第16話 新たな生活
モリエール公爵邸横にある別邸の部屋で、シオンはふとこれまでの事を思い返していた。
ルストスレーム家から出られた事は、生まれ変わって一番嬉しく思った事だった。そしてリュシアンの近くにいられる事も。
自分の事を覚えていなくとも、自分と関わらずに自由に生きて欲しいと思っていても、やはりシオンはリュシアンの傍にいられる事が嬉しく感じてしまう。
例え以前のように優しく接して貰えなくても、睨み付けるような目を向けられたとしても。
そしてリュシアンが受けた傷を自身の体に受ける事さえ、シオンは嬉しく感じてしまうのだ。
こればかりは女神エルピスに感謝しなければと思っている。リュシアンが傷つくのはもう二度と見たくないと思っていたから尚更だ。
「お嬢様、では私はこれで失礼します。何かあればすぐに駆け付けますので……」
「ふふ……心配しなくても大丈夫よ、ジョエル。ここはルストスレーム家とは違うもの。安心して良いと思うわ」
「そうかも知れませんが、まだここの使用人達がどんな者達かは把握しておりませんので安心は出来かねます」
「そうかもね。でもきっとルストスレーム家よりはマシだと思うの。食事はちゃんと頂けたし」
「それでもお嬢様に出される物があの程度だという事に、私は憤りを覚えましたが!」
「良いのよ。生きていける位には食べさせて貰えるんだもの。充分よ」
「お嬢様……」
ジョエルは悲しそうにシオンを見つめてから深く礼をし、部屋を出て行った。ジョエルの部屋はシオンの隣の部屋にしていて、何かあればすぐに駆け付けられる距離となっている。
この邸で何か起こるとは考えられないが、シオンの警戒が薄れた分しっかり見極めなければいけないと、ジョエルは今一度気を引き締めるのだった。
優しく聡明であるシオンは、どんな目にあっても愚痴一つ、文句一つ言わなかった。ただ一度、高熱にうなされた時、心配して傍にいたジョエルに縋るように前世であった事を話した事があった。
それは秘密を吐き出すと言うよりは、意識が朦朧としていたシオンが、ジョエルをリアムと間違えて語りかけたという感じで、それを聞いたジョエルははじめこそ訳が分からなかったが、話の断片を繋ぎ合わせてそれが前世であると悟ったのである。
回復したシオンに確認すると、仕方がないとばかりにシオンはこれまでの事を話して聞かせた。リアムの事を話す時のシオンの顔は穏やかで、それでいて恋をする乙女のようなはにかんだ表情をしたのをジョエルは今も忘れられないでいる。
そんなシオンを睨み付けるような目を向けるリュシアンの事を、ジョエルは許せなかった。たとえ全ての事情を知っていても納得はしたくなかったのだ。でないと、シオンがあまりにも憐れに思えてしまうからだ。
けれどシオンの気持ちを一番に優先させてあげたい思いも強く、そのジレンマに苛立つ事しかジョエルには出来なかったのだった。
翌朝、シオンは朝早く目が覚めた。
小鳥の鳴き声が目覚まし代わりで、優しく朝陽が室内を照らす。こんな穏やかな気持ちでいたのは生まれ変わってから初めての事だった。
扉がノックされ、部屋にジョエルがやって来た。洗面器に湯を入れて持って来てくれていた。
「いつもありがとう、ジョエル。顔を洗った後、着替えを手伝って貰えるかしら」
「もちろんです」
これはいつもの事だった。伯爵令嬢にしては質素なドレスしか持たないシオンだが、古傷のせいで体にうまく力が入らない為、着替えをジョエルに手伝って貰う必要がある。
ジョエルは下着姿のシオンを見るたびに、至る所にある傷痕が目につき悲しい気持ちになる。そんなジョエルにシオンはいつも申し訳なさそうに微笑むのだった。
それから髪の手入れをし、髪を結う。これもジョエルの役目であって、シオンは何から何まで頼りっぱなしになってしまう事を申し訳なく思っていたが、ジョエルはそんな事は気にならないとばかりに率先してシオンの世話をした。
「ねぇ、今日は他の部屋も見て回ってから、必要であれば掃除しましょう。あ、それと庭も手入れしたいの。季節の花を植えて、色とりどりの庭園にしたいわ」
「そうですね。そうしましょう。ですが無理はなさらないように。時間はあるのですから、ゆっくり進めていきましょう」
「そうね。ジョエルの言う通りね」
ここでの生活に早く慣れて、少しでも快適に過ごせたらと、シオンは穏やかに微笑んだ。それを見て、ジョエルも優しく微笑むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます