第9話「器」
「なんとか無事、たどり着けそうだ」
隣で馬の手綱を握るレリウスが、ほっと息をつくように言った。
レリウスと共に御者席に座っていたシンは、自然と腰を浮き上がらせるようにしながら、遠く前方に見え隠れするザナトスの街並みに目を細めた。
「……あんなに大きな街だとは思わなかった」
「向こうで落ち着き次第、散策してみるといい。東はバンデス、西はディケインにまでつながる
シンはレリウスの言葉に一度うなずきかけたが、ふと疑問に思い、これまで
「その割には全然人の姿を見なかったような」
「それは私たちがレイブンからの道を南下しているせいだろう。レイブンというのはアインズの北にある信仰深い閉鎖的な国でね、許可なき者の
「もしおれがあのままレリウスたちと別れて何とかこの道を歩いていたとしても、誰かに助けてもらえる可能性はほとんどなかったってことだね……今まで一人もすれ違ってないわけだし」
「シンのような
最初はどのように接すればよいかもわからず、聞かれたことしか答えられないような状態だったが、テラが去ってから丸一日も経った頃にはいたって気さくに話せるようになっていた。
レリウスの傷も、見た目に反してそれほど重症ではないようだった。動くときにときおり顔をしかめることはあったが、シンとの会話に支障をきたすようなこともなかった。
基本的にレリウスという男は、シンでさえすぐに打ち解けてしまえるほど人当たりのよい性格をしていた。
歳は三十代か、もしかするともっと上の年齢だったかもしれないが、レリウスはシンが敬語を使うことを嫌がり、「君にそのように扱われると、どうにも落ち着かない」と言って譲らなかった。
シンが命の恩人であるということはもちろんんだが、
あれは自分ではなくテラと名乗るフクロウみたいな鳥がやったことだと言いたかったが、どう考えても上手く説明できる自信がなかった。結局レリウスの言葉を受け入れ、できるだけ自然で失礼のない言葉遣いを心掛けるしかなくなった。
レリウスがシンを特別視する理由は他にもあった。何を隠そう、シンからすれば珍しくもなんともない髪と瞳の色、そしてこの顔の造りだった。レリウスは
人種どころか文字通り住んでいた世界すら違う二人だったが、そのことが互いに強い関心を
シンもレリウスも、それぞれの世界やその暮らしぶりについてなんでも聞きたがり、追手の気配がまるで感じられないとみるや互いの肩を寄せ合うようにしながら息つく暇もないほど語り合った。その結果シンは、いま自分のいる場所が、正真正銘エルダストリーと呼ばれる世界であることを確信するに至ったのだった。だが不思議なことに、共通していることもあった。
それは人種はもちろん、身に着けているものや移動手段をはじめ、文化や技術、宗教にいたる何から何まで違っているのに、なぜか当たり前のように意志の疎通ができてしまっているということだった。
レリウスの話では、エルダストリーにおいて文字の読み書きができない者は大勢いるが、国ごとによる言語の境界はなく、アクセントや意味合いの違いはあっても皆一様に同じ言葉を話すというのだから驚きだった。つまりレリウスやラスティアと当然のように会話ができているシンは、エルダストリーのどこの国へ行っても言葉のやりとりには事欠かないということだ。
シン以上に驚いていたのがレリウスで、シンが元いた世界のことを話しているときは怪我などしていないかのようなはつらつさで
おかげで二人は名前で呼び合うような仲にまでなっていたが、互いの世界のことばかり話していたせいで、シンはレリウスとラスティアの身の上話をすっかり聞きそびれてしまっていた。
だいぶ落ち着いたとはいえ、ほんの二日前に目にしたあの
「しかし確かに、人の往来がまるでないのは危険であることに違いない……ベイルと呼ばれていた男があの場で襲ってきたのも目撃者のことを気にする必要がなかったからだろう」
その言葉の最後には、どこかぞくりとする響きがあった。決してシンに向けて言ったわけではないだろうが、自然と押し黙ってしまう。
レリウスが襲撃者たちのことを話す時に見せる顔は、これまでシンが目にしたことのない類のものだった。
いくら打ち解けたとはいえ、それぞれ別世界の人間であることに変わりはない。自然とシンの視線が後方へと向いた。
ラスティアは変わらず荷台で横になったままだった。それでも少しずつ身を起すようになり、少量ではあるが食事や水も
「あの子は――ラスティアは、どういう人なの」
久しぶりの沈黙が、シンの疑問を自然と言葉にしてくれた。
「どこまで話していいものか、私も迷っているのだが……」
レリウスもシン同様、自分の興味のみを優先して話題を選んでいたわけではないようだった。
お互い、深刻な話を切り出す機会を探っていたのだ。
「別に隠すことでもないんだが。あの襲撃のことを考えると……シンを巻き込んでしまうのではないかと思ってな、なかなか言い出せずにいた。だが、あの者たちを撃退し私たちを救ってくれたからには、どちらにせよ話しておくべきだろう」
そう言われてしまうと、どこかうすら寒い感覚に襲われたが、シンは黙ってうなずき、レリウスの言葉を待った。
「ラスティア様は、アインズ王の妹君であるフィリー様の娘、つまり現国王の姪にあたる方なんだ」
「こくおうのめい?」
「そして、〈アーゼム〉の支柱の一つ、ロウェイン家のご息女でもある」
「……アーゼム」
エルダという言葉のとき同様、記憶の片隅にあった言葉が急に浮かび上がってくる。
「……『エルダストリーの守護者にして調停者』」
気づけばそう口にしていた。
レリウスは驚いたような表情を浮かべた。
「知っていたのか。今までの様子だと何も知らないとばかり」
「あ、それは……つまり、いくつかのことは、おれのいた世界にも伝わっていた、というか」
シンは慌ててごまかした。せっかく打ち解けてくれているのに、「この世界のことを物語として読んだことがある」などと説明したら、いったいどんな反応をされるかわかったものではなかった。
「そうなのか、ならば話は早い」
「あ、でもそんなに詳しくは知らなくて。名前は一緒でも、おれが知っているその、アーゼムってものとは違っているかもしれないし」
レリウスはふむとうなずいて先を続けた。
「アーゼムはいまシンが言ったとおり、この世界の守護者――主に西方諸国と呼ばれる国々の調停にあたる者たちのことだ。そしてラスティア様はアーゼムの始祖である〈十二従士〉の一人、その末裔にあたるロウェイン家の生まれでもある。つまり、アインズ王の妹君であるフィリー様がロウェイン家の現当主ランダル様の元へ嫁いで生まれた子がラスティア様、というわけだ」
「……つまり、とんでもなく高貴? な人っていうこと?」
「本来なら私なんかがおいそれと近づけるような方ではないよ。アインズ王室の血を引いているというだけならまだしも、アーゼムの、それもロウェイン家の直系だ。本来であれば誰もがその使命に絶対なる尊敬と忠誠を捧げるべきお方だからね。だが……」
レリウスは険しい表情のまま一旦言葉を留めると、深い息を吐くようにして言った。
「ラスティア様には、〈器〉がなかったんだ」
昨日テラも言っていたそれは確か――
「アーゼムとなる者たちは皆、人知を超えた力を、己の中の
「アーゼムたる資格を、もたない……?」
シンが読んだ
いったい、自分が読んだ物語とこの世界は、どのようにしてつながっているのか。考えれば考えるほどわからなくなる。
「十二従士の血を引く者の中で器を持たずに生まれてきたのは、二〇〇〇年以上続くとされるアーゼムの歴史の中でもラスティア様ただお一人。そのことを思うと……いったい、今までどのような道を歩んでこられたのか。いったいどれほどの修錬を積めば、年端もいかぬ少女があのような強さを身に付けられるのか、私には想像もつかない。おそらく今のこの状態も、何かの代償のようなものなのだろう」
「代償……」
シンはもう一度うしろを振り返らずにはいられなかった。
たった一人で武装した男二人の喉元を切り裂いた少女。血にまみれたその腕で小さな
ラスティアという少女に対しどんな感情を抱いているのか――抱けばいいのか、シンはまったくわからなくなっていた。
「……その器がないということが理由で、レリウスはラスアティアを迎えに来たってこと?」
レリウスが重々しくうなずく。
「アーゼムになるためには十五のうちに与えられた試練をすべて乗り越えられなければならない。ラスティア様もアーゼムとなることを強く望まれていたが、器がなければどうしようもないものらしく、結局認められないまま昨年、十六になられた」
「俺と同じ歳なんだ……失礼かもしれないけど、全然年上だと思ってた」
「そうか、シンも十六だったか」レリウスは思わずといった様子で笑みをこぼした。「こちらこそ失礼なかもしれないが、シンはもっと幼いかと思っていた」
「そう見られて当然だよ。実際もといた世界でも成人としてなんか認められない年齢だし」
「そうなのか、エルダストリーでは今後の生き方を具体的に考えなければならない年頃なんだ。だが、十二従士の血を引く者がアーゼムになれないなどという例は、いまだかつてない。ましてやラスティア様はロウェイン家とアインズ王室の血を引くようなお方だ。おいそれと市井に出せるような方でもない。そのような身の上から、我が王とラスティア様のお父上であるランダル様は、ラスティア様をアインズ王室へ迎え入れることをお決めになられたのだよ。今まではあくまでロウェイン家の人間として育てられていた方だからね」
レリウスはひと呼吸置くように馬に軽く鞭打った。
馬足が若干早まり、シンはだいぶ慣れてきた馬車の揺れに合わせて座り直した。
「ラスティア様をお迎えに上がる任務に名乗りを上げた私は早々に
「そうだったんだ……二人はずっと前からの知り合いだと思ってた」
レリウスは柔和な笑みを浮かべながらうなずいた。
「襲撃に遭う、ほんの三日前のことさ。初めて会ったときのことは、忘れられない。この世に二つとない
実はシンもレリウスとまったく同じ感想を抱いていた。ラスティアの顔の造りはもちろん、その外見すべてが今までシンが見てきたどんな人間ともかけ離れていたからだ。こうして行動を共にしてからも言葉を交わすどころか、目すらまともに合わせられていない。
到底現実とは思えない状況の中そんな余裕などなかったのも確かだが、そのことを抜きにしても、ラスティア・ロウェインという少女は、見る者をどうしようもなく魅了してしまう存在だった。
シンはあらためてラスティアの顔を眺めてみたい衝動に駆られたが、今さらまじまじと見つめるのは失礼すぎると考え、寸前で思い止まった。
「最初は緊張していたラスティア様も次第に打ち解けてくれてね。今までシンと話してみたいに、道中いろいろな話をしたよ。口さがない人々は彼女に『
「買いかぶりです」
突然飛び込んできた声に、シンとレリウスが同時に振り向く。
荷台で身を起していたラスティアが、その翡翠の瞳でもってまっすぐシンを見つめていた。
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