第20話「馬上の願い」
シンが誰よりも早く街の中心部へたどり着いたとき、当然外周の混乱は伝わってきてはいなかった。
それでも何か、とんでもないことが起きているのではないかという気配は誰もが感じるところだった。家々や店先から街道へと出てきた多くの人々は、皆一様に外周の方へと顔を向け、何事が起きたのかと囁きあっている。建物の窓のあちこちから顔を出している者の姿も少なくなかった。
そのため騒ぎの中心からやってくるシンに対し、何が起こっているのかと聞き出したくて仕方なかったに違いない。だが、人の合間を縫うようにしながら一瞬のうちに走り去ってしまうシンには声ひとつかけられなかった。
人々はいま何が起きているのかを口々に議論し合っていたが、今まさにバルデスの大軍が押し寄せ、外周で暮らす人々をその天幕ごと呑みこもうとしているなどとと言い当てた者はひとりとしていなかった。
みんな早く逃げてください、バルデスという国の大軍が迫っています!
そう叫びながら走っていれば良かったのかもしれない。だが、今のシンにそんな余裕はなかった。
もし、ラスティアのもとへ駆けつけるのが間に合わなかったら――荒い呼吸をくりかえしながら、シンはひたすらレリウスのもとへ走り続けた。
しかし、それも限界だった。
「おい、大丈夫か」
唐突に足がとまり、膝ががくりと折れる。
自分でも信じられない速さでギルドのあるところまでは戻ってきたが、さすがに息が続かなくなった。
まるで地面に叩きつけるような荒い呼吸を繰り返すシンを見て、周囲の人々が気遣うような声をかける。
大丈夫です、といった返事をすることもできず、せめて顔をあげようとしたシンの視界に、
「シンか!」
それは紛れもなくレリウスだった。
どうして、という疑問より先に、シンは安堵感から涙がこぼれそうになった。
いつのまにかシンは、このレリウスという男に絶対的な信頼を寄せていたのだった。
レリウスは馬を
「シン、いったいどうしたというのだ。ラスティア様は!?」
「――どうして、ここに?」
いまだ呼吸が整わないなか、なんとかそう言葉にできた。
「
「バルデスの大軍が迫ってる。そう伝えて欲しいとラスティアが」
レリウスの言葉を遮るように言うと、レリウスの表情が一変した。
「バルデスの大軍だと?」
「外周の人たちは、もう襲われてる。街中まで迫ってきそうな勢いだった」
「それで、ラスティア様は」
「ここで食い止めるって。ダフたちと――今日知り合った
レリウスは強く両眼を閉じ、苦渋の表情を見せた。だがそれも一瞬のことだった。
かっと目を見開くと、うしろに控えていた兵たちへ向けて叫ぶ。
「バルデスが侵攻してきたと、そうワルムに伝えよ! おまえはベルガーナの宿舎へ行き、アルゴード侯レリウス・フェルバルトの名のもとに今居る駐屯兵を全員外周に集めろ! 同時にセイグリッド砦に早馬を走らせベルガーナ騎士団の全兵力をここへ集中させよ!」
「れ、レリウス様は!?」
混乱の色を隠せない兵たちが慌てて聞き返す。
「このままラスティア様のもとへゆく――早く行け!」
凄まじい剣幕で命じられた兵たちは一斉の敬礼でもって応え、すぐさま馬首を返しもと来た道を走り去っていった。
「シン、案内してくれ!」
兵たちに命じた勢いそのままにレリウスが言った。
シンは考える間もなくうなずいた。
レリウスは再び馬上の人となると、すぐさまシンへ手を伸ばした。
シンが反射的にその手をとると引力のようにレリウスの背後へと引っ張られ、一瞬のうちに馬上の人となった。
「しっかりつかまってくれ!」
レリウスが手綱を振るった瞬間、凄まじい勢いで馬が走り出す。シンは振り落とされそうになる体をレリウスの頑丈な背中にしがみつくようにしてなんとかこらえた。
あまりの振動の激しさに、シンの腰はほとんど浮きっぱなしになっていた。今まで走って来た街並みが凄まじい速さで通り過ぎていく。
外周に近づけば近づくほど、住人たちの様子が目に見えて変化した。すでにバルデス軍の存在を見聞きしたのか、逃げまどう人々の群れがシン達の両側を
「聞いてくれシン!」
前方に目を向けたままレリウスが叫んだ。
「私はなんとしてもラスティア様を助けたい! 私はあの方にこの国の――いや
「ゆ、行く末!?」
レリウスの背中越しに叫び返す。
「賢王とまで称えられた
「そ、それは、王女になる予定のラスティアが邪魔だからってこと!?」
「そうだ! ラスティア様は民衆から絶大な信頼と人気を得ていた王妹フィリー様と、アーゼムの偉大なる支柱ランダル・ロウェインとの間に生まれたお方だ。玉座を狙う者たちにとっては大変な脅威と映ったのかもしれん。ラスティア様にまったくその気がなかったとはいえ、私がもっと注意を払うべきだった……! そしてもしラスティア様を狙った目的が我が国の王冠争いに端を発していたとしたら、その黒幕は恐ろしいほど先を見通す目を持っていると言わざるを得ない!」
「ど、どうして!?」
「ラスティア・ロウェインという少女が、次代の王たる素質を持つ者だったからだ! 若い時分より多くの『人』を見てきた。我が国はもちろん、あらゆる国の王室関係者、貴族、有力者たちと
シンに説明していながら、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。その熱気に追いやられ、シンは返事すらできなくなっていた。
「だからこそ、こんなところで何かあってはならんのだ! この命を投げ討ってでも私はラスティア様を守ってみせる! だからシン、私の身に何事かあった場合は、私の代わりにどうか、ラスティア様を守ってくれないか!」
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