第6話 005 東北ユーラシア支部廃墟ビル通気口
「同種はいつからいたのかしら?」
絵麻が自問するかのように声を漏らした。
この場にいる全員が目覚める前から同種は存在していたので、誰もその問いかけに答えようとはしなかった。
会話が途切れてしまったこともあり、割れた窓から外の様子を観察することにした。
すぐに、入り口のバリケードを突破しようとする同種の群れが視界に入る。
俺たちの身体の匂いを嗅ぎつけているのか、俺たちがビルに入ったのを目撃したせいなのかは不明だが、同種は大挙してビルの周辺を取り囲んでいた。
下界のどこにも俺たちの逃げ場がないことは明白だった。
さらに時折、家具が落ちる音や窓にヒビが入る音が響いてくる。
それから目算すると、バリケードが突破される、もしくは窓から侵入されるのも時間の問題のように思えた。
また、DMZ東北ユーラシア支部警備隊の姿は、付近のどこにも確認することはできなかった。
意図的かどうかはおいたとして、彼らはほぼ俺たちを直接的に助けてくれたに等しい行動を取った。
彼らのその後は気になるが、襲われて同種になってしまったのか、少し先にあった建物に逃げ込んだのか、今となってはもうわからない。
この部屋に集まった後、俺たちはクローゼットの中にあったペットボトルの水で喉を潤し適当な缶詰で腹を満たした。
ペットボトルや缶詰は早野と芽衣が商業区のスーパーマーケットから持ち込んだものだった。食糧一式をバッグに詰め、より安全な場所を探していたが、この付近全体が同種の勢力圏にありこのビルしか隠れ場所がなかったらしい。
「絵麻、それはまた後にしよう……ところで、早野。何か算段があって、ここに逃げ込んだんじゃないのか?」
誰もが無言を貫く中、洋平が口を開き尋ねた。
このままではいずれ同種たちにこの場所へ乗り込まれ、俺たちが彼らの波に飲み込まれることがそう遠い未来ではないことは容易に想定できた。
部屋のドアの粗末な鍵では、彼らの驚異を跳ねのけられると到底思えない。何か策を練ろうとして洋平もこの質問をしたのだろう。
だが、早野は残念そうに首を横に振っただけだった。
「このままでは、袋小路ということですね」
それを見た美雪が深いため息をつきながら言う。
この台詞にその場がどんよりとした空気に包まれた。ビルは同種によって完全に包囲されている。脱出する方法はない。万策尽きた、と全員が思っていたとしても不思議ではなかった。
「……通気口はどうかしら?」
先刻の言葉から沈黙を保っていた絵麻が、意見を言うような口ぶりで確認してきた。
通気口の空気が通る道から脱出を試みるという案を意味したこの台詞に張り詰めた空気が少し弛緩した。
それなら可能性はあるかもしれないと、俺は胸の内で微かな希望を抱いた。
宇宙船地球号はエアコンの消費電力を抑えるためそれぞれの建物や各部屋へのエアコンの設置を認めず、支部間毎に分割した大型のセントラルヒーティングシステムを採用していた。
東北ユーラシア・日本支部間の境目であるこの場所であれば、その分割点である支部間の繋ぎ目があるはず。つまり、そこさえ突破してしまえば、東北ユーラシア方面への脱出が可能となるということだ。
そう思ったのは俺だけではないようで、絵麻の台詞を聞いた全員の顔が若干明るくなった。
そして、
「ああ、通気口ならそこの通路の天井に空気孔があったよ」
と思い出したかのように、早野が言った。
重ねられた椅子の上に足を乗せ、八神が大型のダクトを持ち上げる。そのまま上半身を天窓の向こう側へとやり、彼の身体は上へと消えて行った。
次に早野が重そうな足を椅子にかけ彼も天窓へと身体を持っていく。
ダクトが完全に取り外される。
早野はぽっかりと天井に穴が空いた場所から身を乗り出し、洋平が持ちあげた芽衣の身体をそのまま引っ張り上げた。それとほぼ時を同じくして、美雪も椅子の背もたれへと手をかける。彼女は絵麻の補助を受けながら、先へと登っていった。
美雪と芽衣が天窓の上へ到着したのを確認すると、その絵麻自らもその場へと向かう。
ガシャリ、と鈍い音がした。
次は俺が通気口へ上がる番だ、と思った矢先のことだった。
窓ガラスの割れる音が至る所から聞こえてきた。
間髪を入れずに、多くの階段を駆けあがる足音が耳を貫いてくる。
「おい、圭介。早く登れ。同種が来るぞ」
洋平が焦った声で叫ぶ。
俺は返事もせず、椅子を台座にして天窓へとジャンプし元々ダクトの淵があった付近へと片手をやった。
堅いアルミの感触が指に伝わった後、身をさらに上にやろうとその手に力を込めた。
自らの力で身体を引き上げる際、ちらりと通路の奥へ視線をやった。
同種が現れるのが見えた。
天井へと身を移すと急いで振り返り、まだ通路にいる洋平へと手を伸ばした。
高身長の洋平は椅子を踏み台にせずそのまま天窓へと飛び跳ねる。俺の横にあった分厚いアルミ板へと指をかけて、伸ばした俺の腕を握りしめた。触れられた感触が脳に伝わる前に、彼の身体をこちらへと引き上げた。
「洋平、足。足がやられるぞ」
一連の動作かのように、俺はそう叫んだ。
すでに近くまで来ていた同種の指が、彼の長い足に触れそうな距離にあったからだ。
洋平は重低音を喉から響かせ凄まじい角度で両足を曲げた。
ずしりと俺の腕に彼の体重が伝わった。迷わず背後へと身を引く。
同種の爪が洋平のスラックスの布に触れた音がした。が、寸前のところでそれをかわしたようで、彼の身体は天井の上にいる俺の胸へと着地した。
すぐに態勢を立て直した俺と洋平は、近くに置かれていた大型ダクトを天窓の穴にはめた。
ダクトの隙間から同種たちの様子をうかがった。それらは俺たちの目を見つめながら、ふらふらとその場を佇んでいた。
口からは泡のようなものが溢れ、今にも俺たちに噛みついてこようかという顔をしていた。何を考えているのかは不明だが、人を襲う堅い決意のようなものだけは感じ取れた。
灰色となった彼らの瞳を見た俺は、どうしてそうなってしまったんだと思いながらも視線を切り、俺と同じく息を殺してそれらを見つめていた洋平と共にその場を後にした。
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