第2話 ひとめぼれ

資料館から管理棟に通じるドアには『関係者以外立入禁止』と書かれていた。ドアを開けた先には、さらに各研究室へのドアがいくつか並んでおり、一番手前にあるドアを開けると、ヒロトのお父さんが背中を向けてパソコンを操作をしていた。彼は手を止めて振り返り、僕を歓迎した。


「やあ、よく来てくれたね」

「お忙しいところすみません。お邪魔します……」

「いや、いいんだよ、若い人に興味を持ってもらうことも我々の大事な仕事だからね。キミみたいな若者が次の歴史学会を担っていくんだよ、楽しみだ。わっはっは」


ヒロトのお父さんの言葉を聞いて、歴史学会を担うほどの野心などまったく持ち合わせていないことに申し訳なさを感じた。確かに歴史が好きなこともあり文学部を志望していたが、就職のことを考えれば法律も捨てがたいと進路を迷っていた。おまけに進路指導の先生から医学部も目指せる成績だと褒められたこともあり、春から医学部も視野に入れて猛勉強を始めていたのだ。


さて、僕たち三人は管理棟の裏口を出て、現在発掘中の現場に向かった。これまで荒吐王朝は弥生時代初期に存在したとされていたが、最近の発掘で、さらに古い縄文時代から存在したという説も有力となっていた。要するに地球最古の文明ではないかと指摘する研究者もいたのだ。

立ち入り禁止のロープを超えると、発掘調査員たちが少しづつ丁寧に土を崩してしている様子が見えた。彼らの傍に置いてあった土器や埴輪、土偶のかけらに刻まれた模様に親しみと懐かしさを覚え、しばし目が釘付けとなった。


「ダイスケくんだっけ? 発掘現場にはアルバイトさんもいらっしゃるんだよ。もしも興味と時間があればキミもアルバイトで発掘を手伝ってもらってもいいんだよ」


興味津々の僕を見て、ヒロトのお父さんはそう言ってくれたが、正直なところ、このような地味な作業自体には興味が持てなかった。もちろん、このような作業が歴史ドラマを作り出すのであり、時に歴史の再編成にもつながることもわかっていた。でも僕が興味があったのは歴史を作り出した人々の方法論や人間ドラマだったのだ。


「ありがとうございます。でも、受験勉強もあるからな……」

「おぉ、そうか、その前に受験勉強が優先だったな、まずはうちの大学に入ってもらうことが優先だからなぁ。あっはっは」


ヒロトがたまらず口をはさんだ。


「父さん、ダイスケはまだ首都大を受けるって決まってないよ、医学部に行くかもしれないだろ?」

「おう、そうか、てっきり二人で首都大の研究室に来てくれると思ってたよ。あっはっは」


正直なところ自分の進路については明確に決まっていたわけではなかったので、ヒロトにそう言われて複雑な気持ちになった。


その時、遠くから地鳴りのような大きなゴォッという音が近づいてきて足元がガクンと落ちた。急激な縦揺れの直後、発掘現場にいる人たちのスマホから緊急地震速報が一斉に鳴り響いた。僕たち三人と周辺で発掘調査をしていた人たちは驚いて固まって動けなくなった。揺れは割と長い間続いたが、徐々に揺れがおさまると皆のこわばった表情は元に戻り辺りは平静を取り戻した。

ヒロトのお父さんがスーツの胸ポケットからスマホを取り出した。


「津波が発生したみたいだな、最大五十センチを観測だそうだ。五十センチの津波でも気を付けないといけないよ。この古代遺跡も津波で何度も破壊された形跡があるからね」


今回の地震は今まで僕が経験した地震の中で最も大きなものだった。家の外にいてここまで揺れを感じるとすれば相当大きな震度を記録したに違いない。揺れはおさまっているのだが、まだ足元がユラユラと揺れているような感覚が続いて心臓の鼓動は早いままだった。

ヒロトが興奮気味にスマホを取り出した。


「最近では一番大きいんじゃない? 速報で震度六強だ。揺れ方からすると海溝型というより直下型地震かな。ヤバい地震だったなあ」


ヒロトが満面の笑みを浮かべていたのが気になったが、確かに僕もこの地震は直観的にヤバイと思った。


「最近気味が悪いよね、気候もおかしいし、そろそろ大きな地震がドカンとくるんじゃないかな?」


僕が心配そうに言うと、ヒロトのお父さんがヒロト同様に笑顔で楽しそうに解説を始めた。


「歴史を振り返れば、確かに大きな地震が起こるときには異常気象で不作が起こったり、伝染病が流行ったりするね。社会不安が起こって戦争も同時に起こったりすることもある。悪いことは重なるというけど、これは地球のサイクルなのかもしれないね」


割と大きな地震だったが、ヒロトたち親子が笑顔で分析を始めたことに僕は違和感を覚えた。研究者という生き物は災害さえも研究対象であり、それを考えると怖いもの知らずでなければやっていけない職業なのだろう。少なくとも怖いものには係わりたく自分には研究者の道は向いてないような気がした。


「でも大丈夫、今は昔と違うからね、人類は自ら滅びるほど愚かではない。君たちは周りを気にせず、しっかり受験勉強して私の大学に来ればいいんだ。あっはっは!」


人類が滅ぶ、そう聞いて夢で見た雪女を思い出した。彼女の言っていた『最終列車』とは、人類の破滅を意味するのではないだろうか。



中高一貫の六年間を振り返ると長いようで短かかった。最後の年、大学受験を間近に控え、帰宅後に五時間ほどを受験勉強に費やすようになっていた。僕は根が心配症のようで、多くの行動は未来の不安に突き動かされていた。

その不安と恐怖を払しょくするために毎日帰宅後に遊びもせずに机に向かったが、さすがに疲労がたまってきて、それはヒロトの目からも明らかだったようだ。


「ダイスケは周りを気にしすぎるところがあるんだよ。結果として自分の首を絞めてる」

「そうかな? 」

「自分のやりたいことができる大学を目指せばいいのに、周りの期待する大学を目指そうとしてる」

「確かにそうだけど、先生から医学部も狙えるレベルだなんて言われたら、その気になっちゃうよ」

「でも、その分レベルも上がるし勉強する科目も増えるし大変だよ。歴史が好きならオレと一緒に首都大の文学部歴史科目指そうぜ。首都大もかなり難関だけど医学部よりは簡単だ」

「……」

「やりたいことができる大学一本に絞れば勉強のモチベーションや効率も上がるから疲れも溜まらないよ」

「それはわかるけど、正直な話、自分のやりたいことが漠然としてて、まだ何も見つかってないから大学を絞れないんだよ……」


未来の自分の職業、ビジョンが見えないのなら、取り合えず今の偏差値で合格できる大学を受けようと思うのは自然だし、どうせ受けるなら自分の実力よりも少し上の大学を狙おうと思うのが受験生のプライドだ。そして、それがたまたま春先に進路指導の先生にそそのかされた医学部だっただけだと考えると、医学部を目指すことは自然かつ必然的な着地点だったのだ。


ある日、僕は不合格への不安から毎日の受験勉強を六時間に増やした。睡眠時間を削って頑張れるのは若いうちだけだと先生から言われて再びその気になったのだ。

ところがしばらくして、無理がたたったのか風邪をひいて発熱してしまった。帰宅して机に向かっても頭が重くて集中できなかった。熱を測ったら三十九度ほどあり、さすがに寝なければ体がもたなかった。たまには受験のことを考えずに丸一日寝てゆっくりしようとあきらめの境地に達し、そそくさとベッドに潜り込んで眠りに落ちた時だった。


「時空間から完全に心身が解放された時、あなたの周波数は原初の状態に近づくのです」


辺りを青白い光で照らしながら、聞き覚えのある冷淡な女の声が聞こえ始めた。気のせいか僕は冬の雪山にいるような錯覚を覚えた。


「あなたが今悩み苦しむのは、これまでの転生で積み重ねた壁を壊すプロセスでもあり、それを一気に壊す時が今なのです」


夢の中に再び雪女が現れたのだ。その声は風雪のごとく冷たく淡々としており、一切の感情の起伏を感じなかった。しかし風邪で弱っていたせいだろうか、前回のように無自覚な怒りの感情が湧いて出ることもなく、ただ雪女の言葉を受け身で聞いている自分がいた。


「壁を壊すことで、時空間の思考から解放されるのです。それが最終列車のターミナル(終着駅)です」


前回の夢と異なる点に気が付いた。それは最終列車の意味を理解し納得していたことだ。夢の中で冷静でいれば冷静な分だけ過去の記憶が蘇る気がした。


「今回が最後なのは最初からわかっていたんだ……」

「よい調子です。思い出してきましたね」


続きが気になるところで朝になり目が覚めた。目を覚ましてもまだ熱っぽかったため、夢の内容を考察する気力はなかった。その日、学校を休むことを母に伝え、駅前のクリニックまで車で送ってもらった。風邪薬をもらうと再び母の運転する車に乗り家まで向かったのだが、その車中、つい母に愚痴ってしまった。


「受験勉強ってキツイね、毎日が悩みの連続。そろそろ疲れてきたよ」

「風邪ひいた時くらいテレビでも見てすごしなさいよ」

「そんな気持ちの余裕があれば苦労しないって」


こうして親と進路について話すと少し気が楽になるのだが、根本的な解決に至らないことはわかっていた。


「これはお母さんの考えだけどね。まずは一流の大学に入って一流企業に就職して、とりあえず、それなりの生活が保障されるところまで進むの。それでも『違うな』と思ったら方向転換してみたらいいんじゃない? 受験は今しかできないんだから」

「ふーん……」

「結局人間って、大人になってそれなりに良い生活を手に入れちゃうと、『やっぱり違う生き方がしたい』なんて思うどころか、そこで満足しちゃうものなの」

「ふーん……」

「逆に子供のころ勉強をサボって、大人になってから苦労した人は『どうして子供の頃にもっと頑張らなかったんだろう』って後悔するのよ。そういう人たちこそ大人になってからもずっと『何か違う』って死ぬまで言い続けるものなのよ」


親の言うことは僕にとって当たり前のことばかりであった。当たり前すぎてちっとも心に響かないのだった。でも一つ引っ掛かることがあったので聞いてみた。


「じゃあ、母さんたちはどうして会社を辞めたの? 一流企業だったんでしょ?」

「私たちは『何か違う』って思ったから会社を辞めたわけじゃないの。結婚する前にお父さんと二人でこの町にサーフィンに来たらね、海辺のカフェの軽食の美味しくないこと! でも、あの辺りは他にお店がないからサーファーたちは仕方なくそこに行くしかなかったわけよ。どれくらいのサーファーがいて、周辺にいくつお店があって、客単価はどれくらいでって計算したら、自分たちだったらもっとうまくできると思ったの」

「へー、すごいね、商売人だね」


それもそのはずで両親は大手ファミレスチェーンの本部社員、つまり出店と店舗経営のプロだったのだ。

両親は共通の趣味であるサーフィンで意気投合し、週末になると海に近いこの田舎町にサーフィンをしにやってきたそうだ。そして結婚を機に会社を辞め、この町に引っ越し、海沿いに小さなカフェを開いた。

ところが、僕が生まれて一年後、百年に一度といわれる大地震が起こり、巨大な津波が町を襲った。両親は幼い僕を抱き抱えて高台に避難したが、海沿いのカフェは津波に流されて跡形もなくなってしまった。

家を失った両親は、海から離れた場所に空き家だった山の麓の古民家を手に入れ、そこが僕たちの新たな住処となった。そこで再びカフェを始めた両親は、都会から癒しを求めにやってくる観光客をターゲットに再び店を繁盛させたのだ。

ちなみに海辺のサーファーズカフェに続き、今住んでる山のオーガニックカフェも、その経営手腕でどちらもサラリーマン時代の収入をはるかに上回ったそうで、どうりで学費の高い都会の私立学校に、単なる田舎カフェ経営者の息子である僕が通えるわけだ。


「だから私たちはダイスケが小さいころから勉強をさせたの。今はつらくて大変だろうけど、あとからきっと生きてくるからね」

「……」


僕は言葉が出なかった。

母の言葉も、その真意も分かっていたつもりだった。国語や数学がビジネスに役立つと思えないし、あくまで大学に入るための一時的なゲームだということもわかっていた。でも、そのゲームをまったく楽しめないから困っていたのだ。この『今辛い気持ち』はどうやって解消させるのかの答えがほしかったのだ。辛さを我慢すればその先にバラ色の未来が待ってるのはわかるが、我慢の限界ラインは人それぞれ異なるものだ。そして今が僕には限界だった。



次の日学校に行くとヒロトが心配そうに声をかけてきた。


「もしかして昨日は風邪ひいちゃった? 勉強のし過ぎじゃん?」

「うん、そうかもしれない、実はけっこう疲れてる……」

「だろうな、目の下にクマができてるし……。そろそろ考えを改める時期だと思うけど、自分ではどう思ってる? ていうか、そもそも本当に医者になりたい? 自分が医者になった姿をイメージしてみろよ」


ヒロトにそう言われて、未来の僕が患者を診察するイメージを軽く頭に浮かべてみた。


「うーん……、確かに医者の仕事って、あんまし楽しそうじゃないよな」

「そうだろ? そこだよ、そこ! 成績がいいから医者を目指すって、よく考えると進学校にありがちな謎の法則だと思わない? どうして日本の優秀な若者はみんな医者を目指す必要があるかって話。優秀だからこそ、日本の本当の歴史を研究するべきなんだ」


今まで気が付かなかったが、確かに成績が良い生徒に対して先生たちは医学部を目指せと言いがちだ。ヒロトはいつも僕に新しいものの見方を提示してくれた。そしてその新たな視点は勇気へと変わり、僕の次の行動の原動力となった。プールの時もそうだった、僕の子供のような稚拙な発想、狭い世界での一方向的なものの見方を改めてくれた。


「そもそも学校の医学部合格実績を上げて生徒を集める材料として使いたいんだよ。先生だって自分の評価が大事なんだよ」

「だよな、今日から医学部目指すのやめるわ」

「よし、ダイスケも首都大決定な、あはは」


肩の荷がすっと降りた。これでもう最難関の医学部を目指さなくてもいいのだ。ヒロトと同じ首都大の文学部なら、このまま行けば余裕で受かるだろう。


授業が終わり、足取り軽くヒロトと途中まで一緒に雑談をしながら歩いた。しばし無言になったとき、僕の心配性がまたしても顔を出した。ヒロトは研究者になるかもしれないけど、自分は研究者肌ではないし、卒業までに自分なりの進路を考えなければならないだろう。文学部の就職実績はいかほどか、やはり公務員試験も視野に、法学部で法律を学んだ方が就職に直接役に立つのではないだろうか。


(また始まってしまった……、心配性の僕がまた現れた)


なぜいつも一つの大きな悩みが消えると、また新たな大きな悩みが生まれるのだろうか。これからの人生、永遠に尽きない悩みとともに生きるのだろうか。

来週から夏休みだというのに、とめどなく押し寄せる未来の不安でウンザリとして、早くも前向きな気持ちが萎えていた。大人たちが言う『人生は悩みの連続だ』というセリフが事実だったら、世の中の人間たちは何のために生きるのだろうか。どこからともなく湧いて出た暗雲が再び目の前を覆ったその時、雲の隙間から明るい陽ざしがのぞいた。背後から見知らぬ女性が僕らに声をかけたのだ。


「すみませーん」


振り向くと同じ学校の制服を着た女子二人が笑顔でこちらを見ていた。

僕の通っていた学校は共学だったが、クラス編成や授業は男女別々だったため女子との交流はほとんどなかった。彼女たちとは今まで話したこともなければ、学校ですれ違ったことがあるかさえ記憶になかった。二人とも清楚なお嬢様という第一印象だった。僕は思わぬ出来事に動揺して声も出せない状況だったが、ヒロトは女子との会話に慣れていたようだ。


「あの、この前、古墳公園の発掘現場にいましたよね? 」

「うん、確かにそこにいたけど、どうして知ってるの? 」

「私たちも興味があって、たまたま遠くから見てたんだけど。そこで見かけた人たちが同じ学校の人だって気が付いて声を掛けました……」


女子二人は顔を見合わせ、少し照れながらも含みのある表情を浮かべた。


「そうなんだ、でも、遺跡に興味があるって珍しいね」

「わたしたち、いちおう歴史女子なんで。それにあの遺跡はパワースポットだったりするんで。ふふふっ」

「ということは、遺跡の発掘現場が見たいとか、そういうこと? 」

「はい、私たちも見学したいなって思って、お声をかけさせていただきました! 」


こんなにかわいらしい笑顔の女子が歴史、そして、パワースポットだなんて、そのギャップが埋まらず理解もできなかったが、これを機に彼女らとお近づきになれるなら悪くないと思った。


「ちょっとコネがあって、あの遺跡は顔パスなんだ。よかったら明後日の土曜日に一緒にいってみる?」

「ほんと、すごーい! 行く行くー! うれしいー! 」


目の前の暗雲は綺麗さっぱり消え去り、二人は太陽のように僕の心を晴らした。受験勉強ばかりで息の詰まる生活が続いていたが、神様は存在してちゃんとバランスをとってくれていたのだ。僕たち四人はそれぞれアドレスを交換して駅前で別れた。

本名なのか、あだ名なのかわからないが、『ミヒロ』と『ヒメ』と名前を紹介された。とにかく僕はミヒロの笑顔が気になって仕方がなかった。まさに一目惚れだった。

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