番外編 テレサ・マイナと淫蜜の部屋

     1


「はぁぁぁ」


 マイナ家の四女テレサ・マイナは、大きなため息をついていた。

 王立ライプニッツ高等魔法学院。

 これからテレサが三年間を過ごすことになる学び舎。

 そこに彼女は『空飛ぶ馬車』で到着してからというもの――。

 否、その前から、彼女はろくな目にあっていなかった。


 最初の切欠は婚約の破棄。

 放逐に近い形での魔法学院への入学。

 ここまでならまだ耐えられた。

 プライドと志をもって耐えることが出来た。


 だが、その後も色々あったのだ。

 まずは、最も信頼していたメイド――アイリスが変態だということが判明した。

 彼女はテレサにこれまでよく尽くしてくれていた。

 だが、それも下心あってのもの。

 立場によっては、それは『真心』あるいは『忠義』とでも言えるのだろう。

 だが、それにしたってアイリスのそれは変質的過ぎた。


 溺愛とでもいうべきか、偏愛とでもいうべきか。

 一例をあげるなら、魔法学院に到着した直後――。


「ここが私たちの『愛の巣』ですね」

「何を言っているの!?」


 これが二人のやり取りである。

 だが、テレサの受難はまだまだ続いた。


 アイリスをいなしながら先に進んでいると、そこで元婚約者に遭遇してしまったのだ。

 アンダーウッド家の長男――ネク。

 彼が、降り口近くの椅子に座っていたのだ。

 何故か全身びしょ濡れの状態で。


 自分をこの状況に追いやった原因。

 そんなものに遭遇しても、無視すればいいと考えるのが普通だろう。

 だが、お嬢様はそうしなかった。

 彼女は、ネクに声をかけ、事情を聞き出した。

 それどころか、ネクに対して同情的な態度をとった。

 そのことにより、後で面倒ごとに巻き込まれることになるとは、思ってもみなかっただろう。


     2


 彼女の受難は、まだまだ続く。

 入学式において、新入生たちは『不死鳥』の魔法を使うことになる。

 テレサはその魔法を完璧に習得しており、精緻な文様の不死鳥を作り出していた。

 例年であれば、その姿を見た上級生たちがスカウトに来ることになる。

 だが――。


 今年は『異質』な存在がすべてを持って行った。

 ネクによって生み出された『漆黒の不死鳥』。

 悍ましい姿のそれが、講堂の中を暴れまわった。

 新入生たちの大半が混乱する中、テレサは努めて冷静でいた。


 そんな中、アイリスだけは興奮していた。

 その理由は勿論――。


(ビビってるお嬢様、超かわいい)


 テレサを見ていたからである。

 アイリスには、この騒動でテレサに危害を加えられることはないと分かっていた。

 故に、テレサを観察して愛でる作業に没頭することにしていたのだ。


 結局、その悍ましい存在はフィリスの斬撃によって破壊された。

 新入生たちが落ち着きを取り戻しつつある中、アイリスだけは興奮していた。

 そして――。


「お嬢様」

「な、なんですの?」

「ちびりました?」

「なんてことを!? この変態下女、なんてことを!?」

「お嬢様のパンティーを洗うのが楽しみです!」


 安定の変態発言である。

 これには、テレサも参ってしまった。

 もしかしたら、これまでのアイリスの言動には理由があるのではないか。

 彼女は道化を演じているだけではないのか。

 その可能性――ほんのわずかな希望が音を立てて崩れた瞬間だった。


「アイリス」

「はい?」

「今後、洗濯は自分でやりますわ」

「酷い!?」

「酷いのは貴方の存在ですわ!」

「存在が!?」


     3


 当然のことながら、召喚の儀においてもテレサとアイリスの間には一悶着あった。

 召喚魔方陣の説明を受け、アイリスは陽気な声でテレサに声をかける。


「お嬢様、使い魔ですよ! お嬢様はどういう使い魔が欲しいですか? 忠義に厚く、おはようからおやすみまでずっと側にいてくれる『ア』から始まる名前の使い魔なんていかがでしょうか?」

「私はサラマンドラの『ドラちゃん』と連れてきたから、必要ありませんわ」

「え……」

「何をがっかりしてますの?」


 テレサの肩には、いつの間にか赤いトカゲがいた。

 そのトカゲはテレサの首の周りを一周してから、肩に戻る。

 そして、アイリスと視線を交差させた。


「こ、この畜生、私のことを見下していますね!」

「畜生ではなく『ドラちゃん』ですわ」

「お嬢様! そんな、いざという時に役に立たなそうな名前の使い魔は捨てて、この私――忠臣アイリスを使い魔にしてください!」

「絶対に御断りですわ! そもそも、召喚の儀で人間が召喚されることはありえません」

「そうなんですか?」

「少なくとも前例はないはずです」


 前例がない。

 それは、十分な説得力を持つ言葉であるはずだった。

 だが、その程度ではアイリスには通用しない。


「成程。つまり、お嬢様の使い魔になるためには、人間をやめる必要があるということですね?」

「本気で言ってそうなところが気持ち悪いですわ!」

「勿論本気です! 魂でつながった特別な関係になれるのであれば、人間を止めることなど些事! その手段さえ知っていれば……」

「……知らないんですの?」

「残念ながら」

「助かりましたわ」


 テレサは胸をなでおろす。

 アイリスと魂レベルでつながるというのは、魂の危険を感じる。

 それだけは避けなければならない。


「かくなる上は、なんとしても私がお嬢様を召喚するしかありません!」

「いえ、ですから、先程も申しましたが、召喚の儀で人間が召喚されることは――」


 会場がざわついた。

 二人は、召喚を行っている男子生徒を見た。

 彼はネク・アンダーウッド。

 色々やらかしている人物。

 そして、テレサの元婚約者だ。


 召喚魔法陣を見たテレサは、顔を青くする。

 魔法陣の上には、幼い少女の姿があった。


「ほら、お嬢様! あの男、人間を召喚しましたよ!」

「な……」

「つまり、人間を使い魔にすることも可能だということです! ちなみに、何が使い魔となるかは、その魔術師の素質次第。つまり、お嬢様のことを世界で一番愛していて、四六時中お嬢様のことを考えているこの私が、お嬢様を召喚出来ないはずがないのです!」

「ああ、そう」


 こいつならやりかねない。

 魔術というのは、基本的に術者の精神に大きく依存する。

 そして、目の前にいるこの女――アイリスは異常な精神力を持っている。

 そのことをテレサは知っていた。

 現実的な危機感が今、彼女の中に生まれていた。


「いえ、でも、生徒以外が『召喚の儀』を行うのは許されないのでは――」

「許されます。お付きの使用人であれば許されるのです! そう、私はアイリスお嬢様のおかげで、アイリスお嬢様を私物化できるのです!」

「私物化!?」


 そして、とうとうその時はやってくる。

 アイリスの名前が呼ばれ、彼女は召喚魔方陣の前に立つ。

 そして、魔方陣に魔力を注ぎながら――。


「神アテナよ、我に半身となる存在を与え給え」


 既定の呪文を唱えた。

 アイリスの言葉に応じるように、魔法陣が光を放つ。


 テレサは、その光景に注目しつつも、周囲を警戒していた。

 仮に自分が召喚されるのだとしたら、何らかの魔術的事象が周囲で起きるはずだ。

 それを回避すれば、アイリスの使い魔になることは避けられる――かもしれない。


 だが、テレサの周囲では何も起きなかった。

 そうしているうちに、魔法陣の光もおさまった。

 テレサは胸をなでおろしながら、魔法陣の上に現れた生物をみやる。

 それは――。


「ネズミ?」


 テレサの口から声が漏れた。

 あれだけ大騒ぎして、結局はネズミ。

 心配していたのが馬鹿らしくなってしまう。


 アイリスは、ネズミを掌の上に乗せ、小走りでテレサの方へ向かってくる。

 そして、深く頭を下げた。


「申し訳ありません、お嬢様! このような駄使い魔を召喚してしまったのは、私のお嬢様に対する愛が足らなかったから! 今後、さらにこの愛を深め、必ずやお嬢様のご期待に沿ってみせます!」

「ほほほほ、ざまぁないですわね!」

「本当に、もうしわけありませんんんん!」


 心よりの謝罪。

 それに気をよくしたテレサは、何かがおかしいと思いながらも高笑いをした。

 だが、自分が召喚されるという事態から逃れられた安心感からか――。

 彼女の精神は弛緩しており、それ以上深く考えることはしなかった。


    4


 その日の夜になっても、お嬢様の受難は続いた。

 というよりは、半永久的に続くことになる。

 彼女が色々とあきらめ、アイリスを積極的に受け入れるようになるまでは。


 主人と使用人という立場から、テレサとアイリスは自ずと同じ班となっていた。

 班員の数は全部で三人。

 そのうち使用人を連れているのはテレサのみ。

 部屋割りも、当然のようにテレサとアイリスが同室ということになっていた。


「ひゃっほ~い! お嬢様と同室です!」

「随分と嬉しそうですわね……」

「当然です。マイナ家では、主人と使用人という立場でしたから、同じ部屋で眠るなんてことはあってはならなかったはずです。しかし、今は生徒と生徒。基本的には同じ立場であり、同じ部屋で眠っても問題ありません。合法です!」

「元から法で規制はされていないと思いますが、一つだけ聞かせてください」

「はい、どうぞ」

「どうして同衾しようとしていますの?」

「え?」


 ごく自然にテレサのベッドに侵入したアイリスは、不思議そうに首をかしげた。

 何故そんなことを言われているのか分からないといった様子だ。


「不思議な顔をしないでくださいません!?」

「だって、お嬢様は私の愛を受け入れてくれたじゃないですか!」

「いつ!? どこでですの!?」

「召喚の儀の時。私が、お嬢様を使い魔に出来ずに終わったふがいなさを、お嬢様は罵ってくださいました。つまり、お嬢様も私の使い魔になることを望まれていたはず!」

「そんなはずないでしょう!」

「しかし、周囲の方々はどう思ったでしょうか?」

「それは……」


 もしかしたら、誤解してしまった人もいるかもしれない。

 テレサはそう考え、少しだけ顔を青くした。


「さぁ、お嬢様。このまま流されてしまってください!」

「断じてお断りですわ!」


 なお、生徒たちの多くは二人の関係を一切誤解していない。

 偏執的なメイドとその主人。

 加害者と被害者。

 その程度の認識だ。


 そのことから、テレサはとあるあだ名をつけられることになるのだが――。

 それは少し先の話である。

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