優しき魔獣と心を通わせて

そう、あの時……お出かけ前にひと騒動あったのよ。




   ◇




「おい! 姉貴!」



 休日のお昼前。訪ねた友人宅。

 声変わり前のちょっと怒った様子の少年の声が、あり得ないものヒポグリフを見て卒倒しそうだった私の意識を糸で絡め取って現実に引き留めてくれた。


 その声の主はリコットちゃんと同じ杏色の髪で、同じように健康的に日焼けした、もう少し幼くて線の細い少年。

 やや大きめの袖なしタンクトップに、これまた大きめの半ズボンを吊り皮サスペンダーで留めている。


 姉貴ということは……弟?



「出かける前にトイレ掃除やってけよ? 約束だろ? 一か月分」



 少年は気怠けだるそうに言う。


 リコットちゃんを姉貴と呼ぶ割りに尊大な態度。

 きょうだいって、そんなものなのかしら。


 初往年は顔の高さに右手を挙げて、人差し指で何か輪っかをくるくる回している。



「ぐぬぬぬぬ。とんずらできると思ったのです……」



 リコットちゃんは悔しそうに少年を睨む。


 ああ、もしかして彼がカミワイバーン飛ばしの……。



「ほら、行った行った」


「ふたりともごめんなのです! すぐ終わらせて来るのですー!!」



 飛んでいくという表現がよく似合うほど、勢いよく家屋に向かって走っていく二つ尾ツインテ少女。



「ちゃんとやれよー! ……やれやれ。トンズラなんてマヌケなズル、姉貴の考えそうなことだっつーの。あ、ソラっち、ハロー。コレ渡しとく」


「これって?」


「そ、魔力制御の首輪。ひーたん連れ出すってことはどっか行くんでしょ? 何が起こるか分かんないからって、親父とお袋から」


「そっか、そうだねー、ありがと」


「魔力制御?」


「そうそう、ひーたんがねー暴れないようにねー」



 言いながら首輪をバッグのポケットにしまうソラ君。

 その様子から今回が初めてでは無いよう。


 あれ? 今付けておくわけじゃないんだ?



「で、そちらさんは……?」



 少年は私のほうに上目遣い気味に目をやった。

 歳の割に……と言っては失礼なのだろうけど、目つきが鋭く、ちょっと怯んでしまう。



「ボクのクラスメイトのオークルオードさん」


「オークルオード=ビブリオテーカです、よろしく」


「クラスメイト……ははぁ、それで……」



 気の利いたことを何一つ言えない、愛想笑いさえできない自分の口下手さに嫌気が差すほど。

 少年は口元を手で覆いながら、目つきでのが分かる。

 態度がちょくちょく気に障るけれど、私の心が狭いのかしら。



「なにか?」


「あ、いや……、リコットの弟のフィグです。姉貴が世話になってます」



 なぜ私はもっと柔らかく訊けないのか……。

 まるで喧嘩腰に飛び出した言葉。


 冷静に答えた弟君――フィグ君は見た目は信用しづらいツンツン頭だけど、中身は結構しっかりしてるみたい。

 見かけで判断しちゃいけないわ……。


 すっと右手を差し出すフィグ君。

 反射的に私も手を差し出し握手すると、気のせいか、彼の頬がほんのり明るくなった。



「あなたがフィグ君なのね……」


「へ? なんで俺のこと?」


「リコットがねー、昨日言ってたからー。カミワイバーン飛ばしやること忘れてたって。大急ぎで帰ってておかしかったぁ」


「ああそれで……」



 空いているほうの手で頬を掻く。



「今度良かったら、私にもカミワイバーンの作り方教えてほしいわ。そういう遊びしたことが無くて」



 フィグ君に微笑みかける。


 人に笑顔を向けるなんて、何年振りかしら……。

 ちゃんと笑顔になっているか、引きつっていないか気になったけれど確かめる術がない。



「は、はいっ! よ、喜んでっ!」


「ふふ、ありがとう」


「い、いえ……。あ! 手、すいません! ずっと握ってて……!」



 握手しっぱなしだった手に気付き、パッと手を放す杏色アプリコットツンツン頭の少年。

 照れ屋なところはきょうだい同じね。



「姉貴のこと、よろしくな」


「うん」



 落ち着きを取り戻し顔色も戻ったフィグ君が言い、頷くソラ君。



「信頼関係が厚いのかしら?」


「え?」



 つい意地悪く質問をしてしまった。

 人の距離感が羨ましいなんて……。



「そんなあっさりお任せされるなんて」


「まー、付き合いが長いからかな?」



 キョトンとするソラ君と、頭の後ろで腕を組むフィグ君。



「そっか」



 返す言葉が見つからなくて、また素っ気ない返事をしてしまった。

 これが幼馴染というものなのかもね。

 きょうだいぐるみで……。


 私にはそういう長い関係の人がいないから、ちょっと嫉妬。

 いや、だいぶかな……。

 

 多く語らなくても分かり合えるなんて。

 私なんて、多くを語ったところで分かってもらえるかどうかも怪しいから、語ることさえ躊躇ってしまうのに……。



   ◇



 トイレ掃除に行ったきりのリコットちゃんを待つ間、フィグ君が合成魔獣ヒポグリフに餌げるのを手伝って待つことにした。

 馬もたくさんいるし給餌しやすいようだけど、一緒にお出かけする相手だから少しでも慣れたほうがいいとソラ君の提案だ。



「これは……何のお肉? 臭みがないけれど……」



 フィグ君の持つ袋の中にある塊肉を指す。



「これは豆で作った豆肉ビーンミートってやつ。うちの父ちゃんが開発したんだ」


豆肉ビーンミート……?」


「そ。ヒポグリフってさ、親のグリフォンがそうなんだけど――猛禽の頭してるだろ? 本来は肉食なんだって。こいつとこいつの親は訳あって肉食べないんだけど、そうすると食事ができなくて生きていかれないだろ? だから肉の代わりに栄養を摂れるものって調べて試して――豆が代用になるのが判って。効率いいらしいってことで、加工して食べやすくしたものさ。こんなおっきい体して豆食べるのなんかいちいち大変だからな。肉食には消化しづらいみたいだし」


「そうなんだ……」


「肉を食べないせいか、気性も穏やかだしな。ほい、ひーたん」



 馬の倍ある体高のヒポグリフ相手に襲われたら避けようのない至近距離で豆肉を差し出すフィグ君と、傷つけないように器用に嘴で咥えるヒポグリフ。


 形は完全に猛禽のソレで人の何倍もの大きさがあり、ほぼ頭上から迫る先端に恐怖を覚えないほうがおかしいのではないか。

 なのに二人とも平然としている。



「あの……怖く……ないの……?」


「外見はいかついよねー。慣れかなー?」


「初めて見るやつはだいたいそういう反応になるよ。ヒステリー起こして危害加えそうになるとか。オークルオードさん……だっけ? まだマシなほうだと思う」


「それは……どうも」


「やってみる?」



 どきり、と心臓が止まりそうになる。



「大丈夫、ひーたんが人を食べるヤツなら俺らみんなここにいないから」



 冗談めかして言うけどあんまり冗談に聞こえない。

 でも、私が恐る恐る差し出す小さめのクッションみたいな大きさの疑似肉を、奪い去ろうとせず差し出されてからそっと嘴を開いてゆっくり摘み上げ、上に持ち上げて丸のみする。


 もっともっと、と催促のためか一啼き。

 もう一度差し出してもやっぱり優しく持ち上げて、決して乱暴にしなかった。



「やけに大人しいな」


「オークルオードさんが優しいことがわかるんだねー」



 優しい……? 私が? そんな言葉に戸惑う。

 家族すら疎ましく思う、友達のいない私が優しいわけない。


 餌を持ったまま俯いてしまった私に気付いてか、ひーたんが頬ずりをしてくれる。

 慰めてくれるの……?


 餌をよこせと飛びついてもよさそうなのに。

 この子のほうが何倍も優しいじゃない。


 私なんて、私なんて……。

 思いつめてしまう私を、艶やかな鷲の毛並みが優しくまぁるく包んでくれていたわ……。




   ◇




 生き物と触れ合うこともほとんど無く生活してきたから、どんなものか分からず戸惑ったわ……。

 きょうだいや、幼馴染っていいものね……。


 自分のことを深く知ってくれている存在があると思うだけで心が落ち着くのかもしれないわ。

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