ほら、後ろで控えている侍従もとても美しいわ。お気に入りなんでしょう?」


「い、いえ、ジョエルは……っ!」


「だから常にそばに置いているのよねぇ? 素晴らしいご主人がいらっしゃるのに」


「ですからそれは……っ!」


「まぁ、そんな声を荒立てて。やっぱりすぐに激昂しちゃうのね。怖いわぁ」



 クレメンティナは恐ろしいものでも見るようにシオンを凝視し体を縮こまらせ、自分の身を守るように腕を抱く。それを見て皆がシオンに嫌悪の目を向けた。



「王女殿下にそんな声を上げるなんて、考えられませんわ」


「皆様、モリエール夫人を怒らせないようにしましょう? 後で何をされるか分かりませんわ」


「王女殿下に対してこんな態度を取られるなんて。噂どおりの方でしたのね」


「……っ!」



 何を言ってもきっと通じない。咎められる。何故ならここはシオンを虐める場なのだから。


 唇をキュッと噛み、シオンはただ耐え忍ぶ。これは今までの自分の噂があるからだし、憧れの的であったリュシアンと結婚したからである。

 だけど本当はシオン自身がこんな事を言われる筋合い等ない。そう思っているのはシオンと少し離れて控えているジョエルだけであって、他の誰もがシオンを牽制し、窘めたいのだ。


 それからも口々にシオンの噂を元に、憶測も踏まえて面白可笑しく、そして貶されるように話されていく。それでもシオンが反論する事は出来なかった。


 こんな時、ジョエルはなんの役にも立てない自分に苛立ちを覚えていた。

 ここでシオンを庇おうものなら、更に状況は悪化する。誰の為にもそれは良くない事だと分かっているからこそ、ただじっと拳を握り締めてジョエルも耐え忍ぶ事しか出来なかった。


 だけどシオンは下だけは向かないようにする。自分は公爵夫人なのだ。リュシアンの妻なのだ。それだけが今の自分を守ってくれる盾となり糧となっている。だから下は向かない。話しをしている人の目をしっかりと見てやるのだ。


 そんなシオンの姿勢に、少しずつ皆の声は小さく少なくなっていく。臆する事のない凛とした姿勢はそれだけで人々を萎縮させる。自分は何も悪くない。ここで俯くのは言われている事を肯定しているようなものだ。そう思うと自然とシオンの背筋はピンと伸びる。


 そんなシオンの姿を見て、クレメンティナはギリッと歯を鳴らす。

 気に食わない。自分こそがリュシアンの愛情を得たのだと言っているようにも感じられて苛立ちが募っていく。


 綺麗なその顔に、おかわりで淹れられた熱々のお茶でもぶっかけてやろうか。そんなふうに思い、クレメンティナがカップを持ち上げた瞬間。



「きゃぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」



 突然広場中に大きな悲鳴が響いたのだ。


 

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