第36話「噴出する疑惑」
「――アナリスおまえ、いったい何用だ」
ディファトが唖然とした表情で言った。
「あら、私だけではありませんわ」
アナリスが面白がるように笑う。その後ろから、リーンを伴ったグレンが彼女の影に隠れるようにして部屋の中へと入って来る。
「グレンもだと?」
グレンの後ろにはさらに人影が続いた。
アナリス派のバローア侯、グレン派のベイリーズ侯はともかく、リザ派のブルーム、バーリーズ、ファルン候が現れたときは部屋中がざわついた。
すなわち、ディファト派の領侯たちによって固められていた政権の場に、全領侯がそろったことになる。アインズ王室に連なる面々も、リザ以外の全員が顔をそろえたのだった。
ディファトもディファト派の領侯たちもさすがに面食らった様子のまま新たに加わった者たちを見渡す。
「私たち、ちょっと信じられないようなことを耳にしましたの」
アナリスの甲高い声が、戸惑いを隠せない者たちの間に響き渡る。
「アナリス、今はおまえの戯れに付き合っている暇はない」
「戯れなどではありませんわ、お兄様。それに宰相も。お二人にとってずいぶん関わりのあるお話だと思います。だって私たちのパレスガードが聞いたところによると――あろうことか父上がすでに亡くなられていると言うんですもの!」
アナリスは激しく両手を振り回すようにして叫んだ。まるで自分の口にすることに劇的な効果をもたらそうとするかのように。
そしてそれは、まさに彼女の狙い通りとなった。
ディファト派の領侯たちは呆気にとられた顔でアナリスを見つめ、その場に立ち尽くした。
「……陛下が、亡くなられている?」
「いったい、それはどういう――」
しばしの沈黙のあと、そのような声がちらほらと漏れ出してくる。
ルーゼンが部屋の中央に歩み寄り、アナリスを真っすぐ見据えながら口を開く。
「アナリス王女。今の発言、到底聞き捨てなりません。ベレッティ、リーンの両名はいかなる情報をもとにそのようなことを申されたのでしょうか」
「そんなことはたいした重要ではないでしょう? いま確かめなくてはならないことは、父上が生きているかどうか、その一点のみよ。私は事実を知りたいの」
「事実もなにも、陛下がみまかられたなどという報告は受けておりません」
「当然でしょうね。もしそんな報告をお兄様や宰相が受けていたとしたら、この場にいる人たち全員に嘘をついていることになってしまうもの」
「俺たちを嘘つき呼ばわりするのか!」
ディファトが拳を叩きつけながら叫ぶ。
「父上のことに関してはお二人の管轄でしょう? それにもしこのことが本当だったとしたら、医師団が嘘を言う必要なんてどこにもありませんもの。とすれば、お二人は父上の死を隠避し、何か良からぬことを企んでいた、と邪推されても仕方ないのではなくって?」
「何を言われますか。陛下の死を隠蔽などと……今も生死の境をさまよっているとはいえ、陛下がご存命なのは確かなはず。我々にいらぬ嫌疑をおかけになるのはいかがなものかと。いくらアナリス王女とはいえ、あまりにも言葉が過ぎます。即刻取り下げていただきたい」
「そのためには、父上が生きていることをこの目で確認させていただかなくてはなりませんね」
「何を言っている、父上は面会を許されるようなお体ではない!」
「もちろん、この場にいる全員が父上のもとへ押しかけるわけには参りません。信頼できる者数名が父上と御面会し、その様子を報告するというのはいかがでしょう。例えばそこにおられるラスティア王女やアルゴード侯などは先ほどお兄様方のお考えに意を唱えたわけですから、お二人の嫌疑を晴らすにはうってつけの人物といえますわ」
「な、ならん、絶対にならんぞ! そのようなことをして父上のお体に障ったらどうするつもりだ!」
「前から思っていたのですけど、もしそうであるならば肉親である私たちは今すぐにでも最後のお別れを告げておくべきなのでは? それに、無知な私にとっては特に疑問なのですけど、御寝所を訪ねただけでご容態が急変するというのは、いったいどういった状態なのでしょうか。なにも父上のもとで騒ぎを起こそうなどと考えているわけではないでしょうし。ねえグレン、あなたもそう思うでしょう?」
突然話を振られたアインズの第二王子はすぐさま二、三度頷くと、今まで以上にリーンの後ろに隠れてしまった。
二の句が継げなくなったディファトは、アナリスへの怒りをぶつけるかのごとくルーゼンを睨みつけた。
おまえが何とかしろ。そう言わんばかりの態度だった。
「……誰が何と仰られようと、陛下との御面会は許されません」
ルーゼンが言う。態度や声に動揺はみられないものの、そのあまりにも頑なな様子には、さすがのディファト派たちも眉をしかめずにはいられなかった。
「仕方ありませんわね――ラスティア王女」
アナリスは不敵な笑みを浮かべながらラスティアを見やった。
ラスティアは今までほとんど会話を交わしたことのない従妹をまっすぐ見つめ返した。
「この場は私たちが引き受けます、あなたはその足で父上のもとへ行かれるとよろしいわ」
「なんだと――おまえ、何を言っている!?」
ディファトが驚愕の表情を浮かべる。
「だってお兄様、宰相もですけど――他の方々には無理でしょうからせめて私の口から言わせていただきますが――お二人とも、さすがに怪しすぎますわ」
「っな!?」
「危篤状態ということで今まで何の疑問を抱かずにいましたけれど、これほどまでに父上との御面会を止められると、何かそうせざるを得ない理由があるのではと勘繰られても致し方ないのではありませんか?」
「そんなものはない!」
「だったらなおさらラスティア王女を行かせて差し上げるべきでしょう」
「こやつらは此度の件で父上の判断を求めると言っているのだぞ! いらぬご負担をかけてしまうのは明白だ」
「お兄様……」
アナリスは半ば呆れるかのようにため息をついた。
「もとより意識もない父上にどう迫ろうというのですか。そもそも誰かの言葉に耳を傾けることが可能で、その御言葉をいただけるというのであれば、今すぐにでも駆けつけて最後のお別れを告げておくべきでしょう」
「ならん、ならんならん!」
「埒があきませんな」
レリウスが発した言葉に、その場にいた全員がはっと息を呑む。
「幸いなことにアナリス王女、グレン王子にもご賛同いただけましたので、ラスティア様と私が陛下のもとへ伺わせてもらうということでよろしですな?」
「無用な争いはお控えいただきたい、そう申し上げたつもりですが」
ルーゼンが言う。
「宰相、もはや無用な争いではないということだ」
「アインズ国民同士で血を流し合うおつもりですか」
「致し方ありません」
ラスティアが言った。誰の耳にもはきと聞こえる、玲瓏たる声だった。
「此度の件に関するディファト王子のご判断、ならびにラウル王の病状についての疑惑。どちらも捨て置けるようなものではありません。陛下のもとへ行こうとするのを力づくで止めるというのであれば、私たちは抵抗の意志を示します」
「馬鹿な真似はおやめください。ディファト王子にはバンサーならびに王宮騎士団がついています。無駄にお命を危険にさらすおつもりですか」
「あら、バンサーの相手はベレッティがするわよ」
アナリスがさも楽し気に笑った。
「それにリーンもいるわ。今取り囲んでいる数くらい、彼女なら簡単に蹴散らすわよ」
ベレッティとリーンが軽く体を傾け、身構えるようにした。そのわずかな動きのみで、周囲の兵たちの間に緊張が走る。
二人の態度を受けて、バンサーがディファトの前に進み出る。
「それに今は、兵の多くが変異種への対応のため出払っております。どうかここは我々に譲っていただきたい」
レリウスが言う。
「王宮のエーテライザーたちを忘れてもらっては困ります。私の合図ひとつでこの場を制圧することも可能ですぞ」
「それは、私も同様です」
「なんだと――」
レリウスの発言に、ディファトが一瞬言葉を失う。
「まさか貴様、アルゴードの兵を王宮に潜ませたのか!」
「すべての決断は、私が下しました」ラスティアがディファトの前に進み出る。「アインズの第三王女として、この国にとって必要な行動だと考えたからです」
ディファトは憎悪の目でラスティアを睨みつけ、激しく拳を震わせながら言った。
「ラスティアぁ……ロウェイン家に対する敬意として俺自ら下賜したその剣を、俺に向けようというのか」
ラスティアは腰元の柄に片手を添え、ゆっくりとうなずいた。
「だからこそです、ディファト王子。ラウル王の代理であるあなたには、アインズという国を、そこに暮す民を守り抜くという責務があります。しかし今のあたなには、そのような気概が微塵も感じられません」
「……言ってくれるで! よかろう、どちらの言い分が正しいか、力でもって決しようではないか!」
その言葉をきっかけに、最初に口火を切ったのはバンサーだった。
ラスティアの目の前まで一気に詰め寄ると、その身体を拘束するかのごとく強靭な腕が伸びる。
しかしラスティアが身構えるよりも早く、ベレッティの右手がバンサーの腕を押し留めた。
「道は分かたれた。悪く思うなよバンサー」
ベレッティが言う。
「むろんだ。我々は主の命を守り、その道を切り開く者――パレスガードなのだから」
バンサーは無表情のまま答えた。
二人の衝突を合図に、ラスティアたちを取り囲んでいた兵たちが一斉に動き出す。突き出された幾本もの長槍はしかし、リーンが周囲に向けて放ったエーテルの波動に巻きあげられてしまう。
「さあ、今よ。レリウスとともに父上のもとへお行きになって」
アナリスがラスティアに向けて言う。
「なぜ、私たちに協力を?」
踵を返したラスティアは、アナリストとすれ違い様に聞いた。
「あら、お話を寄越したのはそちらでしょうに。アルゴード侯の説得は見事なものでしたけど、あなたは私たちを信じていなかったというわけ?」
「あなた方が私に良からぬ感情を抱いているのは知っています」
アナリスは人の悪いような笑みを浮かべ、ラスティアの耳に顔を近づけた。
「確かに私はあなたを好いてはいないけれど……ここだけの話、私、あなた以上にあの兄のことが大嫌いなの。もちろん、ルーゼンもね」
ラスティアはアナリスの本心を探るように見つめ合っていたが、すぐにレリウスらを引き連れて足早に扉へと向かった。
「何をしている宰相、バンサー、早くあやつらを止めろ!」
ディファトが護衛の兵たちとともに後方へ退きながら叫ぶ。
だが、バンサーはベレッティによってその動きを封じられ、室内の兵たちも身構えるリーンを前にしてラスティアたちに近づけないでいるのだった。
「お、お待ちくださいディファト様、ルーゼン! アナリス王女、ラスティア王女も!」
混乱し慌てふためく重鎮たちの中、レスターム侯の引きつった声が響き渡るが、名を呼ばれた者たちは誰一人として耳に留めようとしなかった。
「――ラスティア王女たちを陛下の下へ行かせるな」
ルーゼンが言うと、周囲に待機していたであろうエーテライザーたちの反応がいたるところで感知されはじめた。
「――シェリー、アルゴードの全兵力を集中させよ。陛下のもとまで道を切り開くのだ!」
レリウスが扉の外に控えていたシェリーに向けて叫ぶ。
「おまえたち、このようなことをしてただで済むと思うな!」
後方からディファトの轟くような叫びが聞こえてくる。
しかしラスティアもレリウスも、その後に続くリヒタール、ルノ、ブレスト侯も、脚を止めるどころか振り向くこともせず、皆黙々と部屋を後にしたのだった。
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