第16集 四季を記憶し、おくる家

#


 春、原子核を縮小したケイ素にラベンダーの遺伝子を移植した内壁が貴方の吐息を吸い込み、緩やかに新鮮な酸素を吐き出す。これは家に住まう生命で、無機物の父と有機物の母を持つ私達の相棒だ。私はラベンダーよりヒノキが好みだから、母の遺伝子は組み換えさせてもらうね。貴方は裸になり壁から迫り出した箱……浴槽と呼称された物……に私と共に肩まで浸かる。白い粘性のある液体は酵母の花畑。発酵で産み出された熱が私たちに癒しを与え表皮の汚れを捕食する。私は手に船のおもちゃを持って忙しなく動き、波動運動は波エネルギーとなって家に蓄えられ、白い酵母は溢れて排水口へと流れていく。







 夏、白い液体は排水溝を通り抜け、私達が排泄した有機物を溜める地下タンクへ流れ込む。酵母は有機物を分解して外壁の内部を押し出されるように登る。登る時に酵母から水分が抜け気化するので、夏でも室内は冷んやりと涼しい。私が生物Ⅰの動画をタブレットで見ていると、貴方が私の部屋の天窓をノックして「本物も見て見ろ」と言う。天窓には青空の下、緑の蔦から下がった紅いトマトが見えている。私が屋上に上がると貴方は麦わら帽子を被っていて高価な水を一滴も無駄にしないように夏野菜にかけている。雨季に地下のタンクに蓄えた水を夏野菜にやるより、濾過して転売した方が儲かるだろうに。金儲けより貴方は野菜を作る方が良いみたいだ。トマトは私達の大好物だからね。







 秋、増えすぎたトマトで作られたトマトピューレを貴方は冷凍庫から取り出し、家中の輻射熱を吸収したコンロの上のフライパンに落とす。パスタと絡まり、キッチンの出窓に生えているバジルを摘んで落とす。食卓の上にはミネストローネ、トマトシャーベット、トマトジュースの誕生日ディナー。恥ずかしさで「トマトばっかりじゃん」と私は心にもない事を言い、貴方と喧嘩し部屋に閉じこもってしまう。今日で最後なのにね。部屋の中に貴方の携帯端末から送られたプレイリストとメッセージが表示される。「結婚おめでとう。この記録を持って新しい住まいでも元気にやりなさい」それは今まで私達がこの家で過ごした日々の記録。






#


 冬、杖をついた貴方は玄関の前で白い息を吐く。吐息の中のアミノ酸に含まれる遺伝子配列を察知して、家は開く。貴方が歩くと、床に埋め込んだ流動化した陽イオンと陰イオンが一斉に動き、エネルギーを生み出す。エネルギーは前世紀の蝋燭ほどの灯火、暖炉ほどの温もりとなり凍えた貴方を包む。灯火は十分に部屋を明るくはしなかったが、産み出された陰影は貴方の交感神経を鎮め膝の痛みも和らげる。「お帰りなさい」と貴方を愛した人達が言う。それはリビングのライトが覚えた記憶であり、投影されたフォログラム。共に過ごした日々はいつでも貴方が求める時に再現でき、貴方は今、ベッドの上でそれを見ている。







 貴方の死期には立ち会えなかったけれど、私は家の記録で貴方を知ることができた。「これがねおじいちゃんと私の記録。この端末に全ては記録されている。だからこれを持って貴方も元気でやるのよ。会いにきてくれてありがとう」私はそう言うと、ヒノキの香りを吸い込み、子が私の名前を呼ぶのを聞きながら目を閉じる。愛する子と死期を記録しおくる家に見守られながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る