私の兄
連喜
第1話 手術
私は25歳で子宮と卵巣を全摘した。理由は子宮頸癌だ。そのせいで、もう子どもを持つことが叶わなくなった。それまで彼氏がいたことはなく、性行為の経験もない。何もしなくても子宮頸がんになるんだなと不思議に思った。処女で子宮頸がんになる人は1%にも満たない。宝くじに当たったこともない人間なのに、悪いことだけは引き当てる。それが私だった。
子どもが産めないということは、結婚にも大きなハンディになってしまうのは容易に想像がつく。稀に子どもはいらないと言う人もいるかもしれないが、どうやって出会っていいかわからない。私がそのことを友人に相談すると、30代の独身男を紹介してくれた。ちょっとイケメンで独身生活を楽しんでいそうなタイプの人だ。こんな体でなかったら、ありえないような人だった。その人は「俺は子ども好きじゃないから、いらない」と言っていたから、試しに交際してみたが、結局すぐに浮気されてしまった。ああいう男は死んでほしいと心から思う。
子どもが持てなくなってからは、自分が男でも女でもない存在になったようだった。人間でもなく、他の動物でもない、人類の傍観者だ。
次の正月、仲の良かった友人から年賀状が来た。赤ちゃんの写真が載っていた。誕生日は10月1日だったらしいが、私には連絡が来なかった。私が子宮癌で意気消沈していると思って気を使ったのだろう。入院中、お見舞いにも来てくれたけど、みんなわざと明るく振舞ったり、泣いたりして惨めだった。悔しくて、悲しくて、涙が溢れて止まらなかった。
気分転換にと思って、どこに行っても、ベビーカーを押している若い母親がいる。子どもを2人くらい連れた夫婦が楽し気に歩いている。田舎だから子だくさんの家族が多い。憎たらしい。棒を振り回して追い散らしたいくらいだ。やつらは、子どもが出来ても、面倒くさいから堕ろそうとか言いながら、10代を過ごしたに決まっている。
私はどれだけ望んでも、一生手に入らない物を横目に見つつ、これから生きて行かなくてはいけないのだ。私は外に出るのが嫌になってしまった。休職中だった仕事をやめた。なぜやめたかというと、嫌ない
それに、子宮摘出したということが原因で、すべての友人との連絡を絶った。同情されたくなかったし、そのことについて触れられることに耐えられなかった。家でゴロゴロしていると、母親は病気だからって怠けるなと言って、怒鳴り散らす。「働かざる者食うべからず」というのが口癖だ。それに、今まで払った学費分返せとも言う。母は私と兄を大学に行かせるために、小学校からずっとパートに出ていた。心から申し訳ないと思っている。自分の時間を犠牲にして、私たち兄妹を育てたのに、孫を抱かせてあげることもできない。考えただけで泣ける。
父親も諦めたような顔をして、何も言ってくれない。兄弟は兄が一人。非モテの陰キャで30歳。独身。東京で一人暮らしをしている。不細工で何のとりえもないが、勉強だけはできた。現役で都内の有名大学に入学して、大学院に進学し、今は大企業の研究所で働いている。理系なので女性が少なく、彼女がいたことはないようだ。
私がやることと言えば、ネットサーフィンをして、腹の立つ芸能記事などにアンチコメントをすることだ。一番嫌なのは、妊活をしてやっと子どもが出来ましたというやつ。誰もあんたに興味ないよ。てめえの子どもなんか死んじまえと思う。
私は毎日泣き暮らしているのに、テレビもネットも楽し気な話題で盛り上がっている。ドラマなんて見る気になれない。大体は恋愛もので私とは別世界の話だ。今後、一生経験できないことを見たところで楽しくなんかない。子宮を取る前は、もしかしたらイケメンの金持ちと付き合えるのではないかと期待もしていた。しかし、今は普通の男性と付き合うことさえ難しくなっている。仮に私を好きになってくれる人がいたとしても、子どもができないと伝えたら去って行くだろう。
私は人生に絶望して、メンタルは落ちるところまで落ちていた。
死にたいとさえ思っていた。
しかし、引きこもりの私に大きな転機が訪れたのである。
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