第4話「パレスガードの憂鬱」
「ラスティア王女のお気持ちはよくわかりました」
ブレスト侯は特段これまでの様子を変えることなく頷いてみせた。
「シン殿、私はあなたに対しても同様のことをお聞きしたいと存じまする」
深いしわが刻まれた目尻は、明らかに老人のそれでしかなかった。だがシンは、いくら取り
なぜそのような気持ちになってしまうのか、自分でもわからなかった。なんにせよ、
「おれ――僕は、ラスティア王女を
「常人の私にはあなたの偉大さを推し
「……そうすることが、僕がここにいる理由だと思ったからです」
シンの漆黒の瞳と、ブレスト侯の落ち込んだそれとが真っ向から衝突し、絡み合う。
ラスティアをはじめその場にいた者たちは、息ひとつするのもはばかられる空気の中、伝説の存在と老齢の賢者との対峙が行き着く先を待っていた。
「……他者には到底理解を得られぬものではない」
しばしの沈黙のあと、ブレスト候は深く息を吐くようにしてつぶやいた。
「が、ご自身にとっては他に説明しようのない、まこと晴ればれとしたお答えですな」
そう言って、かかかという小気味よい笑い声を上げたのだった。
§§§§§
「正直、昼間は身がすくんだよ」
ラスティアを居室へ送り届ける最中、シンはため息混じりに口にした。
「私も同じよ」
並んで歩くラスティアがすぐさまうなずく。
「王女として認められてから一番緊張した瞬間だったかもしれない」
すでに夜は更け、巨大な月が二つ、雲一つない空にぽっかりと浮かんでいる。回廊を歩く二人の後ろには、つかず離れずの影が色濃く伸びていた。
王女の儀を終えてから数日が経っていたが、いまだラスティアはレリウスを伴っての挨拶回りに追われていた。
昼食や夕食の場でさえ人と会い、休憩はおろか一人になる時間もほとんどなかったはずが、シンの見る限りラスティアに疲労の色はまるで感じられなかった。
シンからすれば、ラスティアもレリウスもこの広大な水上宮にいる全員と会うつもりなのかと言ってしまいたくなるほど気が遠くなる作業だった。だが、どのような相手であっても王女としての振る舞いを忘れず、丁寧な言葉を交わしながら不平ひとつ口にしないラスティアの前で情けない言葉を吐くわけにはいかなかった。
今から一日が始まると言われても違和感のないラスティアとは真逆に、シンの方がよほど疲労
エーテルを感知することによって周囲の状況が手にとるようにわかったとしても、これまで言葉でしか聞いたことのない「身辺警護」という仕事に丸一日従事するのは、相当神経をすり減らす作業だった。そのうえ常にエーテルを王宮内に張り巡らせているせいで、胃が破けてしまったんじゃないかと思うくらい空腹を覚えた。
「ラスティアの場合、全然そうは見えなかったよ」
自然と手で胃のあたりを強くさするようにしながら、表情には決して出さないよう言った。
ラスティアは小さく首を振った。
「アインズの支柱と呼ばれるだけあってさすがの大人物だったもの。外交の場では長年他国の王や重鎮たちと渡り合ってきたというし、その影響力はお年を召された今も相当なものがあると。彼の目に私たちはどう映ったのかしら……捉えようない方だっただけに気になってしまう。ブレスト候の心一つで私たちの立場も大きく左右されるはずだから」
「でも、おれってまだ正式に認められたわけじゃないんだよね?」
三日前に儀式を終え、名実ともに王女となったラスティアはシンをパレスガードに任命する権限を得ていたが、一月後に開催される闘技大会の場でパレスガードとなりうる者が現れた場合を考え、シンの任命式も大会後に実施されることが決まっていた。
つまり今のシンは、ラスティアの言葉によってのみその任を与えられた「事実上の」パレスガードだった。
「任命式なんてただの形式よ。今もこれからもシンが私のパレスガードであることに違いはないんだから」
私の、という部分を得に強めて言うラスティアに対し、シンは苦笑めいた表情を浮かべた。
シンはある意味、ラスティア以上に注目される身となっていた。いったいなぜ、どのようにして自分の存在が知れ渡ってしまったのか。ラスティアの後に続き謁見のバルコニーに姿を見せるよう促されたものの、大広場に集まった見渡す限りのアインズ国民と大歓声を前にすごすごと引き下がってしまったくらいだ。
今や王宮の中を少し歩くだけでも、ありとあらゆる視線を浴びる事態になっていた。レリウスをはじめとするラスティアと近しい人たちから多大な期待をかけられていることも十分感じていた。これほど多くの人々の期待や関心を一身に集めてしまうなど生まれて初めての経験だった。だからこそ、こうしている今も一瞬たりとも気は抜けなかった。ただ傍らにいる以外に、もっと目に見える形でラスティアの力になれることがあればいいと思っていた。
「もう少しまともな答えを考えておくんだった」
先のブレスト侯とのやりとりは絶好の機会といえた。それなのに、何の説得力もない言葉しか出てこなかった。
どうしようもなく肩が落ち、ため息が出る。
シンの今の仕事はいわばボディガードのようなものだ。少なくとも自分ではそう考えていた。いきなり名指しされたことにはもちろん動揺したが、一介の高校生でしかなかった自分が「国の長老」みたいな人の前でラスティアのように振舞えないのは当然といえば当然だった。
なにより、シンに対する周囲の評判がラスティアの評価に直結してしまうということがシンの言動を必要以上に硬化させていた。
パレスガードは主を映し出す鏡とまで言われ、その言動すべてが任命者である王族と一心同体のように見られてしまう。レリウスの口からそう説明されたときは、背中に岩を背負わされたかのような気分になった。
自分だけのことならともかく、自分のせいでラスティアを
それでも、後悔のような感情はまるで抱かなかった。成り行きとはいえ、自らパレスガード(のようなもの)と名乗った以上、ラスティアからの頼みを退ける理由などなかった。
パレスガードとしてラスティアと共にあること。そのことは、今まで足場もなくふわふわしていたシンにとって、ようやく本当の意味で
とはいえ、パレスガードの重責はおろか立ち振る舞い一つ理解できていない自分には、身に余る大役だと思わない時はない。だからこそ、こうして二人ただ歩いているときでさえシンのエーテル感知は王宮全域にまで届いていた。
(少なくとも
レリウスの真剣な表情と声がまざまざと思い出された。
「――は、嬉しかった」
「え」
いつの間にか自分ひとりの考えに
隣に顔を向けると、月明かりに照らされたラスティアの顔に、穏やかな笑みが広がっていた。
「シンがここにいてくれる理由が私にあるなんて、そんなことを言われて嬉しくないはずない。ローグに襲われたときもうそうだった」
本当なら自分の言ってしまった言葉に赤面し、目も合わせられないような状況だったかもしれない。だが、月明かりに照らされた少女は、神々しいばかりに輝く生きた彫像のような造形としてシンの目の前に存在し、到底現世のものとは思えないほどの美しさでもって映し出されていた。
それはどこか、夢うつつの光景のように思えた。
出会ってふた月以上が経過した今、彼女の外見には相当慣れていたはずが、あらためて魅入ってしまう。もちろんそれはシンだけではない、今日も今日とてラスティアを目にしたほとんどの者は、彼女の圧倒的なまでの美と存在感を前に膝を折るしかなくなっていた。
「ブレスト侯の反応だって決して悪くなかったわ。だから、きっと大丈夫よ」
「そう、だったらいいね」
ラスティアの居室の前までやってくると、女がひとり隙のない動きで一礼し、ふたりを出迎えた。
「お帰りなさいませ、ラスティア様」
「ただいまシェリー」
ラスティアが微笑みかける。
「シン様も、お疲れ様でございました」
律儀にもう一度頭を下げてくる。
「ホントもう敬語とかいいですから。俺の方が年下なんだし」
慌てて口にするが、シェリーはいつも取り合わなかった。
シェリーは
いくらパレスガードとはいえ男であるシンが王女であるラスティアと四六時中行動を共にするわけにはいかない。そのため王女のパレスガードが男である場合、同性のエーテライザーがその副官として任命されるのが慣例らしかった。
「年齢など関係ありません。上官たるパレスガードに対し最上の礼を尽くすのは当然のこと。私はラスティア様の一兵に過ぎません」
シェリーの言う通り、その実力や権限はパレスガードに遠く及ばないが、王室関係者を護るという意味では非常に重要な役職であることに変わりはない。もとはレリウスの妻イレーヌを護衛する任についていた彼女は、レリウスはもちろん周囲の人々からの信頼も厚かった。
レリウスが早々にアルゴードから呼び寄せていたらしく、ラスティアが儀式を終えたすぐあと、正式に配属される形となった。
いくらレリウスが大国アインズを支える十三領侯の一人とはいえ、配下の兵を王宮に呼び寄せるのは国王の命令以外にはよほどの理由がない限り認められていないのだという。
ラスティアが王女となった場合シェリーのような存在が必要となるのは当然であるため難なく認められたが、エーテライザーによる護衛はパレスガードを除き一人のみと厳密に決められているという。この辺の事情もラスティアがパレスガードを広く募ったことへの大反発につながっているらしかった。
「それじゃあ――おやすみなさいシン。また明日ね」
「うん、ゆっくり休んで」
「シンはしっかり食べること。部屋に夜食を届けるよう伝えてあるから」
「え、なんで?」
慌てて聞き返すと、ラスティアはくすくす笑いながら指を指した。
「エーテライザーにとって空腹は厳禁よ。それに何度も胃に手を当ててるし、お腹の音も聞こえてきたから」
シンは真っ赤になってうつむき、わかったと言わんばかりに手を挙げた。
笑みをこらえるシェリーを伴い、ラスティアも手を振りながら部屋の中へと入っていく。その様子をゆっくり時間をかけて確認し、振り向いたシンの視線が鋭く中庭へと向いた。
⦅シン⦆
(わかってる)
テラからの共鳴に答えると同時に、口を開く。
「出てきてください。そこいるんでしょう」
その突如。色とりどりの花々と樹木が生い茂った中庭から三つの影が現れ、物音ひとつ立てないままシンの前へと立ち並んだ。
「無礼を許されよ、ラスティア王女に気づかれ事を荒げたくなかったのだ。我々はこの国のパレスガードとして、あなたと話をしたい」
先頭に立つ、巨躯の男が言った。
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