第38話 公爵夫人

 

 公爵家から狩り場となる森までは、馬車で一時間程の場所にあった。


 メリエルはシオンと同じ馬車に乗せてもらっていた。徹夜の作業であったから、メリエルは揺られる馬車の中で耐えきれずに眠ってしまった。それを優しく見詰めるシオン。


 狩り場に到着しても、メリエルは起きる気配はない。すっかり熟睡していたのだ。

 起こすのが憚られたシオンは、そのまま寝かせる事にした。流石は公爵家の馬車。座席のクッションは柔らかく程よく弾力があり、そして広さがあった。

 ジョエルに頼んで座っていたメリエルを横にさせ、膝掛けを数枚布団代わりにかけてから馬車を降りる。


 そこは森の入口前の広場であり、既に多くの貴族達が集まっていた。


 各貴族毎にテントも張られそこで休憩や食事等を各々で行うが、それ以外にもテーブル等が設置されてあって、軽食や飲物も簡単につまめるように置かれてある。


 そして応援に来た貴婦人達が集うテーブル席もあり、その周りには既に給仕係が待機している。

 子供たちが遊べるスペースも確保されており、ちょっとしたお祭りのような状況となっていた。

 

 この森には魔物はいないとされており、広場と森の境界には結界も張られてあるから、安心して貴婦人達は伴侶や婚約者の帰りを待つ事ができる。

 そして伴侶や婚約者がいない者は、狩った獲物を想い人に捧げる事が告白と同意義となるので、単身で参加する若者も意外と多いのだ。


 既に賑やかな場となっている広場に到着した公爵家の馬車に、そこにいた人々は釘付けになる。


 馬車に記された家門からそれがモリエール公爵家だと分かると、誰もが噂の人物の登場をこの目に留めようと、あちらこちらから集まり注目する。


 美しい侍従が馬車に入り込み、暫くしてから誘い出すようにして侍従が出て女性を馬車から出るのにエスコートする。


 ゆっくりと姿を現したシオンを見て、人々は息を呑む。


 美しい銀の長い髪が日光に反射してキラキラと光っている。そればかりか、宝石を埋め込んだような煌めく瞳も、眩いばかりにキラキラと輝いているようだった。

 透き通るような白い肌。スラリとした鼻筋にクッキリとした大きな目に長いまつ毛。程良く厚みのある唇は仄かに赤らんでいる。

 頬の自然な赤みは憂いを帯びているように見え、誰もがその姿に見惚れてしまう程だった。

 

 あれが噂の悪女なのか。だけどそうには見えないし、思えない。悪女どころか、女神か天使だと言われた方が納得がいく。そんなふうに誰もが一瞬にして考えてしまう程、シオンはこの場にいる誰よりも美しかった。


 遠巻きに皆から見られ、シオンはなんとも居心地が悪い思いをしていた。それはそうか。悪女がやっと登場したのだからと、思わずため息を吐く。

 誰もが尊敬し敬愛するモリエール公爵家当主リュシアンの伴侶となるのだ。注目されるのは仕方がない。


 分かっていても落ち着かない。早くこの場から立ち去りたい。でもそれは簡単ではない事くらい、シオンは充分分かっていた。


 その時、リュシアンがこちらへ向かって来るのが見えた。シオンの心臓は大きくドキリと高鳴る。一定の距離を空けて立ち止まるリュシアン。それが今のシオンには丁度いい距離だった。


 リュシアンとシオンが揃ったのを見て、人々はお似合いの二人だと思った。


 話し掛けようとしたくとも、二人の醸し出すオーラというか雰囲気というか。それが阻むように感じられて誰もが近づく事もなかなかできそうにないが、そんな中堂々とした佇まいでリュシアンに近づき、話しかける人物が現れた。



「モリエール卿、久しいな。息災か」


「国王陛下にご挨拶申し上げ……」


「はは、堅苦しい挨拶はいらぬ。余と卿の仲ではないか」



 にこやかに話すのはこの国、ペグシルダム王国国王ダヴィード・ノルドハイム・ペグシルダムだ。


 国王とモリエール公爵家前当主、所謂リュシアンの父親は兄弟だ。王弟であるモリエール公爵前当主の息子であるリュシアンは、国王の甥となる。

 それ故リュシアンが幼い頃から息子のシルヴィオ王子の遊び相手としてよく王城に招かれていたし、国王もリュシアンを可愛がっていた。


 

「本日はシルヴィオが体調不良で来れなかったのだ。モリエール卿に会えるのを楽しみにしていたのに、残念がっておったぞ」


「それは私も残念です」


「して、そちらにいるのがシオン嬢か?」



 突然名前を呼ばれて、シオンは驚きビクッとなった。国王陛下に直接話し掛けられる事があるなんて、と先程からシオンは萎縮しっぱなしだった。

 それでもリュシアンに恥を負わす訳にはいかず、キチンと振る舞わなければならない。緊張をなるべく悟られないように隠し、ゆっくり深呼吸してから一歩前へと出る。



「王国の太陽、国王陛下にご挨拶申し上げます。わたくしはシオン・ルストスレームでございます」


「ほぉ……聖女であった母親とよく似て、そなたもとても美しい」


「勿体ないお言葉てございます」


「しかし、一つ間違っておるぞ?」


「あ、も、申し訳ございませ……」


「遅くなってすまなかった。つい先程婚姻届が受理されたのでな。そなたはこれから、シオン・モリエール公爵夫人だ」


「モリエール公爵夫人……」



 婚姻届に記された名前には魔力が込められる。そうなるように作られた婚姻届は、神官によって署名された二人の名に込められた魔力と融合させられる。


 そうすると、お互いの左手首に腕輪のように印が浮かび上がるのだ。その図柄はそれぞれの家門により異なる。


 シオンはすぐに手袋に隠れた左手首を確認する。そこには花弁のような物がツタに絡まって舞っているような図柄が、リュシアンの瞳と同じ深紅の色で手首に記されていた。


 シオンは自分自身に現れた印に感動を覚え、左手首をそっと右手で覆い、胸に抱く。


 こうしてシオンは晴れてモリエール公爵夫人となったのだった。

 



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