横浜スタジアム
横浜スタジアムがあるのは「横浜公園」という公園の中らしいんです。
確かにまあ海側には、花壇と木立、遊具の広場、そして日本庭園ぽいエリアがありました。へー。
横浜市中区。JR関内駅。
その横浜公園でチューリップが満開! という記事を見かけたので行って来ました。
うん、綺麗!
花壇全部がチューリップだらけ!
あれ、他の季節って何が植わってたっけ、と考えるぐらいにチューリップしかない。
リアル花畑って、わりと幸せになるもんですね。
近況ノートに写真載せます。チューリップの向こうにチラリとスタジアム外壁が。
https://kakuyomu.jp/users/yamadatori/news/16817330655541407023
この横浜公園、当初は遊郭だったんですってよ。
港崎遊郭(みよざきゆうかく)といいまして、開港地が東海道から離れた場所になるのを渋る諸外国に対し「遊ぶ場所もあるからさあ」と説得するために設置されたとか。
うわあ。
なのにその後、「ココ、広い公園にしてクダサーイ」と言われて公園化。でも「遊郭はスコシ内陸に移転してオイテネ」との要望も同時だったらしい。あー、そういう場所は欲しいんデスネ……。
そして異国人、日本人ともに使える公園「彼我公園」となります。
その後は関東大震災、太平洋戦争後の接収を経て「横浜公園」となり、アマ球場があったところにプロ球団が入って横浜スタジアムを建設し……。
オリンピックの野球会場として増築したものの、コロナで客を入れられずに無駄になったのは記憶に新しいところ。
いろいろあったんだなあ……。
土地の記憶というものはあるのでしょうか。ここで過ごした人々の記憶が積み重なって上空に堆積しているのなら、とたまに思います。
異人さんに体はまかせない、と自害した遊女の伝説 (『ふるあめりかに袖はぬらさじ』)。本当はただ、他に恋しい男が居たからという説も。
西洋式公園を興味津々見て歩いた日本人。
地震や空襲で焼け出され身を寄せあった人々。
極東に配属された米軍人。
戦後復興と急成長の中、野球に打ち込んだ男たち。スタンドで応援する楽しげな顔。
DeNAの事業のうちで一番成功していると噂のベイスターズの記憶も、新しい一層ですね。
その片隅にひっそりと、私がチビちゃんを連れて遊具で遊ばせた記憶も、まぎれ込んでいるのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます