旧版: ヴァンパイアを絆す魔法

さとうきび

黎明

赤眼の彼女

第1話

『ジリリリリリリリリリリリリ』


 けたたましい目覚まし時計の音が部屋と私の頭の中に響く.

 朝の心地よい睡眠を邪魔した不快なそれは, 私が大げさに振り下ろした手に頭をひっぱたかれてようやく黙った.

 寝返りを打ってもう一眠りと洒落込もうとするも, 頭上のカーテンの隙間から差し込む鋭い朝日が目にかかる.

 渋々この微睡みを手放す決心をした私は, 勢いよくかかっている布団を足の下にひっくり返す.

「くぅあああああ!!」と叫びながら体を伸ばして起き上がり, ベッドから腰を上げた.


 午前5時半過ぎを指した目覚まし時計を片目に, 部屋のカーテンをザッと除けて窓を開ける.

 霞んだような薄い雲の奥には青空が広がっている.

 朝から元気な小鳥のさえずり, かすかに聞こえる波の音.

 うむ. 気持ちのいい朝だ. 目覚まし時計のせいで覚えた若干の不快はとうに消えている.


「よしっ!」


 わざとらしく口にした私は自室の扉を開けた.

 今日はいい日だ, 多分!



 ~~~



 ウルカ・グーテンベルク19歳. どこにでもいる普通の女の子~とは少し違う.

 私はに育てられた, いわば見習い魔女だ.

 私を生んだ両親のことは全然知らないけど, 孤児だった私をその魔女, 先生が拾ってくれたらしい.

 まぁその先生は昨夜から仕事に出ていていま此処にはいないのだけども.


 こういう日の朝には大抵電報で何かしらの指示が送られている.

 そうして案の定, 居間の棚上に置かれた電報機は紙を吐き出していた.

『6ジニハモドル ユヲワカシテオケ メシハツクラナクテイイ』


 洗面所で顔を洗い, 肩ほどまであるベージュの髪の毛をツーサイドアップに結う. 寝巻きを着替えて, ボイラーに火をつける. 家中の窓を開けて回れば, 朝の涼しい空気が流れ込んで眠気を抱く夜の家の雰囲気は一気に目を覚ます. 取り敢えずやるべき事を終えたら, 昨日栞を挟んだ本を手に時間を潰す.


 そんなこんなしているうちに気づけば時計は6時半過ぎ. ボイラーに火をつけてから30分は経ったが, まぁこれくらいなら特に珍しいことではない?だろう.


 私と先生はこの自宅兼魔道具店を二人で切り盛りしている. 表向きの仕事はこれなのだが, まぁ表向きと言った以上裏向きの仕事もある.

 説明すると少々面倒くさいので省くが, 先生のような魔女が駆り出される仕事は, なんというか, 大抵『穏便なこと』ではない. 当然のように命のやり取りがあるような危険な仕事なのだ.

 彼女はそもそも時間に疎い所があるが, こうも帰りが遅いと少々心配になってしまうものである. 私がせっかちの心配性である可能性もあるが.


 壁掛時計を椅子に座ってぼんやり眺めていると, 『カラン, コロン』と店の玄関の方から音がした. 開店にはまだ早いのでおそらく先生が帰ってきたのだろう.

 一応見に行こうと椅子から立ち上がると, 先に居間の扉が開いた.


「遅くなって悪い. 今帰ったよ」


 そこに居たのはやはり先生だった.


 身長は私より低く, 薄いブロンドの長髪は腰までかかるほどだ. そうしてエメラルドのように透き通った碧眼. ぱっと見幼女にしか見えない. 或いは妖精か何か. 外見は本人の趣味らしいが多分普通に変態だ.

 誰がこんな幼女が200年以上生きて, 大男を片手で投げ飛ばすほどヤバいヤツだなんて思うだろう.

 魔女とは出鱈目な存在なのだ.


「もう, ほんとうですよ. お腹すいたので早く朝ごはんを…」

 そう言いかけて私の目は先生のちいさな肩に担ぐ不釣り合いなほど大きな麻袋に張り付いた.

 まるで人間一人入っていそうな大きさだ.

 よく見ると微かに振動しているような…


「—ずいぶん大きなお土産みたいですけど, それ…」

 私が荷物を指さしながら恐る恐る聞いてみる.

 そんな私の恐怖とは裏腹に先生は喜々として, 待ってましたというような様子で答えた.

「そうそう, これだよ! 面白いを手に入れてきたんだ! 早くこっちに来てくれ」


 先生は肩の袋をゆっくり丁寧に床に降ろした. 縦長の袋で長さは…大体1.5mくらいだろうか. やっぱりでかい, そして袋の真ん中くらいが上下にゆっくりと動いている. やはり嫌な予感がする. と言うか入ってんのやっぱり…


「ささ, ごらんあれ!」

 先生は麻袋の口を開けてグッと下に押し下げる. そうして遂に中身が露見する.


 中身は, やはり人間だった.


 ボサボサの長い黒髪に覆われた後頭部がそこにあった.


「あや, うつ伏せになっちゃった. ごめんよー」

 そんな事を言って先生が袋をゴロンと回転させる.


 袋の人の顔が露わになる.


 布を口に巻かれて喋れないようにさせられたそれは女の子だった.

 しかも私よりも幾らか幼い感じのする顔の整った女の子だった.

 今にも食いつかんとする猛犬のような, 恐ろしくも美しい紅色の瞳, まるでガーネットみたいだ.


 私は唖然として, さらにその刺すような眼光に怯んで少しの間声を発することもできなかった.

 あぁ先生こいつ, 遂にやっちまったな. 私はそう思った.

 魔女という生物は非常に研究熱心, と言うかむしろ魔術研究に狂った者共なのだ. 中には人体実験のために人間をさらってくるような非道なやつもいると聞いたことがある.

 だが, まさか, 寄りにもよって, 私の先生がそんな野蛮な生物だったなんて…


 そんな私の絶望を感じ取ってか先生は焦り散らかしたように話す.

「いやいやいや, そんな顔しないでおくれよ! 違う, 違うから! 別に, 誘拐なんてしてきたんじゃないんだって!」

「いやいやじゃないですよ!! 見てくださいこの顔を! 目を! 完全に怒ってるじゃないですか! これのどこが同意の上で連れてこられたなんて言えるんですか! しかも袋に入れて, 口まで縛って! こんなの犯罪じゃないなんて言う方がおかしいでしょ!!」

「誤解なんだって! 信じてくれよ! あーもう! わかった彼女に聞いてみればいい. 私が女の子を誘拐してくるような犯罪者じゃないってことを証明してくれるよ!」

 そう言ってロリコン先生は彼女の口に巻いてあった布を解いた.


「なぁ! 私は君のことを誘拐したわけじゃないよねぇ!?」


 少しの静寂, 後,


「————拉致…」

 彼女は小さく呟いた.


「君ぃぃいいいい!!!」


 あぁ, なるほど. やはりこの可愛そうな彼女はロリコン野郎の拉致によって連れてこられたということか. 先生は残念ながら帝都の牢屋にぶち込まれるのだろう.

 私が通報のために電報機のところへヨロヨロと歩いていこうとすると, 後ろから先生が大きな声で必死に訴えかけてきた.

「待て! 分かった. ちゃんと話をしよう. とりあえず私は誘拐犯でいいから少し話を聞いてくれ」

「はぁ. 最初っからそうしてくださいよ. 別に本気で通報なんてしませんよ. まぁやりたくはなりましたけど…」


 先生のことだからなにか理由があるだろうことなんて言われなくてもわかる.

 まぁただお腹が減っていたのと, 時間に遅れたせいで私が少しでも心配してたことに腹がたったのでちょっとからかってやろうと思っただけだ.

 その話とやらをしっかり聞いてや…

「あぁわかってくれたようで良かったよ. でもその話の前に一つ頼んでいいかな? 諸々の事情があってこの子ろくに身体洗えてないみたいでちょっと臭いんだ. このままじゃ不潔だし, お風呂入れてあげてほしい」


「「はぁ?」」


 私と袋の中の彼女は同時に声を上げた.

 何を言ってんだコイツは.


「いやさ, 私が行ってもいいんだけど, またロリコンだーロリコンだーってどやされちゃうでしょ? あとまぁウルカだったら歳も近いさ, 多分」

「せんせ…ちょっとま…」

「あー分かった分かった. 朝ごはんでしょ. それは大丈夫よ. 私がしっかり3人分作っとくからゆっくり浴びておいで」


 やばいな…

 朝だって言うのに頭痛くなってきた.


「あーそうだちょっと待って大事なの忘れてた」

 先生はそう言うとスタスタ研究室まで走って行った.


 居間には私と床に横たえる袋の彼女だけ. 嵐の後の静けさか.

 何だこの空間. めっちゃ気まずいぞ.

 恐る恐る彼女の方を向くと, 彼女も頭をこちらに向けていて目が合った.

 赤い瞳には先程のような怒りの感じはしなかったが, なんだコイツというような怪訝そうな目をしていた. よかった. 変人だとは思われたが, こちらに敵意がないのは伝わったのかもしれない.


「—ど…どうも…」

 沈黙に耐えきれなかった私は口角を無理やりあげてペコっと何故か挨拶した. こういう場面になれていないからかヘンな作り笑いだっただろう.


「——あの…わたし…臭かった, ですか… ? 」

 そのとき彼女の小さくかすかに聞こえるような声が.


「———ぁ…う, ぅん」

 反射的に私が口にしてしまうと彼女は頬を紅潮させてサッと袋の中に頭をもぐした.

 あー最悪. やらかした. 私.


「あーうそうそ! ほんとごめんって! そんなつもりじゃ…」


「あれ, もう仲良くなったの? やっぱり歳が近いから気が合うのかねぇ」


 そんなことをしている間に今の状況の元凶が登場だ. もうやだ.


「すまないねぇ, ちょっと重いけどコレ首につけてもらってもいいかな. 別に君のことを全く信用してないわけじゃないんだけど, 逃げられちゃったら困るし, 一応だからさ. 私が開発した吸血鬼用の枷なんだけど別に痛くないから大丈夫. ちょっと全身に力が入れづらくなるのと秘術が使えなくなる程度だから. そこにぼーっと突っ立ってるウルカお姉ちゃんに肩貸してもらえば歩けるくらいかな」


 先生は手に黒い首輪をもって彼女の元へしゃがみ込む.


「ほら, 頭もぐしちゃだめよ. 首出してちょーだい. 絶対痛くしないから. コレつけたら他の巻き付いてる拘束縄解いてあげるから. ね?」


 先生は幼児をあやすかのごとく話しかけている. 注射嫌いな子供をなんとか説得する医者か, 或いは不審者. いや後者だろう


 …ん?

 と言うか先生さっきなんて言った? 吸血鬼?


「ほら, 首出して. コレつけたらお風呂入れるから? シャワー浴びて体洗ってもらえるから. たのむよぉー」

 先生がそう言うと彼女はようやく頭を出した.

 さっきのを見るに臭いって言われたことを気にしていたのだろう. お風呂入れるっていうのに反応した気がする.

 と言うか彼女は女の子だ. そんなこと言ったら傷つくに決まってんだろ. 何やってんだ先生. 何やってんだ私.


「おーいい子だ. ちょっと冷たいから我慢してねー」


 彼女が首を出したのを見計らって素早い手付きで首には黒鉄の首輪がつけられた.

 『ガチャン』と重い音がした.

 すると彼女は今までよりも目に見えて脱力したようにガクッと浮かせていた首を床に落とした.


「よーしこれでオッケイ. 今から縄解くからね. ほら, ウルカも手伝ってくれ」

 そう言うと先生は麻袋の下の方を持って彼女の全身を外へ出した. 最後の方の足はドサッと言う音とともに床に衝突した.

 彼女は相変わらずぐったりしている. 首輪の効果はてきめんのようだ.

 縄は背中に回した手首と足首にそれぞれぐるぐると何重にも巻かれていた.

 先生はかざした手のひらからマチューテを二本に錬成して一本を私に手渡した.


 縄を解きながら身体を眺めてみる.

 彼女は黒く裾の長いフードが付いたローブを纏っていた. ところどころ切れたり破れたりしていて, 相当長く使い込んだだろうことが分かる.

 そして匂い. 彼女自身が臭いというよりはこのローブが匂いを発しているのだろう. 鉄臭いというか, それよりかは, 血なまぐさい?

 ローブ全体に複数ある赤黒いシミのような場所.

 彼女は, いったい…


「よいしょっと. よしじゃあ縄も解けたし, お風呂連れて行ってやってくれー」

 先生はぐったりした彼女の腕を首に回して立ち上がる.


「先生…本当に私が彼女洗うんですか?」

「まぁ嫌ならいいけど. 嫌かい?」

「嫌, ではないんですけど…」

「こんなにおとなしいのに? それともやっぱり"吸血鬼は怖い?"」

 先生がそういった瞬間ぐったりしていた彼女がのそっと顔を上げた.


 また目が合った.

 2つのガーネットには最初のときの覇気はない.

 代わりにそこにあったのは, 寂しさ, 怯え, 或いは悲哀. 弱りに弱った瞳だった.

 それは恐らく首輪のせいもあるだろう. しかしそれだけじゃない. もっと深い彼女の心の衰弱した部分が, その目には映し出されていた. そんな気がしたのだ.


 たまらなくなった私は声を荒らげて, 半分怒声のような声で叫んだ.

「嫌じゃないです!!! わかりました! この子は私が預かります! 先生は早く朝ごはん作ってください!」


 先生はにっこり笑って,

「ハハ, さすがウルカだ. しっかり洗ってやれ」


 最初見たときより小さくなった気がする彼女の細い腕を取って肩を貸し, 病人を看病するように, ゆっくりと歩きだす.

 彼女は驚くほど軽かった.

 ぐったりと項垂れた彼女の顔はこの位置からじゃ見れないけれど, さっきみたいな, あんな顔はしていてほしくないなと思った.


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