第1話  ベロニカジャスミン

ロンドンフェイクタイムズによると 二千三十八年 七月二十八日 


時刻じこくはたぶん午前七時。 


「ギューンザッザザーグゥぅっドモーニング!フォウ!フォウ!」


眠りから覚める直前だった。眠たい目をこすりながら部屋を見渡みわたす。木造のアパートのリビングには暖炉だんろ依頼確認用いらいかくにんようデスクが見えオープンキッチンの方は暗い。低気圧の影響えいきょうで頭が重い。アパートの窓から差し込む朝の光がグレーなのはいつものことだ。


アホみたいに叫んでいる何かはテーブルの上にいる。


ハリボテのテレビの前にあるテーブルの上には時計を抱いている不細工なコック服を着たジジイのカートゥン人形が狂った表情で赤く点滅てんめつしながらノイズを鳴りひびかかせている。この街ではまず見かけることのないパトカーのサイレンのようだ。


「チャンスのアサだ!オきなきゃソンだよぉ!」


「うるさいわね。余計なお世話よ。黙らないと殺す」


ベロニカは寝癖ねぐせのついたブロンドのワンレングスヘアをクシャクシャにかきみだした。昨日の仕事着のフード付き黒パーカーと黒いコート、スキニーを着て。きっぱなしのミリタリーブーツを着けたままだった。


二人掛ふたりがけのソファーから少し足を出して寝ていたベロニカは細いうでで枕元のガンベルトのホルスターからリボルバーじゅうを抜いた。


買った覚えはないがテーブルの上になぜか置いてある不気味ぶきみな目覚まし時計を青い眼でにらみつける。ベロニカが眉間みけんしわを寄せた眼差まなざしはシャープだ。細すぎず太すぎない体つきでソファーに片手をついてリボルバーを片手でかまええた。銃の反動にはれている。


「どこで拾ってきたんだっけ、昨日はジャンクショップのチャン・トウザキの依頼いらいで…ええと。いや問題ないわ」


ベロニカは引き金を引いた。アパートに銃声と破壊音が響いた後キッチンのシンクとアパートの梁が反響した。


目覚まし時計が砕けて木製のテーブルの上に散らばった。掃除をする必要がある。だんだんと目が覚めてきた。後をよく見ると時計の破片の中に札束が混ざっている。


「しまった、時計の中に報酬ほうしゅうを入れてもらったんだった。確か時計はアンティークのレア物で金が足りない分を補填ほてんするためにもらったんだっけ。今思い出したわ」


札束を確認かくにんする、記憶がよみがってきた。昨日ジャンクショップの店からぬすまれたものを取り返した後、報酬ほうしゅうをもらったところまでを思い出した。

だが金を確認したのでそれ以上考える必要はない。


「金は大丈夫ね。よかった」


「何万ドル損したのかな。クソが。今日の仕事は格安ボディーガードだから大したかせぎじゃないし。気をつけないとな」


物価の高いこの街では金銭感覚きんせんかんかくが狂う。賞金首しょうきんくびなどが存在しないこともあるから個人の依頼をこなすしかやることがない。


「現金支払い以外は断るようにしよう。ダイヤモンドとかは別で要相談ようそうだんだな。ダイヤモンドってこの街にあるのかな?」


ベロニカはまたかみをくしゃくしゃとかき回しながら立ち上がりバスルームに向かった。着ているものを全てバスルームとリビングを挟んだ廊下に投げた。靴下くつしたを脱いだ後に、廊下ろうかを戻り落ちているコートからスマホを出した。


銀色の蛇口じゃぐちひねりバスタブにお湯を張りながらスマホを見る。私が契約している依頼用掲示板いらいようけいじばんには昨日返事をした契約者けいやくしゃ「自称エリザ」のメールがあるのでそれをチェックする。コツコツとスマホの画面を叩く音とカランから放出されるお湯の音がバスルームにひびいている。


閉鎖へいさされたロンドンに迷い込む人間は必ず最初の名前がエリザかエリックだ。誰もがこの街に来ると無意識むいしきのうちにそう思い込んでしまうようだ。全くもって奇怪きかいだが金と銃があれば生存できる。


このメールの送り主はスマホを最初から持っていたのか、それとも殺して奪ったのかわからないが返信は「わかりました、お願いします」だったからエリザは十一時にはここに来るのだろう。


洗面台のとなりの丸テーブルにスマホを置いてまだお湯が半分にも満たないバスタブにかった。



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