第5話 宇宙人から地球人へ

翌朝、一晩中抱いて生暖かくなった剣をクローゼットにしまい、夏休みの補習へ向かった。行きの電車の中、呪いの恐怖から一転して不思議な夢を見たことをヒメにメールしようか迷ったが、心配をかけまいと思いとどまった。

それにしても地球図書館という考え方は面白かった。記憶の図書館にいつでも行くことができたら受験勉強など不要だ。次に同じ夢を見たら、雪女に地球の記憶を与えてくれと頼んでみようと考えた。

学校に着き教室に入るとヒロトが僕の方を見て待ち構えていた。


「昨日は大変だったな、生きててよかったよ。あはは」


 昨日の僕とヒメとのやり取りを見て心配しているかと思いきや、ヒロトはニヤニヤと笑っていた。


「夜中にあんな怖いメッセージが来て、呪い殺されるかと思った」

「よかったな無事で。あはは」

「ていうか、そのあと変な夢を見たんだよ。宇宙人が地球に来て人間になる夢」

「まじか、やっぱ呪われたんじゃないの? あはは!」

「笑い事じゃないよ……」


僕は思い切ってヒロトに夢の詳細を話そうと思ったが、馬鹿にされそうだったのでやめた。

補習が終わって下校し潮騒駅に着くと雨が降り始めてきた。この分だと明日はいよいよ台風が接近するだろうから、楽しみにしていた勉強会も中止確定だ。

食事を済ませて風呂に入り、部屋に戻ると昨日と同じように剣を持ち込んでベッドに寝ころんだ。一生この得体のしれない剣を抱えて眠らなければならないと思ったら先が思いやられた。

しかし昨日の夢から察するに、呪いの剣とも思えなかった。とはいえ、もしも剣を適当に扱ったりしたら、大学受験に失敗して、ミヒロとの関係も終わってしまうかもしれない。バカらしいと思いながらも万が一のことも考慮し、再び剣を大切に抱えながら眠りについた。


夢の中。再び月の辺りから地球を見ていた。付近には昨日見た四人の宇宙人たちの宇宙船が停泊しており、これは昨日の続きを見ているのだと気が付いた。

昨夜、雪女への苛立ちで興奮して夢から覚めてしまった自らの失態を反省し、今日は何が起こっても冷静になろうと決意した。そして、あわよくば地球の記憶を得る方法を雪女から聞き出して受験勉強を楽に済まそうと企んだ。

その時、宇宙船から通り抜けるように司令官サノロスの意識体が現れて月の方向へ向かった。彼はこの宇宙人たちのボスとして、代表して自ら地球へ人間として転生するのだ。

すると、青白い光を放ちながらすっと雪女が現れた。


「見てください。サノロスが初めて人間になる瞬間です」


サノロスは月の極部分に向かって進み、その辺りにユラユラと漂うオーロラの中に入っていった。鮮やかに輝く赤と緑のオーロラは奥へ行くほど濃くなり、その中から地球の営業マンが現れ、サノロスは彼に準備が整ったことを告げた。


「人間になることに合意した」

「毎度ありがとうございます。人間になってからやりたいことはありますか? 」

「地球が長期滞在に適した場所か確認したい」

「確認することがあなたの人間になる目的ですね、了解しました。楽勝ですよ、お客さん。本当にそれだけでいいのですか?」

「ほかに何かあるのか?」


上機嫌の営業マンは、サノロスにオプションプランを提示した。


「滞在する場所の環境を選ぶことができますよ。今の地球はリセット後の閑散期で人間も少なく、選択の幅が広いですから」

「そうか、では滞在期間は一万年ほど。必需品が容易に入手できる安全な環境を望む。仲間たちもあとから呼ばねばならないからだ」


営業マンは困ったような顔をしてサノロスに言った。


「お客さん、説明書を見ましたよね? 人間の有効期限はせいぜい百年。寿命が尽きたらまたここに戻ってきて都度、契約更新をしてもらいます。一万年であれば、百回ほどの更新が必要です。百回ですよ、忘れないように」

「あぁ、そうだったな、理解した」

「でも運が良かったですね、お客さん。今はリセット後の閑散期ですから選び放題です。とても安全な環境をあなたに提供できますよ」

「了解した」


地球の営業マンが度々口にする『リセット後の閑散期』の意味が僕にはよくわからなかったが、なんとなく人類の文明が始まったばかりというニュアンスに取れた。

サノロスは月の先にある地球を指さして営業マンに言った。


「私がうまくいったら、後で仲間も一緒に連れていきたいんだ」

「もちろんですよ。百年後、つまり次の更新の時には寄り道せずに必ずここまで戻ってきてくださいね。そして、仲間を呼び出せばよいのです」

「了解した」

「たまに戻ってこない人がいますからね、困ったものですが……」


サノロスは安心した面持ちで次の指示を待った。


「それでは、これから最終の注意事項を伝えますから、同意できたら教えてください」

「了解した」


営業マンがサノロスの方へ手を差し伸べると、手のひらから青白く光る最終合意書が忽然と浮かび上がった。合意書はサノロスの方にすうっと流れていき、サノロスはそれを読んで納得した表情を浮かべた。

その時だった、補佐役のマテラスからテレパシーで横やりが入った。


「最終合意書に予期しないリスクを発見しました。サノロス、いったん中断してください」


マテラスは慌てているようだったが、サノロスは冷静だった。


「注意事項はすべて理解した。まずは自分一人だけの探索だから問題はない。宇宙船から私を監視し必要なら支援をしてほしい」


サノロスはそう答えたが、マテラスは納得していなかった。


「支援はあなたの意志があればいつでも可能です。しかし、あなたが我々の支援を拒否するリスクが潜んでいる。あなたは記憶を失う」


サノロスはまたしても冷静だった。


「確かに注意事項によれば、地球で人間になる時は一時的に過去の記憶を失うが、それは承知の上。記憶がない間、私が君たちを拒否するリスクはゼロではないが、百年後に人間の肉体を失えばまたここに戻り記憶を回復する」


マテラスは語気を強めた。


「記憶を失うことで、あなたはサノロスでなくなるのです。つまり、人間を終えた後、ここへ戻って来た後も、あなたが我々を拒否するリスクがある。記憶を完全に失うリスクがあるのです」

「記憶、アイデンティティというものは失われる類のものではない」


サノロスは何度も否定したが、それでもマテラスは食い下がった。


「地球には不確定要素が多く、リスクは五十%と出ています」

「五十%だって? 私の計算ではリスクはもっと低いと出ているが、なぜ食い違うのだ。君のリスク計算に誤りがあるのではないか? 私の決断にいまだかつて誤りはなかった」


二人はもめているようだったが、すべての決定権は司令官のサノロスにあり、マテラスが最終的に折れたようだ。


「わかりました、でも念のためナグラスロッドを地表に設置します。リスクが生じたら、地上に設置されたそれを利用してください」

「了解した、恐らく利用するに及ばないが、それは良い手段だ」


サノロスは、マテラスが地球に設置したナグラスロッドの近くに出生させるよう求めた。地球の営業マンは首をひねった。


「それは構いませんが、地球を外から操作しようとしても無駄ですからね。防御システムが働いて無駄に終わることに注意してください。地球はあくまで地球人の意志で運用されるのがルールですからね」


それにしても、地球に人間として生まれると一時的に記憶を失ってしまうというのは驚きだ。僕が感心していると雪女が記憶について補足した。


「記憶を完全に失うことはありません。しかし、人間体験の記憶はインパクトが非常に大きく、容易に過去の記憶を隠蔽します。つまり記憶障害に似た状態を引き起こします。サノロスは何のために地球に来たのか最初の目的を忘れ、地球という物質的時空間で物質的快楽のみを求め、永遠に仲間のもとへ帰らないリスクがあったのです」


急にサノロスのことが心配になり宇宙船を見ると、宇宙船の底面から小さな金属片が出てきて、それが地球のある地点に落ちた。あれがナグラスロッドというものだろうか。


「記憶を失ったサノロスは宇宙船の存在を忘れてしまいます。しかし、先ほど宇宙船から放出され、地表に設置されたナグラスロッドにサノロスが触れる事で、宇宙船にいる彼らとコミュニケーションを取ることができるのです」


なるほど、ナグラスロッドは宇宙との携帯電話みたいなものだ。


「そのとおりです。しかし、問題はあります。サノロスが地球に降り立った時には既にナグラスロッドのことを忘れています。仮にナグラスロッドが自分のすぐ近くにあっても探しだせない可能性もあれば、それを使いこなせない可能性さえもあるのです」


「だろうね、難易度が高すぎるよ」


「ただし、地球にエントリーする際、どのような人間体験をするか初期設定をすることが可能です。その時に、ナグラスロッドを必ず手にする人生となるように設定すればリスクは軽減されます。実際に、サノロスはナグラスロッドを一度は手にするでしょう」


僕はこの話に欠陥があることに気が付いてしまった。なぜなら、もしも僕が同じ立場だとして、自分の人生のシナリオを決めて地球に生まれたのなら、こんなに受験勉強に苦労することはなかっただろうからだ。むしろ、受験で苦労しないほど超のつく秀才に設定したに違いない。そして、少なくとも人並みに泳げるように初期設定しただろう。


「私の話に欠陥はありません」


雪女はクールに否定してきた。


「ふーん、それなら以前言ってた『地球の記憶』の使い方を教えてくださいよ。そうすれば受験の時にラクできるし」

「地球の記憶を利用して受験に利用することは可能です」

「そ、そうなんですか、ぜひそれをしたいです! それはどうしたらできますか?」

「しかし、あなたは人間になるときにそれを求めなかった。自ら求めてないことはできないのです」


毎度いちいち雪女はイラっとくる話をぶち込んでくる。生まれる前のことなんてわかるわけがないのだ。


「オレは受験で合格することを本気で求めています。なぜ他人のあなたが求めてないと断言できるんですか?」


僕の不機嫌な問いかけに対して雪女は淡々と冷静に答えた。


「あなたは自分自身の真実を忘れているのです。しかし、逆説的ですが、あなたは生まれる前のことを知らなくても良いのです。あなたは最終列車に乗っているのです。列車を降りた時、私の言葉が真実だとわかるでしょう。そして、それはうまく行きつつあるのです」


雪女の言葉は曖昧過ぎて何を言ってるのかわからなかった。再びイライラが始まった。

その時だった、地球の営業マンが渡した青白く光る幻影の最終合意書がサノロスの体の中にすっと浸透した。するとサノロスの意識体は月のエントランスゲートから地球に飛び込んだ。月から一筋の細い光が地球に伸びて、そして消えていった。サノロスが人間になった瞬間だ。


僕は自分の部屋で寝ていた。また怒りで興奮して目が覚めてしまったようだ。時計を見ると、まだ夜の十一時を少し回っただけで、部屋の電気もつけっぱなしの状態だった。



あれから二度寝し、朝になって目が覚めると大きな風の音がしていた。台風がすぐそこまで来ているようだった。ふとスマホを見ると、ヒロトからグループチャットにメッセージが入っていた。


『やっぱり台風直撃だね! 今日の勉強会は中止にしよう』


わかってはいたがガックリときた。調べると電車も止まっているようで学校にも行けなかった。しかし、よく考えたら来週に延期しなくても、台風が過ぎた翌日に勉強会を延期すればいいだけのことだ。一連の宇宙人の夢も気になるし、ヒメと早めに相談したいと思い、僕は全員宛にメッセージを送った。


『中止じゃなくて明日に延期しない?

模試も近いし、実は少し話したいこともあるし、みんな予定どうかな?』


早速ヒロトから返信が来た。


『台風が過ぎれば大丈夫だよ』


次に少し時間をおいてヒメから返信が来た。


『私は大丈夫だけど、ミヒロはどう?』


それから四時間ほど過ぎただろうか、ミヒロからは昼過ぎにやっと返信があった。


『ごめんごめん、家の手伝いとか色々あって勉強どころじゃなかった

補習もあれからずっとサボっちゃったし、そろそろ頑張らないとね

今日は徹夜で受験勉強でもしようかなー』


返信はあったが、勉強会へ参加するとは書かれてなかった。家の手伝いについても気になった。国会議員の娘ともなれば高校生とはいえそれなりに忙しいのだろうか。


『ミヒロちゃんお疲れ様―、無理しないでいいからねー』


僕は当たり障りない労いの言葉を送ってみたが、ミヒロからはさっぱり返事はなかった。


その日の夜、予報通り台風は関東地方に最接近し暴風雨が激しくなった。外でバリっと大きな音がしたので物置が壊れたか、何かが飛んできて家屋の外壁にあたったのだろう。

僕は夕食を終え、ゴウゴウという台風の唸り声を聞きながらゆっくりと風呂に浸かった。そしてミヒロに送ったメッセージに返信がないことを気にしていた。『無理しないでいいからね』などと書いたら『ミヒロちゃんは来なくていいよ』って誤解されてないだろうかと不安になったのだ。


(あぁ、どうして自分はこんなに心配性なのだろう)


我ながら自分の性格に嫌気がさした。

風呂から上がると、両親がテレビを見ながら二人でだらだらと晩酌をしていた。明日は台風の後始末のため店を閉めるので、二人で夜をゆっくりとすごすつもりだったようだ。その時、テレビを見ていた父親が風呂上がりの僕に気がつき、目線だけ僕に向けて言った。


「首相が電撃辞任だってさ」

「へー、そうなんだ」


僕は気のない返事をした。


「総理大臣がコロコロ変わって大丈夫かねこの国は。都合が悪くなるとすぐ辞めて、何の責任も取らないからなあ」


いつもなら政治に興味のない僕は父の政治批評など右から左へ聞き流すところだが今回は違った。政治家の悪口がなぜかミヒロへの悪口に聞こえて、何か一言返さなければ気が済まなくなったのだ。


「辞任するってことは、責任を取ったということじゃないの?」

「えっ?」


父親は予期せぬ僕の返事に目を丸くしていたが特に返答はなかった。僕はそそくさと自分の部屋に戻り眠りについた。


次の日、目を覚ましてカーテンを開けると、台風はすっかり通り過ぎ、雲一つなく晴れた空に夏の太陽が顔を出していた。しかし庭はめちゃくちゃだった。野菜の苗は倒れ、青々とした木々の葉っぱと小枝が庭のあちこちに散らばり、物置は傾いて中にしまっていたものが散乱していた。これだけ台風が大型化して被害も大きくなると、我が家のようなボロ古民家が倒壊するのも時間の問題だ。


さて、学校に行く支度をしようと思った時だった、重大なミスを犯したことに気が付いた。台風と勉強会のことで頭がいっぱいになり、剣をクローゼットにしまったまま寝てしまったのだ。あわててクローゼットを開けて剣を取り出したが、とくになにも変化はないようだった。

しかし気が付いた。昨日まで見ていた不思議な夢を今日は見なかったのだ。やはりこの剣が夢を見せていたのだと思ったら、朝っぱらからゾクゾクっと鳥肌が立った。何か悪いことが起こらなければよいが、そんな今日に限って勉強会の日だ。


その日は午前中に学校で補修を受けて、午後からヒロトと区立図書館へ向かった。図書館に着くと、ヒメだけが先に来ていて広い自習室の長机に座っていた。台風の翌日だったからか、自習室はパラパラとしか人がいなかった。ヒメは僕たちに気が付いて手招きをした。


「ヒメちゃん、台風すごかったねー」

「そうだね、わたし風の音がうるさくて眠れなかったー」


ヒロトがヒメと話している間、ミヒロがまだ来ていないことが気になっていた。


「校庭の木も折れてたし、今回は後片付けが大変そうだよね」

「そうだよね。あ……、そうそう、ミヒロは今日は来れないみたい」


(これだ! )


早速、剣の呪いが発動した。ミヒロのいない勉強会ほど張り合いのないものはない。そういえば昨夜のメッセージで徹夜で勉強すると書かれていたからそのせいだろうか。


「あー、そういえば総理大臣が辞任発表したしね、彼女もいろいろあるかもねー」


ヒロトがそう言った時、これが呪いの本編だと悟った。昨日の夜、父親から首相辞任のニュースを知らされた時に全く気が付かなかったが、次期総理候補ともいわれる親を持ったミヒロは、まさにその当事者側にいたのだ。電撃辞任とはいえ以前から情報が入っていただろうし、娘とはいえ親が政局の渦中にいれば勉強にだって手が付かないだろう。家の手伝いというのは僕たち向けの口実で、本当は心労など色々とあったのだろうと今になって気が付いた。僕はつくづく鈍感な自分が嫌いになった。


「オレ、昨日の夜『無理しないでね』なんて送っちゃって、無神経だったよね。もっと親身に相談に乗ってあげるべきだったかな」


僕が深刻そうな顔でそう言うと、ヒメが大笑いしながら言った。


「あはは、ダイスケ君気にしすぎだよー。それにあの子、細かいこと気にしないタイプだからねー」

「そうかなあ……」

「彼女、メンタル強いし、いやなことはすぐ忘れるタイプだしねー」

「でも……」

「見た目は愛想いい子でしょー、でも割とクールだしー、そこはやっぱり政治家の娘なのよねー」


今までミヒロの笑顔にまるで身内のような親しみと、いつも自分のことを心配してくれているような気遣いを感じていた。でもそれは政治家の娘としての愛想だったのだろうか。僕にだけ特別な笑顔を見せているわけがない事はわかっていたが複雑な心境だった。


夕方の四時を過ぎて勉強会が終わった。充実した時間ではあったが、ミヒロの不在と、昨夜の軽はずみなメッセージのことが気になって気分が暗いままだった。三人で図書館を後にして駅前で二人と別れる直前、ヒメが僕に言った。


「そうそう、気にしてるならミヒロに何か声でもかけてあげてよ。きっと喜ぶと思うよー」

「え? オレが?」

「かなり受験勉強遅れてるみたいだし、不安みたいだからねー」

「そ、そうだね、応援してあげないとね!」


ヒメは僕のどんよりと曇りきった心の内が透けて見えていたかのようだった。きっとヒメが声をかけろと言うなら、そうしたほうが良いのだろうと思ったが、なかなか気力が湧かなかった。

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