第6話「サイオスという名の使者」

「お前と陛下がそれほどまでにラスティア王女を見込んだ理由とは、いったい何なんだ」

 リヒタールは静かに、しかし断固とした口調で訊いた。


「私もそれが訊きたい」ルノも大きく頷く。「でなければ今回のお前の行動も、あえて次期国王を決めなかったという陛下のお考えも到底納得できない」


「それは私も同じ思いです」

 唐突に隣のフェイルが口を挟んだ。シンを含め全員の目が一斉にフェイルへと向く。


 フェイルは一瞬シンに目くばせするようにしたが、すぐにレリウスへと向き直った。

「アルゴード侯自らが王宮の大事を放ってまでラスティア王女をランフェイスくんだりまでお迎えに上がった理由……これまで聞いた話をまとめますと、あなたは今回の動きをなるべく気取られぬよう、ご自身の、それもごく少数の兵だけを率いて行動していた。その理由について、私もシンも知りたいと思います。このことはラスティア王女が襲撃されたことと深く関係しているはず。ましてやシンは、まさにその現場にいたわけですから」


 突然自分の名を口にされシンは目をまるくした。だがフェイルは素知らぬ顔でレリウスを見つめ続けている。


 リヒタールとルノは突然の発言に面食らったようだったが、たとえ素性のわからない相手であっても口にしたことは最もだとでも思ったのか、深く頷きながら再び視線をレリウスへと向ける。


「……サイオス・ライオ。この名に聞き覚えが?」

 レリウスが唐突に訊いた。


「むろんだ、『トレギア戦役の英雄』を知らぬはずがないだろう――一度も会ったことはないがな」

 リヒタールが眉をひそめながら頷いてみせた。


「もちろん私もだ。アーゼムの最高位である導師ルクスにして、そのエーテライズと叡智えいち継承者たちオブラウンドにも匹敵すると。アーゼムの生ける伝説とまで言われている男だ」

 ルノが同調する。


「確かにその名は私のような身分の者にも知れ渡っています」

 最後にフェイルが言った。


 もちろんシンが知るはずもなく、物語エルダストリーの中に出てくる名前でもなかった。


「たぶんシンは知らないだろう?」

 気を遣ってくれたのか、フェイルがそう聞いてくる。シンは反射的にうなずいた。


「簡単に言うと、アーゼムの英雄さ」

「その英雄にして生ける伝説が、私と陛下のもとを訪ねてきたんだよ」


「なんだって?」

「いったいいつのことだ」

 リヒタールとルノが同時に声を上げる。


「陛下が口を閉ざし、私がラスティア王女を直にお迎えに上がった理由……それはラスティア・ロウェインという少女がサイオス・ライオのただ一人の弟子であったからだ」


 もちろんシンには、サイオス・ライオが何者なのか、その人となりさえ一向にわからない。しかしフェイルを含め全員が驚愕の表情を浮かべているのを見ると、サイオスという人物がただ者ではないのだということは容易に想像できた。


「ちょっと待て」

 リヒタールはわけがわからないといった様子で額に手を当てる。

「ラスティア王女には器がなく、そのせいでアーゼムにはなれなかったのだろう? だからこそ王室に迎え入れるという話が持ち上がったはずだ。なのになぜ、アーゼムの導師ルクスが――サイオス・ライオほどの人物が、ラスティア王女を弟子にできる? そもそもそんなことが許されているのか?」


「その辺りのことは話すと長くなるが……とにかくラスティア様が、サイオスに見込まれた人物であるということは間違いない」


「そのサイオスは、陛下と君に何を話したんだ。なんの目的があってアインズへやって来た。そもそも君とはどういう関係が?」


「お前たちにも言っていなかったことだが、私とサイオスの間には若い時分から深いつながりがあってな……今より半年前、やつは何の前ぶれもなく私の前に現れた。まったくアーゼムというともがらはことごとく世の乱れに敏感らしい。再会の挨拶もそこそこにアインズの趨勢すうせいについてラウル王と話がしたいと切り出された。アーゼムの導師ルクスに――ましてやサイオスほどの男にそう言われては断ることもできん。私たちはその足ですぐ陛下のもとへ出向いた」

 レリウスはそこで一度喉を湿らすかのように杯を傾けた。


 全員が一言も口を挟まず、続きを待った。


「サイオスは、次期国王を誰にするかという私とラウル王の苦悩をよく理解していた。ディファト王子は言うに及ばず、リザ王女は思慮深い方だが人を率いるに向いていない。アナリス王女は感情の起伏が激しく、グレン王子は幼すぎる。サイオスは言った、『もしラウル王の子の中から次期国王を選ぶことができぬなら、に賭けてみるがいいだろう』と」


「まってくれ」ルノが思わずといった様子で口を挟む。「ラスティア様をアインズ王室へ迎え入れるという此度こたびのことは、父であるランダル・ロウェインからの申し出があったからではなかったのか」


「表向きは、そういうことになっている。だが、最初にこの話を持ちかけてきたのはサイオスであり、私と陛下、それにランダル・ロウェインがその言葉を受けて決断に至った、というのが本当のところだ」


「なぜだレリウス。いくら血筋的に問題はないとはいえ、いったい何をどう言われたらラスティア王女を次の王に、などということになる。相手がサイオス・ライオとはいえ、俺ならにわかには頷けんぞ」


「まったくだ。なにせサイオスのやつ、ラスティア様のことについては何の詳しい説明もしなかったからな。そればかりか『たとえラウル王が次期国王を名指したところで後継者争いは避けられん。それならむしろ誰の名も口にせず、自らの力でもって水晶の玉座につかせるがいい』とまで言ってのけたからな」


 レリウスの言葉に、誰もが声を失っていた。

 その短い沈黙を破ったのはフェイルの押し殺したような笑い声だった。


「いや、失礼」

 全員の視線を浴びながら、フェイルはなおも肩を震わせていた。

 

 シンの方がよほど周りを気にしてしまい、フェイルに対し何度も首を振ってみせるが当の本人はまるで気にする様子がない。


「お前も陛下も、それにランダルも、いったい何を考えている!」

 リヒタールがフェイルを無視して叫ぶ。


「まあ、落ち着け。サイオスはこうも言っていた、『ラスティアが王たる器を持つ者かどうか、それはお前たち自身の目で判断するがいい。師であった俺が言うのもなんだが……』、と」


「……エルダに魅入られた? つまりそれほど特別な方であると、サイオス・ライオはそう言いたかったのか?」


「いったい何を言い出すのかと私も王も思ったが……笑い飛ばすことはできなかった。サイオスのあの、何物をも見通すかのような灰色の瞳が、すべてを受け入れさせてしまった」


「レリウス、それはあまりにも――」


「私は、ある意味では王以上に激しく追いつめられていた」

 レリウスはルノの言葉を遮るようにして続けた。


「若い折からラウル王を唯一無二の君主として忠誠を捧げてきた私には、四人の王子王女のうちの誰かを選ぶことが、どうしてもできなかった……全員に対する思いやりなどでは決してない。不敬は承知で言うが、誰一人としてそうしたいと思える方がおられなかったからだ。そんななか周りからはアルゴード侯はいったい誰を支持するのかと、そんな話ばかりささやかれ、ついには堂々と迫ってくる者たちまで現れた……王の命は長くなく、いつまでも決断を先送りにしておくことはもちろん、アルゴード侯領を衰退させるような決断も許されない。いやアルゴードどころか今後のアインズのいく末さえ左右してしまうやもしれん。そんな状況のなか、四人の王子王女には、どうしても次期国王としての器が……王として大国アインズを率いる姿が見えてこない……私は悩みに悩み、苦しみに苦しんだ」


 いつの間にか、シンたちのいる大広間では、レリウスの話し声だけが陰々と響き渡っていた。


「陛下とてそれは同じだった。だからこそ私と陛下は、サイオスの言葉に賭けた。いや、賭けたかったのかもしれない。サイオスは言った。『ラスティアに王たる器があるのか、ないのか。それは俺にもわからない。だか少なくとも俺は、』、と」


「運命に、巻き込まれただと?」


「サイオス・ライオほどの人間にそこまで言わしめる少女とは、いったい何者なのか。私と陛下の興味は天にも昇る勢いで膨れ上がっていた。同時に、これは何としても直接この目で確かめねばと思った。だが、もしサイオスとのやりとりや私が直にお迎えに上がるということが王宮中に知れ渡ってしまえば、四人の王子王女たちを支持する勢力が黙っているはずがない。そのためラスティア様を王位継承者としてではなく、単に王室に連なる存在として迎え入れるという体性を整える必要があった。私と陛下はロウェイン家の面々と慎重にその段取りを整え、すべての事情を知る私は真っ先にオルタナを発ち、一路ランフェイスを目指した、というわけだ。だが、いったい何がどのようにして漏れたのか……ここからはシンも知っての通りだ。アインズへ戻ってくる途中襲撃に合い、ラスティア様の命が狙われるという自体になってしまった」

 

 まるで、その瞬間を待ちわびていたかのように。

 広間の入り口に現れた小姓が、ラスティア王女の来場を高らかに告げた。


 全員の目が扉へと向けられ、そして、誰もがその『光』から目を離せなくなった。

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