君と物語（イセカイ）を自由に生きてゆくための冴えたやり方【第一部完結】

第18話「自由な世界」

「なんだって？」

　フェイルが少しの間のあと聞き返した。

　シンも思わずラスティアを見る。　

「ダフもリリも、私と共に来てもらうわ。もちろん、本人たちが望めばだけれど」

「え？　と、共に来てもらうって、え？」

　ダフは緊張と困惑の入り混じった顔でラスティアを見上げる。

「あなたの思いに突き動かされたの。一度関わった以上、途中で見捨てるような真似はしないわ。今までも、これからも」

　フェイルが口の端を吊り上げるような笑みを浮かべた。

「病に冒された娘とこんな薄汚れた小僧を小間使いにしようとはよく言ったもんだ。おまえの自尊心ってのはよほど大きいらしい」

「自尊心？」

「ああ、気にしないでくれ。俺たちみたいなゴロツキが相手でも平然と振る舞えるおまえのような人間は、むしろそうすべきだからな。理由はどうあれ、救われるやつがいることに変わりはねえよ……よかったな、小僧。おまえたちは運がいい」

　ダフは何と返事をすればいいかわからないといったように視線を泳がした。

　フェイルは何かを思い出すように遠く周囲を見渡しながら続ける。

「人は生まれる場所を選べない。そしてこんな場所に生まれ落ちた人間は、おまえたちのように奇跡に遭遇した人間しか這（は）い上がることができないのさ。それ以外の人間には、希望なんて何一つ持てやしない。ただ一日を生き延びることだけを考えながら暮らしていく日々を送る」

　まるでこの世界に来るまでの自分のことを言われているような気がした。だからかもしれない、今まで通り過ぎていくだけのようにしか感じられなかった目の前の出来事が、はじめて身近なことのように感じられた。

「いや、最初から外周で生きてきたおまえたちの方がまだマシかもしれねえな。ここで暮らす半分以上の人間は、もとは街中の生れだ。堕（お）ちてきた理由はさまざまだが、絶望しているのはどいつも一緒さ。高いところから突き落とされた分、傷は深い。再び立ち上がれる人間はそういない。少なくとも、俺がここへ来てからは見たことがない」

　いつの間にかシンたちの周囲には、何事かという顔を覗かせた人々の視線が多く集まっていた。

　ふとシンの目が、そのなかの一と重なった。おそらく、シンとそう変わらない年頃だろう。ダフと同じく衣服とも言えないようなぼろを身に付け、痩せ細った体からひょろりとした手足が伸びている。

　彼らからすれば、今までのシンの暮らしぶりなど苦労のうちにも入らなかったかもしれない。だからこそ余計フェイルの言葉が胸に響いた。

（――高いところから突き落とされた分、傷は深い）

　普段の生活が突然失われ、すべてが変わってしまった日。今までの当たり前が当たり前ではなくなってしまった。

　頭の中は常に今後の不安ばかりで、いつも胸に錘（おもり）をぶら下げているような気持ちのまま毎日を生きていた。

　目をそむけたくなる現実というのは、いつも唐突に、自分とはまるで関係のないところからやってくる。あまりにも理不尽に。そしてそれは、人並みの望みすら掻（か）き消し、一瞬先の未来さえ凍らせてしまう。

　なんのことはない。仮にいま自分のいる場所が夢にまで見た物語の世界（エルダストリー）だったとしても、一歩足を踏み入れてしまえば元いた場所と大差ない現実が待ち受けていただけだった。

　幸い、こうしてラスティアやレリウスの庇護のおかげでなんとかなっているものの、一人見捨てられれば生きていくことさえままならない。

　ほんの少し前まではきらきらと輝いて見えていたエルダストリーの景色が、急激に色褪せていくような気がした。

「ダフにとって私が、奇跡だったとは思わない」

　ラスティアの言葉に、シンは我に返った。

「なに？」

　フェイルがいぶかしげな表情を浮かべる。

「ダフは嘆（なげ）き悲しんでここに閉じこもっているようなことはしなかった。立ち入ることさえ禁止されていたギルドに何度も一人で乗り込み、リリを助けて欲しいと訴え続けた」

「けっ」

　今まで黙っていたルードが地面に唾を吐いた。

「助けてくれってなんとかなるんなら一日中だって叫んでやるぜ」

「ほとんどの人は、あなたみたいに考えて何もしない。けど、ダフは違ったわ。その思いが、行動が、私をここへやって来させた」

「ふざけんなよ。俺たちみたいな人間が街中の、それもギルドがあるような場所をうろついてみろ。警護兵どもにつまみ出されるどころか下手すりゃ牢獄行きだ」

「その危険を犯してまで、ダフはギルドへやってきたのよ。私がここへやって来たことも含めて、すべてはダフが自分の力で引き寄せたものだわ」

　ダフは、まるで初めて遭遇（そうぐう）した人間を見るかのような目でラスティアを見つめた。

　眉間に深く刻まれていた影のようなものはすっかり身をひそめ、年相応の幼い顔が垣間（かいま）見えていた。

（自分の力で、引き寄せた……）

　なぜか、シンの胸が疼（うず）いた。

「それに私は、本当の奇跡がどういうものかを知っているから」

　ラスティアがいたずらっぽい目をシンに向けてくる。

　突然のことにまっすぐ見つめ返すこともできず、シンの視線が左右に揺れた。

「くっだらねえ」

　ルードが再び唾を吐いた。

「結局は運よくおまえたちにすくい上げられただけの話じゃねえか。機会に恵まれず身を滅ぼしていったやつらなんざそこらへんに転がってら。ここはそういう場所だぜ」

「あなたの言うとおりよ」

　ラスティアがルードに向かって大きくうなずいた。ルードが面食らったように目をぱちぱちさせる。

「だからこそ、ダフとリリは私の決意をあらたにしてくれた」

「決意だと？」

　フェイルが聞く。

「私は――」

　ラスティアはそこで一瞬言い淀んだが、はっきりと口にした。

「私は、どんな境遇にあろうと自らの意志次第で自由に歩んでゆける、そんな世界を創りたいと思ってる。いえ、必ずそうしてみせる」